山形牧師の部屋 - 記事一覧
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| 発行日時 | 見出し |
|---|---|
| 2025.11.25 |
クリスマス デコレーションと 大掃除
2025.11.23 日曜礼拝後の昼下がり 年末大掃除と クリスマスの飾り付けが 行われました。
午後の日差しも明るかったですね。
恒例の窓ガラス拭き 私たちの心の曇りも イエス様の血潮という クリーナーで 綺麗にふき取らせていただきましょう。
高い所の窓ふきは 脚立に上って ザアカイの気分で
十字架はハンドメイドの ステンドグラス リースは イエス様の額につけられた 呪いのいばらのシンボル ほおずきは さしずめ 主の額から流れ落ちる血潮を 彷彿させます。
こちらも ハンドメイドの ステンドガラス
教会員のAさんが ご主人と共に ひば(鶴居村のクチョロ原野で)と 松(白糠で)を 採取してくださり ユーカリと ほおずきでの アドベントクランツ
いよいよ 来週から キリスト教の暦で言うところの アドベント(待降節)
その名をイエスとつけなさい。 この方がご自分の民を その罪からお救いになるのです。」 (新約聖書 マタイの福音書1:21)
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| 2025.11.24 |
クリスマス 笑いで満ちよ 教会堂!
私どもの教会の今年の クリスマスイベントの一つ 「落語でクリスマス」 教会で 聖なる笑いを 堪能されませんか!
私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。 そのとき諸国の人々は言った。 「主は彼らのために大いなることをなさった。」 (旧約聖書 詩篇126:2) みなさまの1日ワンクリックは
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| 2025.11.23 |
幼子は 声をかけられ 愛を受け
後楽園駅にて 長男と、長男の長男 見るものみんな好奇心の対象 何を見ているのかな〜?
私も幼い頃 亡父に連れられて後楽園へ 行ったことを 思い出しました。
もう55年以上も前のこと 当時後楽園球場で 父が大好きだった 壁際の魔術師と呼ばれた 読売ジャイアンツの エイトマン 高田選手を間近に見える レフトスタンドで 観戦中 大雨が降ってきたという思い出を
会う人会う人から 「かわいいね」と 声をかけられるのは 幼子の特権ですね。
釧路でも もっともっと 幼児たちの姿を見たいもの
私は、今朝 教会堂で 美しく活けられた お花たちに 「かわいいね」「きれいだね」 とお声をかけさせていただきました。
あわただしい クリスマスシーズンを 迎えつつあります。
しかし 心は あわただしくさせず
神のみことばの乳を じっくり 慕い求めたいものです。
純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。 それによって成長し、救いを得るためです。 (新約聖書 1ペテロ2:2)
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| 2025.11.22 |
晩秋の 標茶原野の 学び会
2025.11.21 標茶原野で毎月行っている 聖書学び会に行ってまいりました。 学び会後は、恒例のカツカレー ランチタイムになると この食堂は 満杯になります。
カツカレーの後は アイスクリームのデザート
ハーゲンダッツの牛乳が浜中町なのは、 日本進出時にアメリカの基準に匹敵するほどの 徹底した品質管理が行われていたためだそうです。 浜中町は乳牛の管理だけでなく、 牧草や土壌までデータ化して管理しており、 アイスクリームの風味を支える 「こだわりのミルク」がここにあったからだそうです。 また、夏でも過ごしやすい気候も、 乳牛にとって最適な環境だそうです。
かつて 浜中町立茶内中学校の教員時代は そんなことは つゆ知らず 地元の牛乳を飲んでいましたし あの頃の 酪農家の子弟たちの顔が次々に 思い出されては 懐かしく思いました。
この時期になると 西日がきわめて 眩しくサングラスが 必須となります。
シラルトロ湖の湖面に映る 黄金色の陽光はとてもきれいです。
標茶から釧路に着くころには 夕陽がオレンジ色に映えます
クリスチャン信仰をもたれて長いAさんから
「私は、 過去に犯したある罪が 思い出されるので お祈りの中で 何度も、何度も 繰り返し、繰り返し 『主よ、あの罪を お赦しください。』 と祈ってしまうのです。」
「Aさんは、とてもまじめな お方だと思います。 主は、私たちが 告白した罪について 『なんでそんなことしたんだ!』 と、たたみかける様に 責め立てるお方ではなく、 むしろ、 『あなたの罪は赦された。 もう、あなたの罪を思い出すことはしないよ。』 そのように 聖書で仰ってくださっています。
ですから、罪の告白を なさるときには、
告白された後に 一呼吸おいて 『主よ、今、私が告白した罪を あなたはイエス様の血潮に免じて お赦しくださったことを 感謝します。』 とお祈りされてみてはいかがでしょう。」
とご提案させていただきました。
「今まで、赦してくださって ありがとうございますとは 祈ったことがありませんでした。 さっそく、そのようにお祈りしてみたいと思います。」
Aさんが 自分自身を責め続ける人生から 赦された平安を覚える人生へと 導かれますように。
Aさんは 続けて
