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おひさまひろば(おひさまクリニック) - 記事一覧
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発行日時
見出し
2025.03.15
30years (11) これでさいご
<p>(つづき 引き続きサンパウロです)</p><p> </p><p>サンパウロでのメインイベントは</p><p>親類たちがみんなで集まることでした。</p><p>30年前はおおきな農場に集まって</p><p>シュラスコやサッカーしたりなど楽しんだ思い出がありました。</p><p> </p><p>30年たって農場は高速道路建設のため売却されたとのことで</p><p>残念ながらもうありませんでした。</p><p>今回は高校時代からの文通相手だった彼の自宅マンションの一階に</p><p>広いパーティールームのようなところがあり、そこが会場になりました。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250317/23/msugai/c1/b5/j/o1280072015555712842.jpg"><img alt="" height="236" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250317/23/msugai/c1/b5/j/o1280072015555712842.jpg" width="420"></a></p><p>(ブラジルではとてもポピュラーなサッカーゲーム。</p><p> 全く歯が立ちませんでした。。</p><p> 人が集まるとカードゲームやボードゲームの類も盛んなようです)</p><p> </p><p>祖父の兄姉たち5人がブラジルに渡り、</p><p>そこからたくさんの子孫、家族が増えましたが、</p><p>いまでも何かあると集まる、ということに感動します。</p><p>ブラジルはことのほかファミリーというものを大切にするお国柄です。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250317/23/msugai/47/a7/j/o1533115015555712825.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250317/23/msugai/47/a7/j/o1533115015555712825.jpg" width="420"></a></p><p>(80人ほどの親戚たちが集まりました。もうそれだけで恐れ多いのですが</p><p> 参加できなかった人たちも20人くらいいたそうで・・)</p><p> </p><p>自分たちのルーツの国から親類が来た、ということで<br>ただそれだけで、私はブラジルに行きたくて来ただけなのに</p><p>これだけ歓迎されるのは申し訳ないくらいの気持ちになります。。。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250317/23/msugai/51/ac/j/o1600090015555712763.jpg"><img alt="" height="236" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250317/23/msugai/51/ac/j/o1600090015555712763.jpg" width="420"></a></p><p>(日本から持ち込んだ、古い日本の写真や30年前のブラジル旅行の写真などを見せました。</p><p> 若かった時代の写真を見て大人たちはすごく盛り上がっていました!)</p><p> </p><p>地球の裏側の異国の地で、大変な苦労をして</p><p>長い時間の中でしっかりと根を下ろして</p><p>家族の絆をかたく保ちながら生活している</p><p>30年前にその姿を目の当たりにして感動して</p><p>再び訪れて、また感動を新たにしました。</p><p>日本では忘れられて久しい生活文化をブラジルで再発見する、</p><p>という経験はとても得難い貴重なものでした。</p><p> </p><p>(この項、終わり)</p><p> </p>
2025.03.08
30 years (10)
<p>(つづき)</p><p> </p><p>ブラジル内陸部のイパメリからブラジル一の大都会、</p><p>サンパウロに戻ってきました。</p><p>親類たちはかつてイパメリで開拓に従事して</p><p>学業のためにその子どもたちが少しずつサンパウロに移り、</p><p>仕事や生活の場を求めて親世代たちもサンパウロにやがて移り住み、</p><p>いまでは大半がサンパウロもしくはその近郊に住んでいます。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250317/09/msugai/0a/8d/j/o1533115015555448071.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250317/09/msugai/0a/8d/j/o1533115015555448071.jpg" width="420"></a></p><p>(サンパウロの家族との食事。