山形牧師の部屋 - 記事一覧
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発行日時 | 見出し |
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2025.10.15 |
エゾリスちゃん 縦横無尽 飛び回り
![]() ![]() 昨日、居間におりましたら 窓の外を スッスッと 左から右へ 右から左へと 黒い物体が移動するので ネコかな? ネコにしては俊敏だなあと 思って見ましたら エゾリスちゃんでした。
エゾリスちゃんのしっぽは 温かそうです。
わが家の栗の木から落ちた 実を 一生懸命集めて 冬支度をしているよう
エゾリスちゃんの目は かわいらしいですね。
北海道にしかいない エゾリスちゃん ブラキストンラインといって 津軽海峡の北側にしか生息しない点において エゾシカとか ヒグマと同じなのですね。
エゾリスちゃんは 地面で採った栗をもって ジャンプして木に登って 枝の上で食べていました。
沢山、栗の実が落ちているので どうして仲間を連れてこないのかなと 思いましたら エゾリスちゃんは 基本的には群れで行動しないで 単独行動なのだそうです。 縄張り意識が 強いそうです。
エゾリスちゃんは 本州のリスちゃんたちと異なり なんと冬には冬眠しないで 毛の色も 茶褐色から 灰褐色に替えて 地中に貯蔵した木の実を食べながら 枝の根元に造った巣で過ごすそうです。
エゾリスちゃんは 衣替えするんですね。
それにしても わが家の栗の木を住まいとして 選んでくれたエゾリスちゃんを 神さまが遣わしてくれた使者の様に 大切に見守りたいものです。
毎日、居間の窓から外を眺めるのが 楽しみとなりそうです。 エゾリスちゃんの寿命は2〜4年だそう エゾリスちゃんは絶滅危惧種に指定されているそう 北海道の森林減少がその一因だそうです。 少しでも、「住みよい環境」 を備えて、長生きしてもらいたいです。
我が家の庭を住まいとして 選んでくれたエゾリスちゃんに感謝。
天地創造の神さまは この地上をご覧になり イエス様を信じる人の内に 聖霊様を住まわせようと お選びくださったことを 感謝します。
ご自分の住まいとして望まれた。 (旧約聖書 詩篇132:13)
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2025.10.14 |
全身癌 夢の大きい 病気とは!
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全身癌の渦中にある医師が 傍目からは「苦難」と見なされる状況に対して 「夢の大きい病気」「楽しい余生」と受け止めて 前向き、楽観的、しかも利他的に 歩んでおられる生きざまを伺えて 励ましをいただきました。
日本では「亡くなるならぽっくり(PPK=ピンピンコロリ)」 を願う人が多い一方、 米国では、「亡くなるなら癌で」と願う人が多いそうです。
癌のイメージとして、 日本では「壮絶な痛み」ばかりが強調されすぎて、 私の様に痛みにはめっぽう弱いと自覚する者たちにとっては、 「癌だけは避けたい」という傾向がありますよね。 しかし今日は癌の痛みのコントロールは医学の進歩で 随分進んだと 緩和ケアの医師からも聴きます。
生前、神の前で罪を悔い改めることで、 天国という行先をしっかりとまずは確認したうえでの 「終活」は大切。 死に至るまで、 他者のために最後の最後まで功徳を積もうとする 生きざまに感動します。 素晴らしいことですね。 ただし、功徳を積むことは天国に行くための条件ではなく、 あくまでも創造主なる神の前での悔い改めが必須条件、 それが聖書が示すところ、 ここのところは押さえておきたいもの。
ハイパー・サーミヤー療法というのは、 初めて聞きました。 かつて日本最長寿男性だった故人が、 釧路管内の雌阿寒岳のふもとの野中温泉のご主人でした。
野中氏は、生前、毎日温泉に浸かって 新聞読む生活をされていたことを 思い出しました。 42度以上で癌細胞が死滅するとは知りませんでした。 ちなみに、お風呂の温度は42度以上が好みです。 今日もホッカイロをおなかにつけようっと!
そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。 それは御子を信じる者が、 一人として滅びることなく、 永遠のいのちを持つためである。 (新約聖書 ヨハネの福音書3:16)
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2025.10.14 |
事件数 ゼロの状態 継続中!
![]() ![]() 更生保護を担う頼もしい保護司仲間たち
2025.10.13 釧路保護司会桜ヶ岡分区 自主研修会が 桜ヶ岡中央会館にて行われました。
最初、代行として担わせていただいた はずだった、 分区長の働きも あれよあれよという間に 7年目となりました。
私たち桜ヶ岡分区の面々を見ると
元金融業 元刑務官 現役精神科医 歌謡教室主催者 不動産業者 住宅リフォーム業者 主婦 僧侶そして 牧師
見方を変えると 異業種交流の会のようです。
今日の情報交換の中で
道東にある矯正施設 (帯広刑務所、釧路刑務支所、網走刑務所) 内の被収容者数が激減して 総定員の半数を切ったそうです。
犯罪件数が激減している ということで 専門家に 理由を伺うと 「景気がいいから」だそうです。
事実、現在 桜ヶ岡分区地域に限って言いますと 事件数(保護観察実施対象者数 ・環境調整対象者数)がなんと 珍しく0件です!
私が保護司となって 約10年ですが こんなことは 初めてです。
景気動向を 株価や物価で 判断する指標もありますが
刑務所の被収容者数から 推察する 方法も あるのですね。
今日の政局の混迷が メディア等で 叫ばれていますが
それでも 大多数の日本人にとって 刑務所内よりも 娑婆の世界は 依然として はるかに住みよいという 楽観的な見方も できるのですね。
日本は、そういう意味では 比較的、安心、安全で平和な国
コミュニティーが しっかりと 助け合い、支え合い 機能し合っている限り 市井の人々は 安心して生活できるのですね。
保護司たちが 「暇」であることは 幸いなことです。
聖書の神様は 私たち人間を 悪魔の誘惑から 保護してくださる 優しい愛のお方 最高の保護司である 創り主がおられるので 安心です。
正しい人はその中に駆け込み、 保護される。 (旧約聖書 箴言18:10)
保護司活動にご関心、 ご興味のおありの方は お知らせくださいませ! 新人保護司さん募集中です。 先輩保護司が支えますのでご安心ください。 年齢、性別、学歴、職業不問です。
今月、釧路管内では 20代〜30代の若手の新任保護司さんが 与えられ、嬉しい世代交代のうねりが おきかけています!