「私は、明日、何か罪を犯してしまうかもしれない という不安があるのですが イエス様は 私が過去に犯した罪だけでなく 明日私が犯してしまうかもしれない 罪も お赦しになることができるのでしょうか?」
と真剣にご質問くださいました。
「イエス様は、私たちの過去、現在、将来の罪もひっくるめて 十字架で、その報いとしての刑罰を受けられました。 あの罪のため、この罪のために十字架にかかられた、 というだけでなく さまざまな罪を過去現在将来に わたって犯し、これからも犯す可能性に満ちた この私そのもののの身代わりとして十字架にかかられたのです。
罪のために十字架にかかられたという理解は大切ですが 罪を犯す私そのもののために十字架にかかられたという理解も同様に大切です。」
私たちは 明日犯すかもしれない罪について 犯す前から、 心配することなく むしろ イエス様が教えてくださったように 日々「試みにあわせないで 悪からお救い下さい。」 とお祈りをささげられると 幸いです。
Aさんは 毎日聖書を読まれておられますが 神さまに対して 厳しいイメージを持たれているようで 暗唱されている聖句が 「戒め」「懲らしめ」「訓練」 をテーマとするものが 大半を占めていましたので
神さまがご自分がどういうお方であるかを 自己紹介されている 出エジプト記34章6節を お読みになることを お勧めいたしました。
私も含めて 私たちの 神様イメージが 聖書を通して 日々修正されて いきますように。
「主、主は、あわれみ深く、 情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富み、 しかし、罰すべき者を必ず罰して、父の咎を子に、 さらに子の子に、三代、四代に報いる者である。」 (旧約聖書 出エジプト記34:6〜7)
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| 2025.11.21 |
落ち葉踏み かしゃかしゃ音を かみしめて
埼玉にいる 初孫が 公園の落ち葉のうえに しゃがんで 愉しんでいる写真や動画が 送られてきました。
枯葉を握る時の 音の感触を喜んだり
枯葉が はらはらと落ちる様子を まじまじと見つめて 愉しんでいます。
わが家の 落葉樹の落ち葉の大部分は 庭の片隅に穴を掘って 埋めてしまいましたが 孫がいたら 埋めずに 沢山遊ばせてあげたいと 思いました。
枯葉が 擦れ合う音は 確かに 趣がありますね。
この地上の 広葉樹の葉は いつかは 落葉し 枯れてしまいますが イエス様を信じた人が最終的に 導かれる 新しい天と地では 葉は、もはや枯れることはなく 薬として用いられるのですね。
こちら側にもあちら側にも、 あらゆる果樹が生長し、 その葉も枯れず、 実も絶えることがなく、 毎月、新しい実をつける。 その水が聖所から流れ出ているからである。 その実は食物となり、 その葉は薬となる。」 (旧約聖書 エゼキエル書47:12)
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| 2025.11.20 |
週一で 集まる仲間 加えられ
2025.11.19 定例のセルグループ「まきびと」 に新しい仲間が 加わりました。 87歳のAさん この日は 札幌在住の仲間が コストコの ポテトチップスを 差し入れしてくれて ぼりぼり食べ合いながら 談笑しました。 1時間半の楽しい聖書の分かち合い 讃美、祈り そして最近思ったり 考えたりしていることを ざっくばらんと 話し合うあっという間の90分 肩の凝らない集まりでリラックスできます。 一人はライン動画で参加 合計5名の交わり 心理学的に言って 日本人は5名くらいだと 適度に肩の凝らない それでいて 親密な話ができるのだそうです。
互いに注意を払おうではありませんか。 むしろ励まし合いましょう。 その日が近づいていることが分かっているのですから、 ますます励もうではありませんか。 (新約聖書 へブル書10:24〜25)
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| 2025.11.19 |
栗の葉を 拾い集めて 腐葉土へ
2025.11.19 わが家の庭の栗の木も ほとんど葉を落として 冬支度
今年の栗は豊作でした。 ご近所さんにも 分かち合うことができて 感謝でした。 お疲れさまでした!と 朝陽も、栗の木をねぎらっているかのよう
落ち葉拾いもようやく進み
これから、落ち葉を 土の肥やしにするために 穴を掘りました。 凍土のため 腰痛バンドをつけて つるはしを 振り上げました。
落ち葉は 不要ではなくて 腐葉土となるのですね。
神のかたちに似せて造られた わたしたち一人一人は 誰一人 不要な人は存在せず 皆それぞれ 隣人に仕えるために 神さまから 富養な人と されていますね。
かつて東京の神田の古本屋で 購入した 賀川豊彦氏の 「十字架についての瞑想」を 本棚の奥から 引っ張り出してきて 読むと、電気が体を突き抜けるような 感覚を覚えてしまいます。 あまりにも古い紙質のせいか 読んでいるうちに 間もなく鼻が詰まって くしゃみがでてしまいます。
発売当初は 10銭だったのですね。
この賀川豊彦氏が 日本のノーベル賞第一号(平和賞)に なるはずだったのに 某超大国の 政治的横やりで 阻止されてしまったことは 悔しい限りですが 賀川氏は そのことを微塵も悔しいと思わず ひたすら 神の国建設のために ご尽力されて み国に凱旋されたのですね。
古き良きものの 信仰の遺産は 大切な魂の腐葉土なり