以前と変わっていない風景でした。)</p><p> </p><p>サンパウロでは30年前にもお世話になった家に</p><p>今回も泊めてもらうことができました。</p><p>家の持ち主であったおじさん・おばさんは他界されましたが、</p><p>家自体はほとんど変わってなくて</p><p>懐かしさとともに、ブラジルの我が家のようで、</p><p>リラックスできる雰囲気でした。</p><p> </p><p>大都会ではありますが、親類の家は日系人が多く住む地区にあり</p><p>近隣は日本人街で、日本的なものを売っている店や</p><p>日本関連の組織の建物なども集まっています。</p><p>スーパーも日本のものを扱っていたりします。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250317/09/msugai/06/d6/j/o1150153315555447266.jpg"><img alt="" height="560" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250317/09/msugai/06/d6/j/o1150153315555447266.jpg" width="420"></a></p><p>(ダイソーもありますが、100円ではありませんでした)</p><p> </p><p>サンパウロは大都市ですが、リオデジャネイロのキリスト像のような</p><p>目立った観光的なものはありません。</p><p>ただ博物館などはいろいろな種類のものがあります。</p><p>前回一番インパクトがあったのはブータンタンと呼ばれる場所にあった</p><p>毒グモやヘビばかりの博物館でした。</p><p>今回はサッカー博物館をメインに見に行きました。</p><p>歴史やプレーゲーム、ショップもあって楽しいのですが、</p><p>やはりレジェンドプレーヤー目白押しで</p><p>一緒に行った人と話し始めたら時間はいくらあっても足りません…</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250317/09/msugai/bc/be/j/o1533115015555448097.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250317/09/msugai/bc/be/j/o1533115015555448097.jpg" width="420"></a></p><p>(パカエンブースタジアム。サンパウロ市が管理しています。</p><p> コリンチャンスとパルメイラスという有名チームの本拠地でこの中に博物館があります。)</p><p> </p><p>ちなみに前回来た時はムルンビースタジアムというところでサッカー観戦をしました。</p><p>試合観戦は非常に危険であり、泥棒や暴動に気をつける必要があり</p><p>親類二人と一緒に見に行きました。</p><p>ホームチームが先制されて不穏な空気が流れ、</p><p>その後のゴールラッシュで今度は喜びで大騒ぎとなり</p><p>どっちにしても危険なものだと思いました。</p><p>(楽しかったけど)</p><p> </p><p>(つづく)</p><p> </p><p> </p><p> </p><p> </p>
2025.03.04
30years (9)
<p>(つづき)</p><p> </p><p>今回イパメリでお世話になったのは</p><p>私より一回り以上年下の女性の家です。</p><p>母親と娘さんとで暮らしており、</p><p>彼女はジムを経営しています。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250306/23/msugai/13/1e/j/o1150153315551714178.jpg"><img alt="" height="560" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250306/23/msugai/13/1e/j/o1150153315551714178.jpg" width="420"></a></p><p>(インストも10名以上! ここなら続けれそうかな?)</p><p> </p><p>内陸部にあるブラジルの首都ブラジリアで育ちましたが</p><p>おじが住んでいるイパメリが好きで</p><p>サンパウロでビジネスを経験した後、イパメリに移住してきました。</p><p>そこでたまたま一人でトレーニングをしていたところ</p><p>数人の人から「僕らにも教えてくれよ」と言われて</p><p>教えている間にどんどん人が増えて、大きなジムに成長したそうです。</p><p>約3万人の小さな町でジムの会員数は600人以上(!)とのことで</p><p>地元に根付いている、にもほどがあります。</p><p> </p><p>現在もビーチテニスのプレーヤーでもあり</p><p>敷地内にビーチテニスのコートも作って愛好者を増やしていました。