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2025.10.13 |
胡瓜食み パプリカ食んで 生き生きと
![]() ![]() 2025.10.12
胡瓜の弦を 片付けようと思いましたら 最後かと思われる結実を 見つけました。
ここにも 地面につかんとする 結実を見つけました。
釧路の露地で こんなに寒くなって 結実したきゅうりに お目にかかるとは 思いませんでした。
教会では 礼拝者の皆様に パプリカのおすそ分けがありました。
昨晩と、今朝は 全道リーダー研 ZOOMで 帯広、北見、札幌、苫小牧、旭川、胆振の 皆様と 学び合い 分かち合い 祈り合いました。
晩は午後7時過ぎから9時半まで 朝は午前8時から12時近くまで
どっぷりつかれて 妻と昼食後 お昼寝しようと 思いましたら
町内会長さんと 町内の方が
やや深刻な地域の ご相談事で おいでになり 教会でお話を伺いました。
それに先立ち 今日の午後は ご近所の ご高齢の 男女が我が家の庭の木から落ちた 栗を拾われていました。
女性の方は 顔なじみの常連さんなので てっきり男性の方は 年齢的に見て ご主人様かと思い 「ご主人さまですか」と お尋ねしたら 「いえ、全然知らない人です」 ということで まったくお互いに 見知らぬ人どうしだそうです。
我が家の栗の木の下が 栗拾いを通して 新しい出会いの場となり 語り合う場となれたことは 嬉しいことです。
それにしても 風の強い 寒い日にもかかわらず
散歩に精を出される 人生の先輩の皆様の 体力、気力、健康意識の高さには 頭が下がります。
寒くなると 出不精になるのが私です。
寒くなる前に 赤い羽根の共同募金の お願いの巡回を すませておくべきでした。
晩は、保護司会の ミーティングが 桜ヶ岡中央会館で行われます。
今日は スポーツの日ですが いつの間にか 体育の日が スポーツの日に変わりましたね。
何一つ スポーツできませんでしたが 頭の中は 運動状態が 昨晩から止まらず 休まないとなりません。 いや休めないといけません。
聖書の神様は 6日間で天地を創造され 7日目に創造の手を休めるという ことをなさいました。 創造主なる神は、疲れるお方のないお方ですが 私たちに人間に7日に1日は「休むこと」
1週間に1日は
「ここに憩いがある。疲れた者を憩わせよ。 ここに休息がある」 と言われたのに、彼らは聞こうとしなかった。 (旧約聖書 イザヤ書28:12)
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2025.10.12 |
弱き我 甘い言葉に 距離を置き
![]() ![]() 昨日 80代後半で お一人暮らしのAさん宅を 訪問させていただきました。
Aさんは 最近、70代の男性から 国勢調査の訪問を受けた とのことです。
その調査員は既婚者で 奥様はご健在です。
調査員の方は Aさんとの会話の後
Aさんに向かって 「奥さんのような御年齢で こんなにてきぱきと お話しできる方は 今まで見たことがありません。
どうしたら、そんなに 若々しくできるのでしょう。」
さまざまな、美辞麗句で Aさんのことを 称賛された後に Aさんのことを 「ちょっと抱かせて いただいてよろしいですか」 と言うなり Aさんの背中に手をまわして 抱擁し Aさんの頬を両手で はさむように 触ったりされたそうです。
Aさんは 「あなたのような素敵な人は見たことがない」 等の言葉をかけられ
ポーっと 御自分が 褒められたことの嬉しさで心が 支配されたのか 喜びながら 何度も、何度も 御自分への 誉め言葉を 反芻されていました。
私は途中から、 これは非常にまずいと 思い
「Aさん!注意してください!」
「国勢調査の調査員が 調査対象者の方を 抱擁することは 年齢にかかわらず あってはならないことです。 その調査員の配偶者の方が このことを知ったら どう思われるでしょう?」
「言われてみると そうですね。」
「でも、私のことを 『あなたのような方は見たことがない』 と言ってくださったのですよ。」
「Aさんは、心優しく 人を疑うことなく その言葉を聞いて 反射的に 感激されたのだと思いますが
もしかすると その調査員の方は 他の人にも 同じような言葉を おかけになっているかもしれません。
気を付けてください。
Aさんは もっとご自分を大切に守ってください。」
Aさんは 繰り返し繰り返し 調査員の方からの 褒められた言葉 (私に言わせると「欺瞞に満ちた誘惑のことば」)を 反芻されたので
「何度も言葉にすることで その言葉を発した人に 支配されてしまいかねませんから 気をつけましょう。」
「聖書の言葉ならば 神の言葉で真実ですから 何度反芻しても 幸いですが
罪を有する 不完全な人間の言葉を 不必要に 反芻しすぎることで その言葉を語った人に自分を 明け渡してしまうことに なりかねませんから 気をつけましょう。
もうその調査員の方の言葉を 反芻されることは おやめにしましょう。」
Aさんは 最近特に、 孤独感を覚えて 寂しさを覚えていたようです。
1日中 電話をかけてくる家族以外の 誰とも会話をしない そんな日も 少なくないようです。
社会には おれおれ詐欺をはじめ さまざまな 孤独な方に狙いを おいた悪質な 誘惑があるように 思いました。
一昨日は 赤い羽根募金で訪問中に 聞いた話ですが
ご近所のご高齢の方が 自宅にかかってきた電話に出ると
いきなり 「お宅の電話は、間もなく不通になりますので これから申し上げる電話番号に 電話してください。」
と言われ 怖くなって 受話器を置いたそうです。
その話を ご近所の方にすると 「えっ!そうなの? うちにもかかってきたわよ。 同じような電話が」
このような迷惑電話が 現在、拡がっているようです。
こういう情報を 分かち合える人間関係を 日頃築いている方は まだ予防できそうですが
怖いのは あまりご近所づきあいがなくて 家族同士も 疎遠な単身者の方の場合です。
人類最初の罪のきっかけは エバが悪魔の 甘い言葉の ささやきに 惹かれたこと
そして そばにいた夫アダムが 沈黙をしていたことでした。
甘い言葉に惹かれてしまいやすい 言うべき場面で、沈黙を保ちやすい
そういう自分であることを 自覚しながら 歩みたいものです。
お一人暮らしの方々が 安心、安全な生活を 送るためにも 私たちは 日頃から 近隣の方々との 交流を 大切にしていきたいものですね。
今日は日曜礼拝 老若男女が 集います。
時代が変わっても 変わらない神の真実な 聖書の言葉に 心癒されて お互いに祈り合って 1週間を始められることは幸いです。 お初めての方も ぜひお集い頂けると 幸いです。
もしだれかが何かの過ちに 陥っていることが分かったなら、 御霊の人であるあなたがたは、 柔和な心でその人を正してあげなさい。
また、自分自身も誘惑に陥らないように 気をつけなさい。 (新約聖書 ガラテヤ書6:1)
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2025.10.11 |