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。 しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。 (新約聖書 ヨハネの福音書12:24)
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| 2025.11.18 |
講義受け 自分の無知を 痛感す
2025.11.18 凍てつく大地の釧路の朝
会堂にお祈りに行く時 水たまりが凍っていて 運動靴で 踏みつけて パリパリと 割れていく感触を味わい 子どものころから 同じことをやっているなあと思いました。 小さいころから 凍った水たまりがあると 踏みつけて パリパリ割れていく感触を 愉しむ習慣は変わりません。
昨日から 今朝にかけて 北海道聖書学院で行われた 教師・講師等研修会に 急遽でしたが ZOOMで参加させていただくことが 許されて感謝でした。
会場となった 北海道聖書学院がある札幌市白石区は 雪の天候で 道路が渋滞で 開始が15分ほど遅れました。
雪の降っていない 釧路から ZOOMで 参加させていただけて ありがたかったです。
開会礼拝での 聖書の解き明かしは ため息が出るほど とても 心に沁みとおりました。 さすがは教師の教師
90分の講義が1分間のように 感じるほど 濃密でした。
講義の中身は知的刺激に満ちて 興奮させられましたが その穏やかな語り口から 講師の方の品性、品格が にじみ出てくるようで うっとりもさせられました。
主題は「日本的キリスト教」を読む 講義1 日本的キリスト教について 講義2 明治期の「日本的キリスト教」 講義3 アジア・太平洋戦争期の「日本的キリスト教」 講師は 元 東京基督教大学学長の 山口陽一師
講義の中で膨大な数の 自分が今まで聴いた覚えのない 名前が出て来て
改めて自分自身の「無知さ加減」を つくづく痛感させられるとともに これから、もっともっと 謙遜に学ぶことが必要だと
衰えがちな自分の記憶力や思考力に 「鞭」を打って もっと学ぶ時間を確保せねばと 思わされました。
その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。 (新約聖書 コリント人への手紙第1 8:2)
打ちたたいて服従させます。 ほかの人に宣べ伝えておきながら、 自分自身が失格者にならないように するためです。 (新約聖書 1コリント書9:27)
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| 2025.11.17 |
成長を 目指して励む 家族なり
2025.11/9 日曜午後 教会堂で 楽しく学び合う時 をもちました。
あるがままで愛されているからこそ このままではいたくない もっともっと 愛してくださる方に 似せられていけるよう 成長を願う思う神の家族たちです。
霊的な成長のため、 益となることを図って 隣人を喜ばせるべきです。 (新約聖書 ローマ書15:2)
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| 2025.11.16 |
高山から 眺める夕陽 輝けり
釧路市高山にある 釧路広域連合清掃工場 粗大ごみ処理センターへ 庭で整理し枝葉を 自己搬入しに行きました。
枝葉は 分量が多かったにもかかわらず 一銭もかからず 無料だったのには 驚きました。
費用がかからないので これかも どんどん安心して 枯れ枝、枯葉を搬入できます。
イエスキリストの十字架のところに 自分がしでかした罪という枝葉が いかに多くあろうとも 自らの口で 告白する時
父なる神は 御子イエスの十字架で流された血に免じて すべて無償で 赦してくださいます。
驚くべき恵みです。
無償で赦していただけるのですから 安心して 告白できます。
高山に向かう時 右手に太平洋に落ちていく西日が 黄金色に輝いて見えました。
キリストの十字架は ゴルゴタという 高山に立てられました。 主イエスの十字架を信じる者には 黄金の御国への入国が 約束されています。
太平洋も 空も 大地も 黄金色に 天国を彷彿させるかのように 輝いていました。
高山での枝葉の搬出を終えて 帰る時は 左手に 夕焼けが 赤々と輝いていました。
だんだん、赤みが増していくかのよう
主イエスの情熱的な愛 熱心な愛が 自然界をとおしても 伝わるようで 感激しました。
十字架にかかって身代わりに 死ぬほどまでに 熱心に愛してくださる主に 微力ながらも 熱心にお仕えさせていただきたい。
沈む瞬間の夕陽が 線香花火の蕾とダブって見えました。
蕾は、 線香花火の4変化の『はじまり』の 部分にあたります。
夕日が沈む瞬間の小さな赤丸は「終わり」ですが その小さな赤丸が 線香花火でいう「始まり」を暗示するというのは 聖書の死生観を暗示するかのように 思えて、新鮮な驚きを 覚えました。
終わりと思えることこそが 始まりなのですね。
キリストが与える永遠のいのちの望み
エルサレムから残りの者が、 シオンの山から、 逃れの者が出て来るからである。 万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。』 (旧約聖書 ?列王19:31)
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| 2025.11.15 |
まごころの 地域食堂 スタートす!