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250306/23/msugai/82/d7/j/o1150153315551714195.jpg"><img alt="" height="560" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250306/23/msugai/82/d7/j/o1150153315551714195.jpg" width="420"></a></p><p>(人生初のビーチテニスはけっこうおもしろかった)</p><p> </p><p>この街を彼女とともに散歩していたときに</p><p>たくさんの人に声をかけたり、かけられたりしていました。</p><p>この田舎ならではのコミュニケーションが</p><p>本当に心地いいことに思えました。</p><p> </p><p>ブラジルでは貧富の差は非常に激しく、</p><p>教育機会に恵まれない子どもたちもたくさんいます。</p><p>地元でこういう子どもたちに職業教育を施しているNPO団体と関わって、</p><p>作成された焼き物を販売する活動にも協力していました。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250306/23/msugai/4d/f5/j/o1533115015551714222.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250306/23/msugai/4d/f5/j/o1533115015551714222.jpg" width="420"></a></p><p> </p><p>すごく感心すると同時に、日本でも何か自分たちにできることはないか</p><p>考えるようになりました。</p><p> </p><p>イパメリは本当にいいところで、名残惜しかったのですが、</p><p>次は南米一の大都会、サンパウロへ向かいます。</p><p> </p><p>(つづく )</p><p> </p>
2025.03.02
30years (8)
<p>(つづき)</p><p> </p><p>ついにブラジル内陸部にやってきました。</p><p>かつてブラジルにやってきた日本人移民たちはまず、</p><p>農作業のためサンパウロ州内のコーヒー農園で働き始めます。</p><p>しかし、(約束と違い)奴隷労働まがいの扱いが多かったそうで、</p><p>たくさんの日本人移民は農園から逃げ出して新たな場所に移っていくのですが、</p><p>入植したサンパウロ州やそこから近い港町のサントスのあたりを目指したそうです。</p><p>もう日本に帰りたかった、、、それはそうだと思います。</p><p> </p><p>しかし私の親類(祖父の兄弟たち)はブラジルに定住して</p><p>両親を迎え入れる基盤を作るつもりでいたため</p><p>内陸部へと良い仕事を求めて移っていきました。</p><p>その場所がゴイヤス州イパメリという町です。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250304/22/msugai/94/41/j/o1533115015551004799.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250304/22/msugai/94/41/j/o1533115015551004799.jpg" width="420"></a></p><p>(旧イパメリ駅をそのまま保存して使用している博物館。ここに降り立ったのかと・・)</p><p> </p><p>確たる情報もなく、日本人がいない内陸部の町に</p><p>一族を連れて移動してくる、今の自分には想像もできない行動です。</p><p>そこでも、やはり北海道の開拓生活と同じように困難が続いたようです。</p><p>ただ、ここでは隣人に恵まれ、農作業や生活全般について</p><p>色々助けてもらった、そうして生き延びてきた、と聞きました。</p><p>( (2)で触れたルシアさんの一家に特に助けられた)</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250304/22/msugai/63/22/j/o2044115015551004828.jpg"><img alt="" height="236" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250304/22/msugai/63/22/j/o2044115015551004828.jpg" width="420"></a></p><p>(かつて祖父の兄が住んでいた家はそのまま現存していました。</p><p> 真ん中のピンクのポロシャツの彼が育った家でもあります)</p><p> </p><p>その後、一族は他の日系の家族と同じように</p><p>子どもたちの教育を大切にして、進学、その後の仕事のために</p><p>大都市サンパウロに徐々に移っていき、今は大部分はサンパウロにいます。</p><p>しかし今もイパメリには親類が数家族いて</p><p>しっかり土地に根差して生活していました。