赤い羽根 共同募金 感謝こめ
![]() ![]() 先月蒔いた小松菜の葉を 毎朝、10枚前後もいでは 朝食でいただいています。
10月に入りますと 毎年 民生委員としての働きの一環として 赤い羽根の共同募金の お願いで地域を 回らせていただいています。 今年度は 昨日が巡回初日でした。
1年ぶりに お顔を拝見する方々も 多いです。
募金の金額の多さよりも 件数の多さよりも 心の絆を 少しでも深められたらと 強く願うようになりました。
Aさんご夫妻から 「どうぞあがってください。」 と勧められて 居間でお話を伺いました。
お茶をいただきながら 子どもたち、孫たちのこと 色々お話を伺いました。
特に驚いたのは この春Aさんが 大きな手術を なさっておられたこと
Aさんは たまたま肩をぶつけて レントゲンをとられたところ その部位とは全く別なところに 異状が見い出されて精密検査の結果 別な問題が発見できて 早期に治療を行うことができたことを 喜んでおられました。
「けがの功名」と言う言葉を 思い出します。
1年に一回ということで 1年間の変化に気づかされます。
年々空き家が多くなっています。
お亡くなりになった方のことを 巡回していて 聞かされると とても寂しく思います。
ご高齢の方々ばかりかの地域という イメージがありましたが 初めてお会いする若い方々も おられて 「あれ?こんな日中に」 と思いますが 勤務時間帯がよるという方なども いらっしゃいます。
この日のためにと ふだんから 小銭を集めてくださったBさん ありがたいことでした。
玄関でBさんと 一緒に金額を数えました。
とりわけ多くの1円玉を 数えるのはなかなか 難しいものですが 領収書を書いてお渡しするため 慎重に数えさせていただきました。
前年度に巡回した時の地図の コピーも手にしながら 回ります。
留守のお宅は「R」 お断りされるお宅は「N」 このほか「入浴中」のお宅とか 「すでに募金すませた」お宅とか 「空き家」になったお宅とか 色々です。
過去にかなり強めにお断りのお言葉を 頂戴したお宅にも 挨拶がてらお声をかけますと 不思議と 柔らかいご対応をいただいたり 募金にご協力をいただけるケースもあります。
人の心は変わりうるものですね。 また「直接接触効果」 という社会心理学者の 研究にもあるように 「嫌な相手」であっても 接触頻度が増すことで 不思議と親近感を 覚えるようになる場合が あるということもあるので 根気よく回らせていただいています。
「訪問販売お断り」 「宗教勧誘お断り」 の貼り紙は時折見かけても 「募金協力お断り」 の貼り紙は 今のところ、見かけていません。
呼び鈴を押して 何秒間待つか いつも迷うところです。 かすかな音が聞こえる場合 ご高齢の方が 立ち上がって 杖を突いたり 手すりをたどりながら 時間をかけて 玄関に向かわれるケースもありますので 色々な状況を想定しつつ 玄関外で かかと上下運動しながら 待たせていただくようにします。
「すでにコープさっぽろ前で 赤い羽根募金したよ」 と言う方には
ピンク色のパンフをお見せして 「その際には、これをいただきましたか?」 「いや、それは、もらわなかったわ。」 「この用紙には、昨年、皆様の募金が どの団体に、どれくらい使われているか 内訳が書かれています。」 と説明させていただくことがあります。
自分が募金したお金が 額の多少にかかわらず どのように利用されているかを 知ることも大切なことと 思います。
たとえ10円でも5円でも 領収書を書きます。
領収書を書いたり それをちぎったりしながら 「針がいいですか、それともシールがいいですか」 とお尋ねします。
赤い羽根は針だけというイメージが ある方も少なくなく 「シールってどういうのですか」 と尋ねられる方が 結構いますねえ。
今月は テレビ、メディア等で 映し出される 国会議員の皆さんの多くも 赤い羽根を 胸につけられているケースが多いので 「赤い羽根」共同募金の お願いをしやすい時期ですね〜
赤い羽根募金の起源について
むかし、ヨーロッパのある村で1人の牧師が、 道端の樫の木に「与えよ、取れよ」と書いた箱をつるしておきました。 生活に困っている人や病人、 老人を助けるためのものでした。 多少とも余裕のある人はその箱の中にいくらかのお金を入れ、 困っている人は箱の中から 必要なだけお金を引き出して役立てました。 現在の赤い羽根共同募金運動に 受け継がれたといわれています。 日本では1947年、始まった当時は金属製の ブリキのバッジだったそうですが コストがかかるので 赤い羽根になったそうですね・・・ 共同募金の仕組みがあるのは 世界40か国ほどだそうですが 赤い羽根をシンボルとするのは 日本だけだそう・・・ 米国で1948年ごろ水鳥の羽根を赤く染めて 使用していたことなどを参考にして 日本で当時、不用のものとして鶏の羽根が 注目されたそう。
「不用の用」の理念のもと このたび 北川博士のノーベル化学賞につながる 「金属勇気構造体」(MOF)が 注目されたことを 思い出します。
ところで
なぜ、そもそも「赤い羽根なのか」
諸説あるそうですが 二つご紹介しますと、
1つ目は… 14世紀 勇敢な行いをした一人の勇者に 赤い羽根を付ける権利が与えられた、 その男の名前はロビンフッドというイギリスの伝説。
2つ目は… アメリカのある先住民の間では過酷な戦いに勝利した 勇者のみ赤い羽根の着用が許可されたとうお話。
ある意味で赤い羽根募金は 聖書が教える「隣人愛」の「勇気の実践」のひとつ のようであるかもしれませんね。
この地上の歴史で 隣人愛の実践のために 最大の勇気を示された模範者は イエス・キリスト
罪なき神のひとり子イエスキリストは 天国の栄光の座にありながら 私たちが罪の中で滅んでしまわないようにと あえて、人間の姿をとって わざわざこの地上に来られて 人々から、 唾をかけられ こぶしでたたかれ、 平手打ちされ いばらの冠を あてがわれ 骨片や金属片のついた 鞭で内臓や骨が露出するほどまでに ひっぱたかれ 全身 素っ裸にされて いたぶられたあげく 十字架に釘で刺し通され 私たちのすべての罪の刑罰を 身に受けて 私たちのしりぬぐいをすべく 死んで償いをされて よみの世界にまで下り 死に打ち勝ち 三日後に復活されました。
キリストの勇気は 神の愛の証明そのもの
赤い羽根の赤色を見るたび 私たち人類のために 示された 神の史上最大の愛を
十字架にかかられた キリストの勝利の血潮を イメージしないではいられません。
あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。 あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。 わたしは主である。 (旧約聖書 レビ記19:18)
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2025.10.10 |
全世界 隅々にまで 福音を!