2025.11.15 いよいよ 地域食堂まごころの オープンを迎えました。
地域の方々が とても 喜んでくださいました。
お一人で ご夫婦で 親子で さまざまな方々が おいでくださいました。
現町内会長さんご夫妻 元町内会長さんご夫妻 そして地元の桜ヶ丘中学校の 校長先生もお見えになり 感謝でした。
私にとって 嬉しかったのは 50代の ろう者のAさんとの新しい出会いが 与えられたことです。
うる覚えの 手話で 自己紹介し合いました。
かつて釧路手話の会に 所属したことがありましたが 学生時代や 教員時代に 少しかじった程度で 何十年もやっていなかったので 手話の指文字すら ところどころ 記憶があいまいになり
また一生懸命やらねばと 思わされました。
初めはAさんが携行されていた 水銀電池式の 文字ボードを使用して 会話していましたが お互いにスマホで ラインが出来るということで 途中からはラインで おともだちになって 対話できました。
Aさんは 旭川にある ろう者のための 東洋ローアキリスト伝道教会に 行かれたことがあり ご自分の聖書をお持ちとのことで これからご一緒に聖書を学び合えると 幸いです。
この日のメニューはカツカレー 手づくりの福神漬け フレッシュサラダ みかん、パイナップル入りのゼリー
上の写真のBさん、Cさんは どちらも90代 初めての出会いで 打ち解けて 仲良しに!
CさんはBさんに向かって 「初めてあった気がしませんね。」 と笑顔で話しかけておられました。
地域食堂の醍醐味の一つは そこで 新しい感動的な出会いがあり 新たなつながりを もてることです。
もう一つの醍醐味は それまであった 誤解やわだかまりがあれば 一緒に食することで いつのまにか氷解して、 和解や仲直りが できることです。
一緒に食事をすることの 意義は想像以上に 大きく深いものがありますね。
イエス様は ことあるごとに 人びとたちと 胸襟を開いて 食卓を共にして 語り合いました。
この日の 最年少のお客さんは 生後10か月のDちゃんと お姉ちゃんの 3歳のEちゃん とっても可愛い姉妹
こどもたちの成長には めざましいものがありますね。
この日の地域食堂のために カツカレーの仕込み準備で 昨日から ご尽力された方々をはじめ ご奉仕してくださった まごころネットワークの皆様の まごころこもった愛の ボランティアのわざに 心から感謝します。
人にではなく主に仕えるように、 喜んで仕えなさい。 (新約聖書 エペソ書6:7)
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| 2025.11.14 |
一匹と 思った猫が 二匹いた!