</p><p> </p><p>30年ぶりに訪れましたが、経済発展してちょっとこぎれいなところもありつつ</p><p>田舎町らしいほこりっぽいところもあって</p><p>北海道の農村を思わせる懐かしい風景であることは変わりありませんでした。</p><p>街を一歩出ると緩やかな丘陵地帯でそこに畑が一面広がっています。</p><p>30年前に感動したこの風景を家族に見せることができました。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250304/22/msugai/86/59/j/o1533115015551004862.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250304/22/msugai/86/59/j/o1533115015551004862.jpg" width="420"></a></p><p>(どうしても開拓の苦労に思いをはせて胸がいっぱいになってしまう)</p><p> </p><p>(つづく)</p><p> </p><p> </p><p> </p>
2025.02.24
30years (7)
<p>(つづき)</p><p> </p><p>あわただしく時は過ぎ、いよいよ出発となりました。</p><p>今回はドイツ経由でブラジルに行きます。</p><p>乗継時間と価格をみてルフトハンザを使いました。</p><p>羽田でモバイルwifiを借り(こんなのも初めて)、</p><p>久々の国際線です。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250301/06/msugai/15/62/j/o1533115015549497779.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250301/06/msugai/15/62/j/o1533115015549497779.jpg" width="420"></a></p><p> </p><p>ロシアの上空を避けるためか、遠回りのようなルートでした。</p><p>飛行機内は満席であまり快適とは言えず、</p><p>また、機内wifiは有料のため使用せず、、、</p><p>なかなか寝付くことができずに経由地のフランクフルトに到着。</p><p>乗継までの3-4時間の間にwifiが繋がって突然、</p><p>ブラジル国内線に搭乗するときの荷物を小さくするように、という連絡があって焦る・・</p><p> </p><p>フランクフルトを発って、いよいよブラジル、サンパウロへ。</p><p>気持ちは高まるが飛行機の時間は長い・・</p><p>それにしてもブラジル行きの飛行機内は体格が大きな人が多く、</p><p>エコノミークラスではまるで席に人が挟まっているかのような風景。。(失礼!)</p><p>自分たちが小さい人のように感じます。</p><p> </p><p>飛行機が高度を落とし、いよいよブラジルの大地に(というか滑走路)に着陸しました。</p><p>そこには親戚数人が待っていてくれました。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250301/06/msugai/83/86/j/o1533115015549497740.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250301/06/msugai/83/86/j/o1533115015549497740.jpg" width="420"></a></p><p> </p><p>急いで荷物を詰め直して国内線の空港に向かいます。(乗継なのですが飛行場が異なる!)</p><p>30年ぶりに訪れたサンパウロは近代都市になっていました。</p><p>かつてはどこか南米らしいワイルドなところを残していましたが、</p><p>高速道路ができていたり街自体が新たに広がっていて</p><p>経済成長していることを実感しました。</p><p> </p><p>国内線の空港に無事到着。</p><p>サンパウロ滞在はそこそこに</p><p>カウダスノバスという内陸部の街まで飛んで</p><p>そこから迎えに来ている親戚の車で</p><p>目的地であるイパメリという小さな街へと向かいます。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250301/06/msugai/ef/84/j/o1533115015549497712.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250301/06/msugai/ef/84/j/o1533115015549497712.jpg" width="420"></a></p><p> </p><p>(つづく)</p><p> </p>
2025.02.23
30years (6) ここから 2025年です