![]() ![]() 昨日は 釧路市桜ヶ岡の住宅街を 街宣スピーカーをつけた 軽四車両がゆっくりと通過しました。
その晩、ナイト・ウォークの 最中に バス通りわきの倉庫に 最近 貼り付けたばかりと思われる 大きな真新しい 「キリスト看板」が 目に留まりました。
日本全国、どんな僻地にでも 見られる光景ですね。
現在 宮城県丸森町の 聖書配布協会の皆さんが 釧路市のあちこちで 聖書の言葉が書かれた 冊子やパンフレットを ポストティングされていますね。
すでに 釧路市内で 受け取られた方々も いらっしゃることでしょう。
ユニークな伝道方法では ありますが あらゆる方法で キリストが伝えられていることは 感謝なことです。
一人でも多くの方の心に 聖書の言葉を通して イエス様の愛が届きますように。
見せかけであれ、真実であれ、 あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、 私はそのことを喜んでいます。 そうです。これからも喜ぶでしょう。 (旧約聖書 ピリピ書1:18)
聖書配布協会の皆さんの働きは 「キリスト看板」 (きちんと、所有者に許可を得て 貼られています。 無断で貼っているのではありません。 他方、時折、道端に見られる多くの某政党看板は、 所有者や行政に無断で立てられて いるケースが多く、こちらについては、不法で、 取り締まられるべきかも) や 「街宣カー」や 学校前や戸別訪問配布や 東京都心での立ちんぼによる 看板掲揚などが ユニークで よく知られるところですが
それは言い方を変えると 平和時のこと
東日本大震災の時には 東北地方で どこの自治体や 社協よりも いちはやく 千人以上収容可能な 自分たちが管理する幼稚園を避難所として 開放し、無料で食料や水等を 供給し、
行政機関や、 国内外の多くのボランティア団体や、 消防、警察、 自衛隊のみなさまにも 先駆けて
超大型トラックで 支援物資を 被災地に 運ぶ働きをされて 東北地方の被災地の皆さんの間では とても感謝され尊敬されています。
平和時には、無料で聖書の配布物を 緊急時には、無料で食料と水の配布物を 配られている 無料で最も必要としているものを 配布する点で 徹底されています。
そのような社会的に見て 良い働きに対して メディア はほとんど 触れることは ありません。
また聖書配布協会の方々も 自分たちのボランティア活動を 公にアピール事もしないのは 聖書の中で イエス・キリストが 「あなたが施しをするときは、 右の手がしていることを 左の手に知られないようにしなさい。」 (新約聖書 マタイの福音書6:3) の命令に ただ忠実に従っているだけのことです。
あるテレビ局が 「キリスト看板」を見て 怪しい団体ではないかと 潜入取材をすべく 宮城県の活動拠点に 向ったところ 近隣の派出所の おまわりさんから 「あの人たちの 生活ぶりは 立派です。」と こっぴどく叱られたそうです。
聖書配布協会の方々は 配布奉仕する際には 宿泊施設を利用せず 近隣のキャンプ場などで テント生活などを しながら全国を 回られています。
かつて 釧路の晩秋の寒さの厳しい 雨風のひどい中 聖書配布協会の方々が 配布作業をされている姿に 感銘を受けた 私どもの教会員の方が声をかけ 銭湯代を出して 背中を流して 差し上げたことを 聴いて、心が和み ああ、イエス様は さぞかし、喜んでおられるなあと 思いました。
わざわざ、釧路まで おいでくださり 釧路市内の わたしたち教会の伝道不足を 補うがごとく 労苦してくださり 感謝します。
「全世界に出て行き、 すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。 (新約聖書 マルコの福音書16:15)
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2025.10.09 |
孫の手の 先に見えるは 孫の友
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おともだち(写真左)といっしょ うれしいね
だいすき〜
おともだちといっしょ たのしいね
ラインで送られてくる 孫の写真や動画を観ては その成長ぶりに 日々驚かされています。
孫が通っている教会には 孫より一ヶ月前に生まれたAくん 二ヶ月前に生まれたBくんという おともだちがいて いつもいっしょだそう 楽しそうで よかったなあ
スリーボーイズと 呼ばれているそう 見よ。なんという幸せなんという楽しさだろう。 兄弟たちが一つになってともに生きることは。 (旧約聖書 詩篇133:1)
米国スタンフォード大学の名誉教授で 社会心理学者 ロバート・ザイアンス氏が 人は、接触回数が増えることで 警戒心が薄れ 好意や親近感を 抱きやすくなるという 心理効果があることを さまざまな実験結果を通し実証し 「単純接触効果」を唱えましたが ザイアンス博士が 実証実験をするよりも はるか3000年前から 聖書ではそのことを 当然のごとく語っていますね。 やっぱりバイブルは 神のことば! 孫は、スリーボーイズの中で最年少で 当初は、 他の二人から ちょっとでも アクション(ちょっかい) 受けるたびに 泣いてばかりいたようですが 最近では、 泣かなくなるどころか むしろ積極的に かかわるように・・・ うーむ、すごい変化! ザイアンス博士が言う通り いや、聖書が語る通りですね〜 これは、幼子に限らず 私たち、大人も同じ ふれあう頻度(適度な間隔をもって) は大切らしいですね。 (※ただし、単純接触効果の法則は、人だけでなく 非人格的なものについても適用されるようなので 今日懸念されている、生成AI、Chat-GPTなどとの 接触(対話)は、よほど警戒しなければなりませんね〜。) 今、自分にとって 疎遠になってしまっている人は いないかなあ ライン、メール、手紙、訪問 を試みるそんな1日を 送りたいです。 ご近所のAさん(80代後半)が 同じ市内にお住いの 息子さんと、疎遠な状態に あることを うかがって・・・ 祈りつつ、 息子さんに 昨晩私の方から お手紙を書いてみました。 親子の和解が実現しますように。 キリストは 聖なる父なる神と 罪深い私たち人間の 溝を埋めるべく 仲介をし 和解の実現のために この地上に来られ 十字架で私たちの罪滅ぼしを されたことを かみしめながら 和解の務めに励みたく 思います。 これらのことはすべて、神から出ています。 神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、 また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。 (新約聖書 ?コリント5:18)
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2025.10.08 |
塀の中 地の塩として 歩まんと!
![]() ![]() 2025.10.7 今月の釧路刑務支所での 集合教誨・個人教誨
Aさんに 「お父さまは、その後いかがですか?」
娑婆の世界で 息子さんの出所を 待ちわびておられる お父様のご病状をお伺いしました。
重篤な病の中 医師から告げられた余命期間は 1か月前に過ぎています。
きっと 息子さんに会えるまで 頑張って生きよう というお父様の強い思いが 医師の宣告期間を 伸ばさせているかのよう
Aさんは 刑務所内で 福音を聴いて イエス様を信じて 洗礼を受けられました。 今では 施設内では キリスト者として知られ 地の塩として 歩まれています。
担当の刑務官の方から
Aさんほど、受刑者の仲間たちから 信頼され 相談に乗ってあげられる 受刑者を 今まで見たことがない・・・
そのように評価されているほど キリストを信じた後のAさんの生き方は 変えられたようです。 それを聴いて嬉しく思い 主を讃えています。
例えば 性犯罪を犯し 受刑者仲間からも 白い目で見られがちな方や LGBTQの当事者の方や 外国人で受刑者の方や イスラムの信仰が軽んじられ 悩んでいる方、 刑務官から 理不尽な取り扱いを受けて 当惑している方などが Aさんのところに 話しを聞いてもらいに 来るそうです。
受刑者の中には 生い立ちの影響もあってか 自分自身が大切にされた経験が 乏しいがために
他者に対してのみならず 自分自身に対する 自尊心や 人権意識が低く
受刑者仲間や 刑務官から 尊厳を傷つけられても 「自分はそういうものだからだ」 と受け止めて、あきらめてしまう人が 少なくないそうです。
聖書を通して 健全な人間の尊厳を知ったAさんは そんなお仲間たちの心に 寄り添いながら 「健全な抵抗の大切さ」にも言及し 励ましておられます。
「黙っていた方が無難」 「抵抗すれば、『口答えした!懲罰だ』 ととらえられかねないから 我慢することにしよう。」 そういう方は 少なくないそうです。
Aさんはそのお一人お一人の お話を 丁寧に聴いて 受け止めて おられます。
かつて けんか早かったAさんは キリストを信じて 今では がらりと変えられたと 仰っておられます。
Aさんは お父さまのためにも 一刻も早く出所希望されていますが Aさんがいなくなった後 Aさんの役割を担う 方が施設内には 必要だなと思わされます。
創世記に出てくる ヨセフのことを 思い出します。
刑務所の塀の中の 受刑者の間に キリストの証人が 遣わされていく必要が ありますね〜
宗教教誨の重要性を 改めて痛感させられます。
最近は 刑務官不足による 採用基準のゆるみがあるのか 採用後の新任研修が不十分なのか 若い刑務官の方々(ごく一部でしょうが)の 倫理性の乏しさが なんと受刑者から 指摘されています。
大多数の刑務官は 忠実に誠実に 真摯に更生・指導に取り組まれていますが 中には 例えば 受刑者の方に向かって 「お前の人生、終わったな」 という 更生の意欲を減退させるような 言動もあると 聴かされます。
法改正で 名前を呼び捨てにしないで さんづけにしたり 拘禁刑という仕組みへの移行が 公的には 打ち出されてはいるものの 現場では なかなか浸透するには 時間がかかるなあという 思います。
受刑者のみならず 受刑者の方々に接する刑務官の 方々のメンタルケアの必要性も 痛感します。
だれでもキリストのうちにあるなら、 その人は新しく造られた者です。 古いものは過ぎ去って、 見よ、すべてが新しくなりました。 (新約聖書 ?コリント書5:17)
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2025.10.07 |
釧路市の 中高生に バイブルを!