釧路管内の とある温泉街を 歩いていましたら 人っ子一人戸外を 歩いている人は おられず 多くの店がシャッターを閉じて
一軒の土産店 一軒のお菓子屋さんのみ 開店中でしたが 外から中を覗き込むと 店員さんの姿は見えませんでした。
そんなさびしい中 一匹の猫が お店の前で 座って転寝をしているようでした。
ああ、さびしい温泉街に 一匹の猫がいるなあ と思って
写真を撮り 後でよくよく見てみると 一匹ではなくて 二匹でした。
てっきり一匹の猫の姿が ガラスに映っていたと 思って撮ったのですが よくよく見ると ネコの顔の向きが同じで
あっ!二匹いたんだ! と驚きました。
自らの観察力の乏しさを 痛感しました。
さびしい温泉街 一匹の猫がいるのみ という勝手なストーリーを 頭の中でつくってしまっていたのです。
このように 思い込みで 周囲の事物を 判断してしまうことが いかに多いことでしょう。
写真を撮る時 気づかなかったことが 写真を撮った後で 初めて 気づくことがあるのですね。
忙しくなるとますます そうなりがちですね。
もしこれが重要な刑事事件で
状況証拠をざっと眺めて
「推定無罪」と言う言葉が ありますし
日本の現在の刑事訴訟法では DNA鑑定ですら クロの決定打ではないことを知って 驚きました。
腰を据えて じっくりと 身の回りで起こっていることを 虚心坦懐に 観察して 言語化できるように 心がけたいものです。
聖書を読むと イエス様が復活した後 弟子たちは 自分たちの真ん中に立たれた イエス様をご覧になって 幽霊だと 思い込んでしまいました。
手足を見せてもなお信じられない 弟子たちに対して
イエス様は、 一切れの焼魚を食べて お見せになりました。
イエス様の優しさと思いやりと ユニークさが 伝わる出来事ですね。
早合点したり 決めつけてしまうことが いかに多い私たちでしょう。 聖書を読むときでさえ そうなりがちです。 新しい発見に 驚く毎日でありますように
イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、 「平安があなたがたにあるように」と言われた。 幽霊を見ているのだと思った。 「なぜ取り乱しているのですか。 どうして心に疑いを抱くのですか。 まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。 幽霊なら肉や骨はありません。 見て分かるように、わたしにはあります。」 不思議がっていたので、 イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。 (新約聖書 ルカの福音書24:36〜43)
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| 2025.11.13 |
晩秋の 道東道の 防風林
先日、千歳へ行く途中 十勝清水町の 壁のごとく そそり立った防風林が 綺麗でした。
主イエスは 私たちが苦難の暴風に 煽られて 飛ばされないよう 力強くそそり立ってくださる 防風林のよう
これは音更町の防風林 左右の色のコントラストが きれいでした。
左は黄金の天の御国を 右は緑の永遠のいのちを 物語るよう
イエス様という 道を通る時に 視界に入るのは 天の御国と永遠の命
こういう光景を見ながら 運転するのは 嬉しいものです。
「わたしが道である」 と語られたイエス様という 道を通して 私たちは 天の父になる神の元へ 行けるのですね。
北海道は雄大ですね。
北海道 とりわけ 自然豊かな 道東で生活できることの 恵みをかみしめています。
あなたが右に行くにも左に行くにも、 うしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを、 あなたの耳は聞く。 (旧約聖書 イザヤ書30:21)
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| 2025.11.12 |
凍りつく 季節を迎え 吸入器
2025.11.12 オレンジ色の 朝陽を浴びる教会堂の東面
昨晩は マンツーマンの 聖書の学びをAさんと 午後7時から対面で
Bさんと 午後8時から ライン通話で 行いました。
毎度のことですが 神様の言葉である 聖書の深みは 世界最深と言われる マリアナ海溝(チャレンジャー海淵)よりも はるかにはるかに 深いなあ〜と感じさせられます。
教会堂の正面から見る東の空 日が昇るところ
昨日、釧路刑務支所を出所されたAさんを 迎えにまいりましたら なんとAさんは裸足で靴を 履かれていたので 「寒いだろう」 と案じ、私が自宅から 自分の靴下をお持ちしましたら Aさんは 裸足が好きだということでした。
この釧路の寒いシーズンに 刑務所内でも 裸足で生活されていたことを 知って大変驚きました。
寒がりで冷え性の 私にとっては とてもできないことです。
早朝の冷気で 気管の気道が収縮気味です。 私も含めた 気管支喘息をはじめとして 呼吸器疾患の ご持病を持たれた方にとっては 試練の季節が やってまいりました。
イエス様を信じて 導かれる 新しい天と地では 「吸入器」は不要になることを 感謝して その日を待ち望み 今日の日の忍耐も 賜る主に感謝しつつ 歩んでまいります。