<p>(つづき)</p><p> </p><p>学生最後の春休みにブラジルに行き、</p><p>帰国してからは国家試験があり、その後医師になって働き始め、</p><p>幸運にも結婚して子どもに恵まれました。</p><p>それからはブラジルの親せきについては日本に二人来ていたので</p><p>何度か会ったりやりとりは定期的にありました。</p><p>しかしながら、ブラジルには行けませんでした。</p><p> </p><p>一番の理由は、時間と距離です。</p><p>丸一日以上移動に費やし、小さな子供連れでは困難だと思っていました。</p><p>またブラジル国内の移動も考えると2週間程度のまとまった時間が必要で</p><p>それは難しい問題でした。</p><p>子どもが大きくなっても、学校行事やコロナなどでタイミングを逃し</p><p>ついに下の子が大学最終学年となった昨年、</p><p>妻からの後押しもあり、思い切って計画してみることにしました。</p><p> </p><p>次の困難はプラン作成ですが、これは</p><p>ブラジル側の親戚とのコンタクトが前にも触れましたが、</p><p>比較にならないほど容易になりました。</p><p>メールも利用しましたが、WhatsApp(LINEみたいなもの)やZOOMのおかげで</p><p>日程調整やホテルや国内線の予約や手続きも時間をかけずにできました。</p><p>(ブラジルの親戚たちに感謝)</p><p> </p><p>さらなる問題はもちろん、お金です。</p><p>前回は円高を背景に航空運賃は思いのほか安かったのですが、</p><p>今回は円安に加えて燃料高騰もあり前回のような価格は見当たりませんでした。</p><p>しかもダイレクトプライシング(人気があるとそれに合わせてチケット代があがる、というシステム)のためか</p><p>同一路線でも非常に差が出るという難しさもありました。</p><p> </p><p>そこまできて、ずっと気になっていたのが「おみやげ」です。</p><p>前回は軽くて持っていきやすく、日系人には喜ばれる、と</p><p>「のり」と「干しシイタケ」をメインに持っていきました。</p><p>今回は30年ぶりで一世代若くなるので、干しシイタケ、、ではちょっと不安であり</p><p>これならどうかな、あれならどうかな、と</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250224/23/msugai/c1/9f/j/o1533115015548018484.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250224/23/msugai/c1/9f/j/o1533115015548018484.jpg" width="420"></a></p><p> </p><p>いろいろ用意してみましたが、実際に持って行って</p><p>・調味料やふりかけは現地でも使われているが高いので喜ばれる</p><p>・文房具系は30年前と違い現地でも普通に揃っている</p><p>・日本のチョコはブラジルより甘くないのでどうかな、とおもいましたが、</p><p> 甘くないチョコも好まれていることと、ブラジルのチョコが思いのほか美味しかった。</p><p> (30年前にはそんなのはなかった・・)</p><p>・日本語が書かれているものはおおむね好評。</p><p> タペストリー(氷、とか、ビール冷えてます、とか)は選んでもらうと面白い</p><p>一番インパクトがあったのは妻のアイディアですが、「印鑑」でした。</p><p>親類がみんな須貝ファミリーなので一種類だけですみ、いくつか持っていきましたが、</p><p>一人を除いてだれも持っている人はいませんでした。</p><p>(持っている人がいたのにはびっくり)</p><p>家族の絆、という意味ではぴったりくる贈り物だったようです。</p><p> </p><p>(つづく)</p><p> </p>
2025.02.14
30years (5)
<p>(つづき)</p><p> </p><p>ようやく、ブラジルに到着です。</p><p>空港には親類、中でも高校時代からの文通相手で医学生のいとこが</p><p>迎えに来てくれていました。</p><p>一人で出かけた海外でしたが、アメリカもブラジルも</p><p>到着地に知り合いがいるのは心強く思いました。</p><p> </p><p>この時のブラジル旅行の主な目的は「親戚に会うこと」</p><p>だったので、それ以外のことは何も考えていませんでした。</p><p>旅行の日程を決めるのも私が来てから相談する、</p><p>というものだったらしく、初日の食事会ではポルトガル語が飛び交う中、</p><p>その決定をじっと待っていました。</p><p>(この頃は日本語ができる人が何人かいました)</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250223/21/msugai/8c/7c/j/o1533115015547550164.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250223/21/msugai/8c/7c/j/o1533115015547550164.jpg" width="420"></a></p><p>(食事会の様子。まったく言葉が分からない)</p><p> </p><p>**ちなみに今回の旅行では、メールやWhatsApp(LINEみたいなもの)で</p><p> 事前に何回もやり取りしたり、ZOOMで話し合ったりできたので</p><p> もう、まったく段取りが違いました。