![]() ![]() 「ビジネスマンたちの ライオンズクラブやロータリークラブは 聴いたことがあるけど ギデオン協会って聴いたことがないなあ」 と仰る方のために ギデオン協会は 無料で聖書を、ホテル、病院、矯正施設等に 贈呈配布する国際的な非営利団体です。
2025.10.6 日本国際ギデオン協会の 皆さんが 昨朝は、好天候の中 釧路市内のいくつかの中学校と 高専の前で 新約聖書贈呈 無料配布を行った後に 会堂に集って報告会を行いました。
なぜ、コストがかかる印刷物が 無料かといえば クリスチャンのビジネスマンたちが 資金を出し合い また教会もささげているためです。
配布奉仕をされた皆さんは 札幌、北見、旭川、中標津など 全道各地から おいでくださいました。
最も遠方から配布奉仕に 駆けつけてくださったAさんは 何と栃木県の 那須塩原市から おいでくださいました。
釧路市の中高生に 聖書を 手渡すために 飛行機代往復 かけて栃木から おいでくださったその 謙遜かつ柔和さに満ちた 救霊の熱い思いに触れさせていただき 感動しました。
Aさんは栃木県北部から 約40年間 東京の会社(NTT)に 通われシステムの構築に係る 重要な任務に就かれています。 還暦を過ぎて 契約社員となられて 社会で貢献しつつ クリスチャンビジネスマンとして 証しておられます。
Aさんの 集っておられる教会の 牧師さんの名前が わが家の長男の名前と 漢字と読み方も合致していることも 不思議なめぐりあわせと 思いました。
さて、釧路市内で 昨日聖書を受け取られた 中高生の皆さん、 ぜひ、聖書を通して 救い主イエス・キリストについて 知って、信じて この方に信頼して この方に日々祈り、尋ねながら これからの人生を 歩まれてください。
近年生成AI,Chat-GPTなるものが 普及し 多くの若者が 人生の難問に直面すると 「ひと」に相談せず それらに 相談する傾向にあり 非人格的なChat-GPTが あたかも人格があるかのように 「じぴちゃんに相談しよう」 のように気軽に 利用する若者が世界的に激増中で 米国の連邦議会では Chat-GPTの利用を通して 自らの命を 絶つことを 選び取ってしまった若者の親たちが 証言し、警告を発していることが 報じられています。
世界で唯一 日本と韓国だけが スマホの規制がないそうです。
というか メディアのコマーシャルで むしろ 宣伝している現状です。
便利なものには 絶えず メリットと デメリットが あるのはいつの時代も 共通していますが
人間は、創造力に富む神に似せて 造られたので さまざまな物を素材にして 創造する能力が備わっていますが 私たち人間は 皆、創造主なる神に背を向けてしまった 罪びととしての 性質を有しているので それらの物が 悪用して暴走してしまう 可能性があります。
昨日、ノーベル医学・生理学賞の 発表があり、日本中が沸き立ちましたが 人間の体内にある免疫は 本来自らを傷つけることは なかったはずのに 人類の歴史に罪が入ったことにより 自らを攻撃してしまう 性質を有するようになってしまいました。
しかしそれが暴走しないように 抑制する免疫細胞が あることを発見したという功績が 認められたということですね。
自己免疫性疾患で苦しまれている 関節リューマチで苦しんでいる方々 1型糖尿病で苦しんでいる方々をはじめ アレルギー疾患で悩む方々にとって 福音であり
様々な 医療分野での 臨床に役立つことが期待されていますね。
さてこの暴走する免疫を 抑制する細胞は 何のために 誰が備えたのかまでは さすがのノーベル賞受賞されたご本人も 質問されても 答えに窮すると 思います。
もしクリスチャンの科学者ならば 「それは、暴走させないための ブレーキとして 創造主が 備えたものに違いありません。」 と即答されることでしょう。
ちなみに 受賞された方の坂口さんのお名前が 「志文」(しもん)さん 聖書でなじみのある キリストの12弟子のひとり シモン・ペテロのシモンを 連想された方も多いことでしょう。
聖書に由来する名前かなあと思いましたが お兄様にあたる「偉作」(いさく)さんが 「西洋哲学に造詣の深かった父が聖書から 引用された」と語られたそう。
生成AIやChat-GPTの暴走現象が 現在、日本も含めて 多くの若者たちの間に急激な勢いで 感染拡大進行中です。
日本のみならず世界中の 若者たちのマインドが 支配されてしまいかねません。
かつてはWikipediaの情報が より客観的で汎用性のある情報を提供してくれる と言われていましたが
wikipediaの創設者は その限界や不十分さを 創設当初から認識し ご自身が神の前に自分の罪を認め キリストを信仰されている方であると 聴いています。
しかし生成AIやChat-GPTそのものは 情報提供のみならず 「(歪んだ、非道徳的、非倫理的)指示」さえも出す機能が あるところが 極めて恐ろしいところです。 死に至らせる可能性があるという点において 悪魔的と言う言葉は 決して言い過ぎではないと 考えます。
あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、 あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。 悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。 彼のうちには真理がないからです。 悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。 なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。 (新約聖書 ヨハネの福音書8:44)
医学の分野では 症状を入力して 飲むべき薬や治療方法を 生成AIやChat−GPTに尋ねて 医師や薬剤師や検査技師を通さないで 治療法や服薬選択が 迅速になされる便利さが 予想される半面
リアルな人と人との ふれ合いの中でしか気づけない部分 分からない部分が あるというもの。
話しは長くなりましたが、 中高生の皆さん 人生で困ったときは 生成AIやCha−GPTではなくて あなたをリアルに愛して あなたを 母親の胎内でリアルに創造され あなたを愛するがゆえに
歴史的事実として この世に来られて 十字架で 命をもささげてくださり 死んで、肉体をもってリアルに復活し 永遠に生きておられる聖なる方の言葉に 聴き従う生き方こそが 唯一、安全、安心の生き方です。
・・・ということで 昨朝受け取られた 新約聖書を どうぞ「神様、よくわかるように助けてください。」 そう祈りつつ読んでみてください。
どういう意味かな? と考えながら読むのも良し
神様は、こう言っているんだ〜 と受け取るように 読むのは尚良し
一人で読むと、自分勝手な解釈を してしまいかねないから 教会に行って、誰かと一緒に読むのは さらにお勧め!