広々とした水が凍りつく。 雲がその稲妻を放つ。 神が命じるすべてのことを、 世界の地の面で。 ご自分の地のため、 または恵みのために、 これが起こるようにされる。 (旧約聖書 ヨブ記37:10〜13)
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| 2025.11.11 |
刑務所の 外で味わう アツアツ感
2025.11.11 釧路刑務支所から 出所されたAさんと お世話になった施設前での 記念撮影
この施設内で数年にわたって 行われた 釧路キリスト福音館の 宗教教誨で 信仰告白、洗礼に導かれたAさんは キリストの光で 輝いておられました。
私も今日その光を 若干分け与えていただきました。
Aさんと 釧路キリスト福音館で ごいっしょに 聖書を読んでお祈りしました。
特に現在 重篤な状態で 入院中のお父様の お体の痛みの 緩和と心の平安のために お祈りしました。
Aさんは
ブラックホットコーヒーを 教会堂の2階で 久しぶりに 美味しそうに 飲んでくださいました。
ちなみに 施設内では 舌にアッつく感じる ブラックコーヒーを 飲む機会は なかったそうです。
私の自家用車でAさんと たんちょう釧路空港へ 向いました。 飛行機で 帰住先に近い空港へ 向います。
Aさんは 24時間以内に 帰住先の 管轄の保護観察所に 出向かなければなりません。
Aさんと釧路空港の 2階のラウンジで ごいっしょに ハンバーグカレーを いただきました。
Aさんは 「こんなに 温かい(舌に熱く感じる)食事を 食べるのは 久しぶりです」 と感激してくださいました。
「冷や飯を食う」という 慣用句を思い出しました。
刑務所内の食事は 栄養管理されていますが 温かさという面では 保安上の理由もあって 「熱いもの」は 熱を冷ましてから 配食されますので 舌に熱く感じるものを 召しあがるのは お久しぶりとのことです。
宗教教誨の中では お話しできなかったこと (刑務官の方が聴いておられるので) なども色々と 打ち明けてくださいました。
外からでは分からない 刑務所内の さまざまな 闇の部分のお話や お世話になった 素晴らしい 刑務官さんの心温まる お話など伺い 私も ぐっと胸が詰まる思いがいたしました。
出発ロビー 検査場で Aさんと握手して 無事 お見送りできて 感謝でした。
Aさんは今夕 帰住先の近くの 病院に入院中の お父様のところへ 真っすぐ行かれて 謝罪と感謝と とりなしのお祈りを される予定です。
Aさんがキリストによって 変えられた姿を見て 病の中のお父様が 何とか 天の父から力づけられて 希望と平安が 与えられますように お祈りしています。
Aさんの お父様は もうお食事も のどを通らないようなので せめて お父様が舌で味わえる 甘いものを、と 一緒に お土産店で 探しました。
少しでも その甘さを味わい 主イエスの愛と癒しと慰めを 味わえますように。
Aさんをお見送りして 空港駐車場へ 出ると 細かな雪がちらついておりました。 寒さが本格的に なりそうです。
Aさんは この日 ホットコーヒーと ハンバーグカレーの アツアツ感(刑務所内では味わうことができない)に 感激されていましたが Aさんが 最も感激されているのは 言うまでもなく 十字架で 死んで蘇られた キリストの愛の アツアツ感でした。
Aさんのみならず 私たちはみんな キリストの愛のアツアツ感で 心温めり、満たされたいですね。
それと同じように、 一人の罪人が悔い改めるなら、 悔い改める必要のない 九十九人の正しい人のためよりも、 大きな喜びが天にあるのです。 (新約聖書 ルカの福音書15:7)
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| 2025.11.10 |
北海道 矯正管区 教誨師
2025.11.5 北海道矯正管区教誨師大会が 千歳市で開かれました。 私の右となりにいるのは 尊敬する天理教のA先生 A先生は天理教の組織神学の教鞭もとられた 研究熱心な先生です。
釧路刑務支所教誨師会からは 私たちの他に 神社のB宮司 浄土真宗のC住職 の合計4名の参加
私は自家用車 A先生はJRで C宮司は高速バスで D住職は飛行機で
4者4用の 交通手段で目的地へ
一緒に学び 一緒に食し
利用した交通機関が それぞれ違ったごとく 信じる道は それぞれ違えども お互いに 尊敬し合い 受刑者の社会復帰と更生という 同じ目標地点に向かって 励まし合う 仲間たちです。
上の写真で私の右隣のEさんは 千歳教誨師会所属の牧師さんで 極真空手の黒帯師範でいらっしゃいます。 毎週水曜日には ススキノに出て 路傍伝道、故人伝道に励まされています。
千歳教誨師会には 長年キリスト教教誨師が 皆無の状態が続きました。
北海道のキリスト教教誨師の地区連絡委員である 私の悲願の一つは 道内すべての矯正施設に 最低一人は キリスト教教誨師が 所属して福音を伝えられることでした。