</p><p> 飛行機のチケットもネット、またビザの取得の必要も今回はなかったので</p><p> 「隔世の感」とはこのことです。</p><p> </p><p>ブラジルでは、たくさんの祖父の兄弟の末裔たちと会い</p><p>そのどこへ行っても歓迎され、面食らいました。</p><p>「家族」に対する親近感は日本のそれよりも大切にされていて</p><p>また、遠くから来た人をもてなすことは周囲からうらやましがられる、ということで</p><p>その価値観はまったく異質でしたが、うらやましく、望ましく思いました。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250223/21/msugai/59/12/j/o1533115015547550232.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250223/21/msugai/59/12/j/o1533115015547550232.jpg" width="420"></a></p><p>(正面の方が日本語が上手で旅行中、ずっと同行してくださいました)</p><p> </p><p>旅行ならではのトラブル</p><p>(雨の中車を押したり、長距離バスがエンジントラブルで止まったり・・)はあったものの</p><p>総じて楽しい思い出ばかりの旅となりました。</p><p> </p><p>その中でもっとも印象に残ったのは</p><p>私たちの祖先が開拓で入った イパメリ という内陸部の風景です。</p><p>北海道の農村部をさらに二回りくらい押し広げたような</p><p>広大な畑です。</p><p>北海道と同じようにブラジルでも開拓に苦労したんだろうなぁというのと</p><p>現代の豊かで美しい風景は</p><p>胸に迫ってくるものがありました。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250223/21/msugai/a9/08/j/o1533115015547550279.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250223/21/msugai/a9/08/j/o1533115015547550279.jpg" width="420"></a></p><p> </p><p>(つづく ここから30年後にワープします)</p><p> </p><p> </p>
2025.02.12
30years (4)
<p>(つづき)<br><br>さて、成田からシアトルに向かい、そこで4日間滞在しました。<br>アメリカはもちろん初めてでした。<br>このことについては詳しくここでは扱いませんが、<br>ひとつだけ、最も衝撃だったことは‥<br><br>シアトルの空港に知り合いの家族(ボーイングのエンジニア)が迎えに来てくれました。<br>ご夫婦と子供三人でボロボロのジープらしい車でした。<br>日本にいるときはエレガントな印象で<br>レガシーツーリングワゴンの新車に乗っていたので<br>あれーっ、という感じだったのでした。<br><br>どうしたんだろう、と思っていたら彼曰く、<br>「時々故障するんだ、でも、それもレジャーのうちだよ」<br>こんな人だったっけ? と悩んでいる間に自宅に到着。<br>そこには立派なBMWがあり、この車は?と聞くと<br>「仕事用だよ」(つまり2台ある)<br>周囲の家にはボートがあり、(なんてぜいたくな)と思いながら<br>「あのボートは・・?」と聞くと、<br>「フライフィッシングのためだよ」 <br>とこともなげに答えます。<br>(いや、そうじゃなくて、どうしてみんな持ってるの?)<br>「うちも買う予定だよ」</p><p>(・・・・)<br>日本とアメリカのそもそもの経済力の違いを感じました。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250215/19/msugai/e3/18/j/o1533115015544581907.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250215/19/msugai/e3/18/j/o1533115015544581907.jpg" width="420"></a><br><br>シアトルはそれはそれで思い出深いものがありましたが、<br>本題のブラジルにそろそろ行かなくては‥<br><br>シアトルからマイアミで乗り換えて<br>いよいよ南米ですが、<br>南米行きの飛行機はお客さんの雰囲気がガラッと変わります。<br>これが直行便では味わえない面白さです。<br>なんと表現していいかわかりませんが、<br>都会的な感じから土の香りに変わるくらいの感じです。<br><br>そしてようやくブラジルです。<br><br>(つづく ちなみにまだ30年前・・)</p><p> </p>
2025.02.11
30years (3)