釧路中の キリスト教会は 中高生のあなたと一緒に 聖書を無料で学ぶお手伝いを できるように 「待ってました!」と スタンバイしています。
このブログをご覧いただいている方で ごいっしょに 無料で 聖書を学びたい中高生を含む すべての世代の方々からの ご連絡をお待ちしています。 (対面で、ラインで、メールで、 あなたが好む方法で)
免疫の守護者、 制御性T細胞の発見には 当初、周囲の人から 「そんなもの、あるわけない!」 と無視され、批判され、反対されながらも あきらめずに 忍耐をもって 研究を積み重ねた結果の発見だったそう。
聖書を通して 若者たちは人生の守護者、 イエスキリストを 必ずや発見できます。 イエスキリストを求める人は 周囲から無視され、批判され、反対されることも あるでしょう。
それでも、あるものは必ずある いるお方は必ずいる!
イエスキリストを 発見できた(信じた)一人一人には ノーベル賞にまさる「賞」が 天に用意されています。
あなたの創造者を覚えよ。 わざわいの日が来ないうちに、 また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。 (旧約聖書 伝道者の書12:1)
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2025.10.06 |
あの時は 少年、今は 二児のパパ
![]() ![]() 2025.10.5 中学高校時代に 教会生活を送ったAくんが 埼玉県から 帰省し 教会の礼拝に出席し 皆で懐かしがりました。
今では2児のパパです。 嬉しいですね〜
2歳の娘さんが 「ママ〜何か食べたい〜」 と繰り返し せがむ声が耳に入り その愛らしい声を聴きながら 「イエス様〜、み言葉食べたい〜」 と幼子のような信仰者でありたいと 願いました。
幼子たちからは 教えられることしか ありませんね〜
幼子たちにとって 教会が 退屈なところではなくて 楽しくて リラックスできて みんなから 思い切り大切にされて 愛される場でありたいと 願います。
あなたは御力を打ち立てられました。 あなたに敵対する者に応えるため 復讐する敵を鎮めるために。 (旧約聖書 詩篇8:2)
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2025.10.05 |
謡いましょ! 「大きな栗の 木の下で」
![]() ![]() 2025.10.5 大きな栗の木の下で わが家の庭には せっかくの大きな栗があるので 毎朝、その大きな栗の木の下に立って 見上げることにしました
大きな栗の木の下での 歌を歌いたくなります。 1番しか知りませんでしたが 2番も3番もあるんですね。
大きな栗の木の下で あなたとわたし なかよくあそびましょ 大きな栗の木の下で
大きな栗の木の下で おはなししましょう みんなでわになって 大きな栗の木の下で
大きな栗の木の下で 大きな夢を 大きく育てましょう 大きな栗の木の下で
歌詞の2番目と3番目の 作詞者、詩人・作家の阪田寛夫(さかた ひろお)さんは、 熱心なクリスチャンでした。 ご両親がクリスチャンで、 幼い頃から賛美歌を聞いて育ち、 ご自身も日本キリスト教団南大阪教会の信徒さんでした。 彼の文学には、キリスト教の精神と、 賛美歌の言葉を歌遊びのように用いた 童謡の創作に影響が見られるそうです。
「さっちゃん」とか「ねこふんじゃった」も 阪田さんの作詞の中で 私たちになじみがありますよね。
聖書の中で イエス様のお弟子さんの一人 ナタナエルさんは イチジクの木の下にいる所を イエス様の優しいまなざしの対象として 目に留められた という素敵なお話を思い出します。
ナタナエルはイエスに言った。 「どうして私をご存じなのですか。」 イエスは答えられた。 「ピリポがあなたを呼ぶ前に、 あなたがいちじくの木の下にいるのを見ました。」 (新約聖書 ヨハネの福音書1:48)
私も栗の木の下に立つたびに イエス様の目に留められていることを 不思議と感じることができて ジーンときます。
皆さんも、ぜひ、試されませんか?
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2025.10.04 |
栗の木の 下に繁茂す 小松菜よ
![]() ![]() 2025.10.4 小鳥のさえずりが 美しく響く わが家の庭の栗の木 今年の秋は多くの実がなり 教会の皆さんや 御近所の皆様におすそ分け出来て 感謝です。
私たちがこの地に居住する前に この栗の木を植えてくださった Aさんに感謝
今年の我が家の庭の 夏野菜の収穫は終焉を迎えつつありますが 先月思い切って蒔いた 小松菜が 栗の木の繁茂する枝の下で 元気に茂っているので 毎日いただいています。
今朝は もう終わりと思っていた 胡瓜が3本も収穫出来ました。 完全に弦を処分しなくて 良かったです。
10月に入り 朝夕の冷え込みが 徐々に身に沁みるように なりました。 ようやく扇風機をしまえそう 扇風機をしまうと同時に 灯油ストーブの準備が必要
季節を賜る主に感謝
太陽はその沈むところを知っています。 (旧約聖書 詩篇104:19)
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2025.10.03 |
光星の 同級生と 秋刀魚食む
![]() ![]() 2025.10.3 札幌光星高校時代の 同級生Aくんが 札幌から 訪ねてくれて 一緒に夕食 ともに秋刀魚刺身定食を いただきました。
新鮮な秋刀魚のお刺身が とても脂がのって ワサビと生姜とともに 食べると 口の中が エデンの園状態に なりました。
Aくんとは 高校時代 定期テストの最終日の お昼には 札幌の 狸小路のピザのシェーキーズで 決まってコーラを飲みながら ピザの食べ放題で これでもかと言うくらい ピザを 食べ合ったなあと 45〜6年前の 思い出話をしていました。
ところで あの店、まだあるかね?
いや、もうない!
えっ!そうなのか!
巨大な円筒状の水槽内を 気持ちよさそうに泳ぐ魚とか 軽快なエイの泳ぎを眺めて 癒されましたね〜
高校時代の若きエネルギーを 充填して エイエイオー!
マスコットの 釧ちゃんは 私に似て左目が細いので 親近感を覚えます。
釧ちゃんの モデルは Hiroさんじゃないか!
Aくんの名刺を見ると 某大学の「教授」となっていて
「おっ!すごいじゃないか! 大学教授か!」
「いやあ、教授と言っても 特任教授さ」
「特別に任じられたってことで すごいじゃないか!」
Aくんは 大学の特任教授の傍ら 小学校で ボランティアとしても 活動しています。
長年、幼稚園教育に たずさわってきたAくんは
「自然環境」と「幼児教育」の かかわりについての 研究実践にかかわり
釧路では この分野において 先進的な活動を実践している 釧路市フレンド幼稚園の 遠矢にある「森のようちえん」こと 「もりんどの森」も 見学されてきたとのこと。
私は高3で洗礼を受け Aくんは大学で洗礼を受け
クリスチャン同士ともなり お互いの家族や お働きのためにもお祈りし合うことができて 幸いでした。
札幌市から釧路市まで ホンダのフィットで 高速道は使わず 6時間半かけて 下道を通って 運転してこられたまじめなAくん 高校時代からのまじめさは 何十年たっても変わらない 帰りの道も守られますように!
学級写真でも隣だったね 札幌光星高校3年次 1981年
若き青春時代
当時は、男子校だった 札幌光星高校
男子校だと 平気で教室で 屁をこくという 驚愕の事実 これが共学と異なる点か・・・
おお光星光星 我等が母校!
札幌更生高校の校章
当時「たくわんバッジ」と呼ばれましたね!