微力ながら働きかけが実って 北広島市で 長年牧師をされて 北海少年院と 紫明女子学院にの皆さんに キリストの愛を伝えるのにふさわしい 情熱に満たされた牧師さんとして E牧師を推薦させていただき 神さまの恵みで 幾多の申請手続きをクリアできて キリスト者が一人もいなかった 千歳教誨師会の皆様からの ご推薦をいただくことができて (これは奇跡的!) 委嘱され 晴れてE先生は 福音を、少年、少女たちに 語る機会が 与えられました。
研修会二日目の 研究発表では 3人の発題者のお一人が E先生でした。
E先生は空手の組手の際は 頑丈な拳ダコの こぶしを握って 力強くっシャープな正拳突きを 繰り出されますが
少年、少女たちへ福音を 語る時は その拳は隠し 愛の掌のみを向けて キリストの愛を 柔らかく 伝えておられます。
初日の講演の講師の方は 作家で 奈良少年刑務所の社会性涵養プログラム講師の 寮美千子さん 奈良少年院での 若者たちとの 交流体験がドラマチックで とても教えられるところが 多かったです。
寮さんは 日本人で マザーテレサに最後に面会された方であることも 知り、そこで交わされた会話内容も とても胸を打つものでした。
今回の研修大会に参加された キリスト教教誨師の皆さん 皆さん、頼もしい賜物をいただいている キリストへの情熱に満ち溢れた 伝道者たちです。
教派で言うと 日本聖公会 バプテスト 基督兄弟団 そして 釧路キリスト福音館
ちなみに天国には 教派はありません。
合計6名でした。
私の右のF先生は 網走刑務所の教誨師で 教誨師歴43年の 超ベテラン 今回は5時間運転されて 網走から来られ その軽やかな身のこなしは 20〜30代の 青年のようでした。
全体の懇親会の後は キリスト教の教誨師たちで 近くのファミレスで お茶をいただきました。 平日にも 関わらず 千歳市のファミレスや喫茶店は どこも超満員で 現在千歳市には 空き店舗とか 空き家 空きビルがないそうです。
半導体の企業の 関連企業も多く誘致され 現在、北海道で最も勢いがある町 のようです。
朝も、通学する高校生が あちこちに ひしめいていました。
この町に キリストの福音が勢いをもって 拡がりますように!
わたしがあなたとともにいるので、 あなたを襲って危害を加える者はいない。 この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」 (新約聖書 使徒の働き18:10)
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| 2025.11.09 |
栗の木の 落ち葉を眺め 主を思ふ
わが家の玄関前に 栗の木の葉が 風にあおられて たまってしまいました。
数日前から この状態です。
写真など取っている時間があれば 始末すればいいのにとも 思うのですが
まとめてやろうと
掃いてはたまり 掃いてはたまりを 繰り返すのもよし
たまりにたまったところで 一気に 始末するのも良し
2025.11.9 わが家の大きな栗の木の葉が だいぶ散りました。 今年の秋は おそらく1000個以上の実をつけて 多くの方々に分かち合うことができ 本当にお疲れ様と言う 他ありません。
本州の 東北地方では 栗の木があると 熊が 寄ってくるということで 多くの栗の木が 伐採されていると聞きます。
釧路でも 熊が栗の木に寄ってくる 事例や可能性が指摘されると おそらく 町内会や 行政から 「お宅の栗の木、切ってください」 と言われることでしょうし 言われる前に切らざるを得ないのでしょう。
人の命の尊さには 変えられませんから
とはいえ 栗の木も 神の創造のわざ 熊だって 神の創造のわざ
自然界全体が 呻いていますね。
キリストの再臨によって もたらされる 新しい天と地を 望みながら 呻いている
多くの葉を落としている 栗の木を眺めながら オーヘンリーの 短編小説 「最後の一葉」を 思い出しました。
キリストの十字架とダブって 感極まり 一人で涙する 日曜の朝でした。
週の始まりの朝は 希望の朝 金曜の午後3時に息を引き取った キリストが復活したことを 記念する朝
まことに、まことに、あなたがたに言います。 一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、 一粒のままです。 しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。 (新約聖書 ヨハネの福音書12:24)
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| 2025.11.08 |
冷え込みて 告別式で 主を仰ぐ
今朝の釧路市は急激な冷え込みで 気温が低下して驚いた方、 体調が不安定の方も少なくないことと 思います。
そんな中、19年間 信仰を共にし 47歳にして 天に召されたAさんを偲び 召天告別式が 今朝 執り行われました。
告別式、出棺、火葬前式、 収骨のお祈り そして偲ぶ会 前日が友引ということもあって この日は、 火葬場が混雑していました。
火葬場の炉の数は 限られているので 制限数を越えると 翌日と言うことになる場合も あります。
火葬場の炉が満杯で もう入れませんという事態は ありえますが 天国が満杯で もう入れませんということは ありません。