<p>(つづき)</p><p> </p><p>日本的に言うといわゆる「本家」はブラジル</p><p>という境遇だったこともあり、</p><p>以前から行ってみたいとは思っていましたが、</p><p>学生だった当時、一番の問題はお金でした。</p><p> </p><p>現在は円安だ、と言われますが、</p><p>当時は今とは逆に円の価値が急激にあがってきたことを背景に</p><p>海外旅行もようやく一般的になってきたころでした。</p><p> </p><p>ブラジルに行くには</p><p>・高額な飛行機代</p><p>・ビザの取得と高額な「預金証明」</p><p>・言葉の壁やいくつかの予防接種</p><p>が必要でした。</p><p>この「預金証明」は何のために必要なのか分かりませんでしたが</p><p>(強制送還するときの代金??)</p><p>70万円の預金があることを証明することがビザ取得の条件でした。</p><p>苦学生だったのに生活費のほかに、</p><p>この預金証明のための貯金をせっせと頑張っていました。</p><p> </p><p>もう一つ、心の壁があったのは、</p><p>飛行機に乗ったことも海外に行ったこともなかったことでした。</p><p>これについてはブラジル旅行前の「練習」として</p><p>近隣国に行くことを初めから計画にいれていました。</p><p> **ところが、同行する友人が勝手に行先を「アフリカ」にしてしまい</p><p> 余計な経験値を積むことになりました。(でも予防接種はあらかたこのときに済ませました)</p><p> このことについてはまた別の機会に…</p><p> </p><p>言葉については、ポルトガル語を学ぶ必要がありました。</p><p>会話集などで勉強してみて、発音が英語と違ってほとんど最後に母音が来るという</p><p>日本語に似た特徴のおかげで「カタカナ」読みで通じそうだ、と</p><p>少し希望が持てました。</p><p>それ以外は、ある程度は英語でカバーして、という算段でした。</p><p> </p><p>医学部5年から6年になる春休みに計画を実行することになりました。</p><p>期間は3週間、日本から、大学時代に知り合ったアメリカ人家族がいるシアトルを経由して</p><p>ブラジル サンパウロに向かうルートです。</p><p>飛行機代は円高が進んでいたためか 23万円(往復)で思っていたより安く</p><p>片道ですか? とJTBの人に聞き返したくらいでした。</p><p>なんで70万も証明しなくちゃいけないのか、と思いつつ</p><p>いよいよ憧れの南米へと出発しました</p><p> </p><p>**この預金証明は、私がブラジルに行った後、</p><p> ほどなくして廃止されたと聞きました‥ (これが一番苦労したのに・・)</p><p> </p><p>(つづく)</p><p> </p>
2025.02.09
30years (2)
<p>(つづき)</p><p> </p><p>ブラジルからの留学生の弟がちょうど自分と同学年で</p><p>同じく医学部志望だったこともあり英語での私も文通をしたり</p><p>少しブラジルとの交信が復活してきたところで</p><p>他の親類の関心が少しづつ高まってきて</p><p>祖父をブラジルに行かせよう、という話が持ち上がりました。</p><p> </p><p>ブラジルに渡ったきょうだいは5人いて、</p><p>当時すでに4人は亡くなっていましたが、</p><p>残りの一人、実の姉が存命でした。</p><p>祖父は76歳で初めての海外旅行。</p><p>今ほどには海外に旅行することが情報収集も含め容易ではなかった時代、</p><p>ハードルは非常に高かったと思いますが、</p><p>親類みんなのアシストで無事渡航。</p><p>70年弱ぶりの再会を果たしました。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250209/23/msugai/2f/6a/j/o1500100015542497380.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250209/23/msugai/2f/6a/j/o1500100015542497380.jpg" width="420"></a></p><p> </p><p>その時に祖父はもう一人、重要な人と会っていました。</p><p>ブラジルに渡った5人きょうだいが貧しさに苦しんでいるときに</p><p>積極的に助けてくれた隣の家の家族です。</p><p>まさに我々の恩人なのですが、その人(ルシアさん)は祖父の兄と結婚して</p><p>彼は亡くなっていましたが、ルシアさんは存命でした。</p><p>祖父はポルトガル語はできず、ルシアさんは日本語は分からないのに</p><p>二人で話し込む映像が残っていて不思議に思いつつ感動しました。</p><p> </p><p>祖父とその姉、そしてルシアさんは翌年に相次いで亡くなりました。</p><p>北海道に開拓者の子どもとして育ち、苦労して</p><p>新天地を目指してブラジルに移民した人たちは数多くいますが、</p><p>その第一世代はもういなくなろうとしていた、</p><p>そういう頃に祖父はブラジルに行きました。</p><p> </p><p>私はと言うと、そう言うこととは関係なく、</p><p>昔から何となく自分のそばにあって</p><p>憧れの国ブラジルにとにかく行ってみたい、と思っていたのでした。</p><p>(お金ないのに)</p><p> </p><p>(つづく)</p>