今回は長文です
それだけ夫婦ともに辛く苦しかった日でした
一年前
2025年7月31日
数日前に妻の死を覚悟し
一人で抱える事が出来ず
唯一の繋がり有る血縁者である父は認知症のため相談する相手は身近に無く
数日前にネット検索して相談できるところを探し
この日の10:00に相談の予約をしていたので
遠方に有る相談先のお寺に向かいました
到着すると僧侶が迎えてくれました
そして相談室に案内され
まだ死の告知前でしたが
助かる可能性は低いと認識していたので
経緯を話し
そして死とどの様に向き合えばいいのか
どうすれば良いのか分からない
と話し聞いて頂きました
終始涙が止まりませんでした
僧侶は傾聴してくださいました
何度も「ごめんなさい、泣いて上手に話せなくて」と伝えましたが
僧侶は「ここは泣く場です」と言い
傾聴を続けてくださいました
時折、僧侶から質問が有りました
内容の記憶は曖昧ですが
心の内を聞くような内容だったと思います
返答に困るような抽象的な質問ばかりでした
数十分後
箱庭療法が始まりました
おっさんは医療職で
養成校時代に心理学か精神医学で箱庭療法を学んだ事が有りました
正直、今の自分に箱庭療法が必要なのかという戸惑いが有りましたが
言われるままに箱庭療法に取り組みました
その後、再び話をしましたが
内容は覚えていません
1時間ほど経過し相談は終わりました
気持ちばかりお布施をさせて頂きました
また一ヶ月後に来るよう言われました
相談を受けて下さった僧侶には感謝しておりますが
おっさんが望んでいたのは
死とどの様に向き合うべきか
今どうすれば良いのか
仏教の教えを通じた答えを欲していたのですが
それは無く
気持ちは何も変わらないまま
お寺を後にしました
13:00から術医との面談が予定されていたので
遠方のお寺から急いで病院に向かいました
面談は妻は同席しないとの術医の話でした
その時点でどの様な話が有るのか想像できました
死を覚悟しました
妻には妻が不在の面談が有る事をおっさんは伝えませんでした
死の告知が有る事が予測でき
おっさんは妻に死の告知はしないつもりでいたので
しかし
12:24
妻からSMSがありました
「昼いちち」
これのみです
きっと妻に13:00から自分が不在の面談が有る事が医療スタッフから告げられたのでしょう
本当は「昼一時(いちじ)」と入力し、その後「面談があるんだ」などと入力して送信したかったのでしょう
「昼いちち」
この先の入力が出来ずに誤字のまま送信したのは
体調不良だったからか
それとも
自分不在の面談が行われる事を知りショックを受けたからか
おそらく後者でしょう
面談後の面会時は体調不良を伺わせる事なく問題無く会話は出来たので
この時の妻の心情を想像すると
胸がはちきれそうになり
手が震えています
おっさんは
「昼いちち」
と返信しました
妻が何を送信したかったのか続きを促すように
しかし返信は無く
このメッセージが妻の最後のメッセージとなりました
おっさんが拒否してLINEを使わなかった我が夫婦は
SMSを多用してきました
最後の妻からのSMSは「昼いちち」
13:00に術医との面談が始まりました
妻不在の面談
術医・病棟看護師・緩和ケア看護師・おっさん
前回、2週間前7月17日に妻も同席した部屋とは異なり
妻の病室から離れた小さな面談室でした
緩和ケアの看護師が同席していて
妻の病室から離れた面談室
その時点で死の告知が有る事は分かりそうですが
パニック状態が続いていて
すぐには気付きませんでした
しかし面談が始まり
病状の説明が有って直ぐに死を告知されました
涙が止まりませんでした
医師は若く
告知に慣れていなかったのか
聞こえるか聞こえないかの様な小さな声で続けました
余命一ヶ月か二ヶ月か
と言われ更に涙が溢れました
状態が悪化すれば数日と言う事も有り得る
と言われ泣き崩れました
医師は慌てて「状態が悪化すれば」と念を押しました
おっさんの泣き崩れ方を見て驚いたのかもしれません
死を覚悟はしておりましたが告知され
この時の気持ちも感想も何も無い
訳が分からずただ泣き崩れていただけ
妻には告知しない意向で有る事を伝えましたが
医療スタッフ側は戸惑ったようでした
確かに
数十年前とは異なり
今は告知をするケースが多い事は分かっています
しかし妻の心身の状態を考えると告知は望ましくない
そう考えていたのです
面談は終わりましたが
予定が有って面談に参加できなかった緩和ケア外来の看護師がおっさんと面談したいと言っている旨告げられ
妻との面会後に時間が合えばと了承しました
その後、妻との面会予定でしたが
泣き崩れた状態で面会する訳にもいかず
病棟看護師の配慮で、気持ちが落ち着くまで面談室を使わせて頂きました
気持ちが落ち着くはずも有りませんが
泣き崩れた様子を妻に気付かせない程度には心を落ち着かせる時間を頂きました
13:00からの面談
妻の面会に向かったのは14:00までにはなっていなかったと思います
13:40頃だったか
記憶が曖昧
13:00から自分不在の面談が行われている事を知った妻は長く感じたでしょう
平静を装い妻の病室に入りました
妻からの第一声は「随分長かったね」だったと記憶しています
悟られないように平静を装い続けました
やはり酸素投与されていてパルスオキシメーターや心電図などでモニタリングされていました
全身状態の悪化が伺われました
すぐに手術による障害部位のケアが看護師により始められました
この時
以前の面会時と同様に看護師から夫婦揃ってケアを見学して欲しいと言われました