天国がぎゅうぎゅうづめになることは ありません。 この地上で生きている間に 自らの罪を神の前に悔い改めて イエス様が自分の罪のために 死んで葬られて蘇られたことを 信じるならば 誰でも罪赦されて 神の子どもとされて 永遠の命が与えられ 天国へ行き 復活のからだが与えられると 約束しています。
Aさんは 20代の頃、東京大学医科学研究所での 遺伝子検査で 日本で他に同じ症例がない 難病と診断されました。
釧路市内の 病院をはじめ 北大病院、札医大病院、旭医大という 様々な医療機関にもかかり 現代医学では 治療のすべが未知の領域の病を 得ながら
その中で 「自分は何のために生きているんだろう」 「どうしてこんな病気になったんだろう」 「死んだらどこへ行くんだろう」 「天国はあるのだろうか。もしあるなら 自分は果たしていけるのだろうか」 「地獄はどんなところだろうか」 さまざまな哲学的、実存的な問いを抱いて 聖書の学びを始めたのが 20代の半ば過ぎでした。
Aさんは 素直に聖書のことばを 信じて 天地創造の神の存在を信じ その神様の前に自分が罪びとであること その罪のためにイエス様が 十字架で身代わりに刑罰を受けて死んで 葬られた後によみがえられたことを 信じる告白をされました。
それを公に示すべく 28歳の時に 洗礼(バプテスマ)を受けられました。
この地上では47歳プラスアルファ永遠のいのち の生涯のAさんが 天の父の家に戻られたことによって
私たちにとって 天国が今まで以上に より近くに感じられるように なりました。
ご遺族の皆様のお悲しみや 寂しさは なおいっそう 予想を超えて深く 重たいものと 思いますが 天の御国での再会の望みを 受け取れますように。 主の慰めがありますように お祈りするばかりです。
いのちは恩寵のうちにある。 夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある。 (旧約聖書 詩篇30:5)
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| 2025.11.07 |
前夜式 故人を偲び 咽び泣く
2025.11.7 47歳で天に帰られたAさんの 召天前夜式が執り行われました。 ご遺族の皆様の上に イエス様からの慰めが ありますように・・・
家族葬向き斎場でしたが ご会葬者が多く 履くスリッパがなくなり 玄関で 右往左往されている 紳士がおられましたので 私のスリッパを 履いていただきました。 その紳士が 遠慮されるので 「私は靴下を二枚履いているので、大丈夫ですよ。」 と申し上げましたところ ようやく履いていただけました。
私は 初めて靴下のまま司式させて いただきましたが とても足が温かく感じたので もしかして床暖が入っていたのかも。
明るく広い斎場で さまざまな 設備が整っていて 葬儀の後 あるご会葬者の方が 「まるで天国にいるようだった。」 「私の母親も、できれば、あそこの斎場で 葬儀をしてあげたい。」 と仰っておりました。
司式者の控室にも トイレがついていたのには 驚きました。
最新の斎場は 実に細かなところまで さまざまな配慮がなされていると 思いました。
「わたしはよみがえりです。 いのちです。 わたしを信じる者は 死んでも生きるのです。 (新約聖書 ヨハネの福音書11:25)
神を信じ、またわたしを信じなさい。 そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、 と言ったでしょうか。 また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。 わたしがいるところに、 あなたがたもいるようにするためです。 その道をあなたがたは知っています。」 「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。 どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。 わたしを通してでなければ、 だれも父のみもとに行くことはできません。 (新約聖書 ヨハネの福音書14:1〜6)
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| 2025.11.06 |
千代ノ浦 砂地踏みしめ 沈みゆく
2025.11.3
釧路市千代ノ浦海岸 1981年5月17日に この海岸でバプテスマ(洗礼)を受けました。 浴衣を着て 砂浜で教会の皆さんが讃美歌を 歌ってお祈りしてくださり 洗礼を授けてくださるリーダーと共に 腰まで浸かるところまで海の中に 歩いていきました。 そして 仰向けに全身浸かりました。 それは、あたかも 棺桶に仰向けに入るのと似ています。 キリスト共に死に キリストと共に 新しい命に生きる象徴としての バプテスマ あの当時は、この海岸には 上の写真で見るような埋め立て部分は ありませんでした。
この海岸の横を 通過するたびに キリストの最初の愛に 戻ることを 肝に命じさせられます。
受けたあなたがたはみな、 キリストを着たのです。 (新約聖書 ガラテヤ人への手紙3:27)
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