最初に聖書に触れる きっかけを 与えてくれた母校です。
あなたの創造者を覚えよ。 わざわいの日が来ないうちに、 また「何の喜びもない」 と言う年月が近づく前に。 (旧約聖書 伝道者の書12:1)
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2025.10.02 |
秋のラン 暑さやわらぎ 脚軽く
![]() ![]() 2025.9.30 9月の走り納め 快晴の釧路市美原
先週と同じキロ当たり5.39
キロ5分台で走るには 真下着地が正確にできていること
キロ4分台で走るには 地面からの反発力をしっかり 受け取る身体姿勢が整っていること
が大切だそうですが
足の速さを慕い求める以上に 脚を賜った主を慕い求める者 でありたいです。
人の足の速さを好まれない。 御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。 (旧約聖書 詩篇147:10〜11)
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2025.10.01 |
いがを突き 栗の実採りて ご満悦!
![]() ![]() 2025.9.30 お隣の町内会に お住いの70代のAさん にとって 毎日の散歩道にあたる わが家の前
Aさんは 嬉しそうに この日の朝 いがから栗を取り出して 喜んでおられました。
Aさんとの最初の 出会いは 数日前のことでした。
「すみません、だんなさん、 落ちている栗とっても いいですか?」
と尋ねられ、
「どうぞ、どうぞ、ご自由に おとりください。」
その翌日に 玄関の呼び鈴が して 「どちら様ですか?」
「栗拾わせてもらった者です。」
戸を開けてみると Aさんが 沢山の冷えた缶ビールを抱えて
「これ飲んで!」
「ありがとうございます。 せっかくですが、 私、お酒は飲まないんです。」
「え!じゃあ、奥さんに!」
「妻も飲まないんです。」
「え?どうしてだい? どうして飲まないの?」
「私、あそこの教会で牧師をしているのです。」
「そうなの、宗教で飲めないの?」
「そうではなくて、私は牧師として 苦しんでいる方のところに いつでも運転してかけつけることができるように アルコールは飲まないことに 自分で決めているんです。」
「へ〜そうなのかい。」
「でも、困ったな〜 私は栗をただでもらうことはできないから・・・」
「そんな、気を遣わないでください。」
「そういうわけにはいかないよ。 気を遣わないわけにはいかないよ。」
「奥さんが元気でいてくれることが 何よりもの、お礼ですよ。」
「そういうわけにはいかないよ。」
「奥さんは、飲まないのですか?」 「私は飲まないんだよ。」 「では、ご主人は? 「うちの主人は今ではやめているんだよね。」 「そりゃ困ったね〜」
そんなやりとりが しばらく続いた翌日のこと
ふたたび 玄関の呼び鈴が鳴り Aさんが今度は 沢山のお茶のペットボトルを抱えて おいでくださいました。
「 その人たちはお返しができないので、 あなたは幸いです。 あなたは、義人の復活のときに、 お返しを受けるのです。」 (新約聖書 ルカの福音書14:14)
お返しはいらないのにと 思いましたが Aさんの お気持ちが どうしても おさまらなさそうで しかも これからも 心置きなく Aさんに 栗を拾っていただくためにも
今度ばかりは お断りするのははばかり 感謝していただくことに なりました。
Aさん曰く 「私は長年散歩していて ここを通るんだけど 毎年秋になると 栗の木があるなあと思っても
いがばっかりが 落ちているなあ。
釧路じゃ やっぱり 栗の実がなるのは 難しいんだろうなあっと。
ところが
今年は珍しく実が 沢山入っていたり 落ちているので 驚いて たんだよ。 今日も採っていっていいかい。」
「もちろんですとも。 どうぞ、どうぞ、遠慮なくお取ください。」
「もしよかったら、うちで採ったのを 差し上げましょう。」
「いやいや、私は誰かが拾った 栗は欲しくないんだ。 自分で、いがをつついて割って開いて 採るのが好きなんだよ。 なんか、こう自然を満喫できるというか なんというか・・・」
「そうですか・・・」
「では いがが手に刺さるので 痛いでしょうから 手袋お貸ししましょう」
「いやいやこの『ぼっこ』でつつくからいいよ。」
しばらくいがをつつきながら 楽しんでおられるAさんと 談笑。 お仕事のこと、ご主人のこと お子さんのこと、お孫さんのこと 健康のこと 飲んでいるお薬のこと 血圧のこと 故郷のこと 毎日の散歩コースのこと
あれこれ、あれこれ お友だちに なれたかなあ〜
「今度よかったら、 あそこの教会で毎週日曜日 午前10時から 礼拝をやっているので いらしてください。」
数年前に わが家の前で 栗を拾われた 80代のご婦人が その栗をきっかけに 教会のバザーに来られ、礼拝にも来られ 聖書の学びをされて ついにイエス様を信じられました。
そのきっかけは この栗でした。
私はこの栗の木の実が 良く熟するように 労苦したわけでもなく 実がなるように お祈りしたわけでもなく ただ放置していただけなのに
創造主なる神様の お恵みで 今年は 珍しいほどの豊作で 驚いています。
釧路でも栗の木があるんだ と驚く人や 釧路でも栗が実るんだ と驚く人もおられます。
桃栗三年柿八年と言いますが もともと 私たちがここに32年前に 住まう前に お住まいだった方が 栗の木を植えられていたので
この栗の木は すでにあった木でした。
1年に数個落ちていれば 喜び
数十個実が落ちれば 驚き喜んでいたのですが
今年に限って言えば 数百個、もしかすると 千個以上も採れているかも〜
この栗をきっかけに 道行く人と 新しい人間関係が築かれて お友だちに なれると 嬉しいです。
願わくば 栗をきっかけに 教会にも導かれ イエス様を信じて 栗の実ならず 永遠の命も受け取られて クリスチャンになる方が 起こされたら 尚嬉しいです。
栗を拾ってクリスチャンに!
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2025.09.30 |
九月末 胡瓜終えても 栗はまだ
![]() ![]() 2025.9.30 暑かった釧路の9月も結びの日 となり キュウリの収穫も今日が ほぼほぼ結びとなりました。
この夏の暑さは キュウリやトマトなどの 夏野菜を通して 支えられました。
収穫の恵みを 賜った 創造主なる神さまに 感謝します。
わが家の庭の栗の木の実は まだ落ちてきています。
ありがたやまの くりきんとん
栗の木は 暑い夏の日には 木陰を作って 道行く人を 慰めてくれました。
そこに 立っているだけで ありがたがられる 栗の木
私たちは 一人一人 そこにいるだけで ありがたい存在であることが わかればわかるほど その自己肯定感がばねとなって 生きる意欲が 沸き立つのですね。
神の力によって生きておられます。 私たちもキリストにあって弱い者ですが、 あなたがたに対しては、 神の力によってキリストとともに生きるのです。 (新約聖書 ?コリント書13:4)
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2025.09.29 |
地には栗 枝にはリスが 舞い降りて
![]() ![]() ↓↓↓ 切り取って 拡大し編集しましたら ↓↓↓
こんにちは!リスちゃん!
2025.9.28 日曜の昼下がり わが家の居間で 妻が属するセルグループ 「オリーブ」の皆さんが 団らんしている時 メンバーさんの御一人が わが家の今の窓越しに見える栗の木の枝を リスが移動するのを見つけて 「あ!!リスがいるわ!」 皆さん、外に出て接近したところ リスちゃんは 逃げることなく ジーっとみんなの方を見ていたとのこと
スマホの写真画像を 切り取り調整すると リスと目と目が 合っている様子が 伺えます。
↓↓↓ こちらも 切り取って 編集してみましたら ↓↓↓ こんにちは! リスちゃん!