これは看護師が退院を見据えているという事です
この看護師が
妻はもう長くは無い事を知らなかったのか
それとも
一時的にでも退院できると考えての事だったのか
それは分かりません
ケアが始まりました
以前の面会時と同様に妻は真剣な眼差しでケアを見ていました
この時
おっさんは必要以上に平静を装おうとして
「随分真剣でしょ」
と茶化すように言ってしまいました
しかし妻は
自分で出来るようにならなきゃならないんだから当たり前でしょ
といった返答をしました
平静を装っておりましたが
妻の
退院する
生きる
という思いが伝わり
でも助からないんだ
という思いもあり
以前、ケアを見学した段取りが悪かった看護師とは異なり
ケアは滞りなく終わりました
ケアを見学し
全身の浮腫みが強くなっていている事が分かりました
ケアが終わり看護師は退室しました
病室は二人部屋でしたが
隣の高齢女性は退院していて
病室に二人になりました
平静を装い妻と会話をしていると
妻が急に
「末期なのかな。。。」
と話し
出会ってから見た事が無い辛く苦しそうな表情で泣き始めました
驚きましたが冷静になろうと心掛け
しゃがんで妻に近付き
「誰かがそんな事言ったの?」
「看護師がそんな事言ったの?」
と問いました
妻に嘘は言いたくなかったので否定できませんでした
妻から返答は有りませんでしたが
妻は辛く苦しそうな表情で泣いていました
しかし時間にして数十秒か1~2分か
妻は泣き止んで元の表情に戻り
普通の会話を始めました
この時の妻の心情を思うと
気が狂いそうになります
出会ってから25年
何度も泣き顔を見る事は有りましたが
あのような泣き方は初めてでした
今にして思えば当たり前です
自分の死を察知したのですから
おっさんは7月17日以降パニック状態で
思考が及びませんでしたが
死を察知して当然でした
妻には何でもSMSや口頭で伝えていました
しかし、その日の妻不在の面談は伝えず
それが医療スタッフから妻に伝わり
しかも面談の時間は長く
全身状態が徐々に悪化している事は誰よりも自分が分かっていたでしょうし
面談で何が話されたのか
妻は分かったはず
その後、一時間くらいは病室にいました
20分までというルールは有りましたが
いつもルール違反を繰り返して長時間面会していて
長時間病室にいて妻と会話をしておりましたが
何を話したのか覚えていない
流石に時間が長くなり
看護師に忠告され
病室を後にしました
その後
面会後の面談を希望していた緩和ケア外来の看護師とは面談出来ず
翌日、面談の予定を入れました
帰り際
病棟の看護師の長から
全身の浮腫みが強くなっているため、今あるブラジャーだと締め付けが強くなっている
ブラトップ?というものを用意して持ってきて欲しい
と言われました
すぐに用意して明日持ってくると伝えました
妻が亡くなった日はもちろんですが
この日も辛い記憶として忘れる事は無いでしょう
夫婦ともにであれば最も辛かった日です
この日はこれで終わりませんでした
この日がこんな日になるとは思っていなかった頃
バイクの売却に向けて予定を入れていました
バイク屋に預かって頂いていたバイクを委託販売して頂くためにレッドバロンに持って行く日でした
預かって頂いていたバイクは
バイク屋が多忙らしく
保管場所から出してもらう事ですら事前にお伝えしてもままならない状況で
この日にお願いしていたので
そんな心理状態では無かったのですが引き取りに行き
そのままレッドバロンに向かい
委託販売の手続きをして
その際、レッドバロンによる査定などあるため時間を要しました
レッドバロンの店長は以前から知っておりましたが
事情を知らない人からは笑顔も無く失礼な態度と思われる事が無いよう、なるべく話しかけられないように並んでいるバイクを見ながら待ちました
査定は一時間以上要したかもしれません
その後、バスとタクシーを併用してバイク屋に置いたマイカーを取りに行き実家に向かいました
もう19時~20時頃になっていたかもしれません
それまでも何度か妻の病状を説明しに実家に行っておりました
その都度、認知症の父からの場にそぐわない会話によりストレスが有りました
なので父には話さずに父の妻に状況の説明をしていました
その時も死の告知が有った事を父の妻に話しました
言葉に詰まり会話にならない父の妻とおっさん
そこに父の質問が
〇〇さん(妻)には兄弟とか親戚いるのかい?
返答しました
認知症の父は数分おきに同じ質問を繰り返しました
何度目かにおっさん
「もういいから!」
と声を荒げてしまいました
父は驚いた後、怪訝な表情でおっさんに「おかしな事言うねぇ」と話しました
妻の死を告知され
その報告とともに多少の慰めにでもなるかと思い実家に行きましたが
おっさんはストレスを更に強め
父は認知症の周辺症状を強め
なんのプラスにもなりませんでした
自宅に帰りましたが
全く記憶が有りません
おそらく大酒を飲んで寝たとは思いますが
長い一日
倒れてから亡くなるまで
泣き言一つ言わなかった妻でしたが
この日唯一
「末期なのかな。。。」
とこれまで見た事が無かった辛く苦しい表情で泣きました
しかし、すぐに泣き止み
いつも通りの表情で会話を始めました
心の内は泣き叫びたかったはずです
自分の死を察したのですから
でも
自分の事よりもおっさんを気遣ったのでしょう
おっさんを困らせてはならない
おっさんを苦しめてはならない
こんなに出来た人が53歳で死んだんです
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