ばっちり目が合っていますね。 もうお友だちになりましたね。
この地域に住んで32年間たちますが (エゾ)リスちゃんに遭うのは 初めてです。 狐はエキノコックスが厄介だし 鹿は球根類があれば食い尽くされるし 熊が出ようものなら命が危険にさらされますが リスちゃんなら お互いにとって いいかもしれません。
それにしても このエゾリスちゃんは 一体全体 どっから
「あそこに家の庭の木の 栗の木の実は 今年に限って 豊作らしいよ!」
という情報を 聞きつけて やってきたのだろう?
人間社会のSNS発信にまさる 動物たちのネットワークでもあるのかな
たとえば カラスさんとか 小鳥さんたちから 「エゾリスさんに教えてあげよう」 と思われて 情報を受け取り 翼の大きな猛禽類たちが 「俺たちが運んでやるよ」と 自分たちの翼の上にのせて 運んできてもらったのかなあ
「翼の上にのせて連れてこられた説」の 信憑性はいかに???
聖書の神様は 430年間 エジプトで 奴隷状態で酷使されていた イスラエルの民の 悲鳴を聴き 苦痛をご覧になり そこから脱出させて シナイ半島を 旅させて 約束の地に向かわせるにあたって 「わしの翼に乗せて」 と比ゆ的に その優しい庇護的な愛を 表現されました。
あのか弱い エゾリスちゃん (1歳になるまでに 75%が絶命してしまうそう)が 危険に満ちた 道路を旅するとは 考えられず 猛禽類の 翼の上で 守られながら 我が家の栗の木に 届けられたのかなあ・・・・
また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、 わたしのもとに連れて来たことを見た。 (旧約聖書 出エジプト記19:4)
今まで 地面ばっかり見て 落ちた木の実にばかり 意識を集中していましたが もっと 枝枝を見て エゾリスちゃんたちが 来ていないかなと 上にも意識を集中したいです。
そして 私の人生も この世の煩いごとに ばかり 心を留めていないで もっと 上を見上げて 天に思いをはせて 歩む者となりたいなあと 思いました。
あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、 上にあるものを求めなさい。 そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。 地にあるものを思ってはなりません。 (新約聖書 コロサイ書3:1〜2)
そういう意味でも エゾリスちゃんは 多くの真理を 教えてくれる 創造主が遣わした 使者のようだなあ
食欲にかりたてられ 地面に落ちた 動かざる「クリ」ばかり見ていないで 主が遣わした 枝枝の向こうの天が視野に入る 敏捷性に富んだ「リス」も 「チャン」と見よう これぞ 「クリスチャンなり!」
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2025.09.28 |
運転中 気づく玄関 置き忘れ
![]() ![]() あ、家の玄関に 忘れてしまった!
家からどこかへ 出かける際に 持って行くのを 忘れないようにと 玄関に あれこれ あらかじめ置いておく ことが増えましたが
その一方で 玄関に置き忘れることも 増えてきました。
今年の秋の わが家の栗の木の実が この30年間で 最多の豊作で 妻が美味しい具合に 湯がいてくれて あちこちに お配りさせていただいています。
標茶原野の教会の 皆さんに 妻がゆがいた栗をお届けする予定で わざわざ 妻は、私が忘れないようにと 玄関においてくれたにも かかわらず、 私は玄関にそのまま 置き忘れて車に乗り込み 運転して しばらくしてから 思い出して ああ、何たることか!大失態 標茶から夕方 帰宅して 宅配業者さんに配送をお願いしに 行ってまいりました。
「標茶だといつ届きますか?」 とお尋ねすると 「明日」と言うことで 1日遅れとなりますが 標茶原野の皆さんに 美味しく食べていただけると 感謝です。
会う人会う人に 「今年は特別暑かったので 栗の実入りが良かったんだと思います・・」 と口癖のように 言っていたのですが 先日 旧約聖書詩篇85:12のみことばから 暑い夏だったから 収穫が多かったのではなくて 「主が良いものを下さったからだ」 と認識を改めました。
これから会う人会う人に 「暑かった夏」ではなく 「良きものを下さる主」について 分かち合わせて いただきたいと思います。
私たちの大地は産物を産み出します。 (旧約聖書 詩篇85:12)
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2025.09.27 |
標茶では 「アマゾンカレー」 召し上がれ!
![]() ![]() 某ブロガーさん曰く 「宇宙で5指に入るカツカレー」 (標茶町 あさひ屋さんのカツカレー)
標茶原野での聖書学び会 皆さんで ヨハネの福音書を 1章から1節ずつ じっくり味わって
ようやく 6章の結びまで やってきました。
学び会の後は 定番のカツカレーを じっくり味わわせていただいています。
一か月に 一度の贅沢な ひとときとなっています。
左隣に座っておられた酪農業に 従事されているAさんは 汗だくになって 「辛い、辛い」 と仰っておられました。
私はラーメンを食べて 汗ばむことはあっても カレーライスを 食べて汗ばむ体験は 今までなかったような気がします。
このカツカレーの特色は カレーのルーが辛いのとは 対照的に カツに かけられたソースが甘いことです。 その対照的な味が 口の中で融合し 化学反応して 生み出される 旨味は 絶妙です。
カレールーと カツソースの 合流地点を 見るたびに 思い出すのは
約30年前に 宣教研修で ブラジルのマナウス市の 日本人宣教師宅を訪問した際 アマゾン川流域を小舟で 旅したときに見た 二つの川 ホワイトウオーター モイスン川(泥で濁った茶色の川) とブラックウオーター ネグロ川(樹液が溶け込んだ有機物が豊富なこげ茶色の川) の合流地点 この不思議な現象を 「ソリモンエスの奇観」 と言います。 (※カツの衣は色は違えど 森林のよう)
2つの川が合流したときに、 それぞれの川の色の違いが そのまま混じりあわずに 下流へ約10km平行になって流れる現象です。
合流地点での現象です。
別名「黒い川」と呼ばれています。
イガポと呼ばれる浸水林の間をゆっくりと流れ、 雨季による水位上昇でジャングルが水没し、 その木々から出る樹液で川の水が 黒い色をしています。
別名「白い川」と呼ばれています。 アンデスの雪解け水で泥を多く含む土砂を侵食し、 流れてくるため黄土色しています。
ネグロ川の水温が28度位、 流速が3〜4kmに対し、 ソリモエス川の水温は22度位、 流速が7〜8kmなので、 川の色も速度も水温も極端に違う為 交じり合うことがないそうです。
水温も 速度も異なる川が 接しながら 動いているなんて 驚きです。
ゆえに、この標茶のカツカレーを 私は、あえて 「アマゾンカレー」 と名付けたいです。
そして 食べるたびに 覚えたいことは 「この世にあっても この世と混ざり合わない生き方」 =聖書の価値観 を大切にしたい ということ
むしろ、心を新たにすることで、 自分を変えていただきなさい。 そうすれば、神のみこころは何か、 すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、 完全であるのかを見分けるようになります。 (新約聖書 ローマ書12:2)
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