北海道釧路発 neoおやじの日々 - 記事一覧
http://blog.livedoor.jp/neo310h/
| 発行日時 | 見出し |
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| 2026.02.10 |
空想的理想論の終焉
妻の故郷・実家に関連するブログ記事を続けて投稿しておりましたが 本日はお休みいたします ーーーーー 衆議院選挙 与党が大勝し 新しく出来た中道は大敗しました 政策が若者受けする云々かんぬん ありますが 単に情報媒体の違い とおっさんは常々思っております 日本のマスコミにはチャイナマネーが流入している と英国のメディアが報じました 所謂、オールドメディアは 中国に配慮した報道になっています 政治の世界も左翼・左派は 中国共産党による独裁で政治体制は社会主義である中国に配慮しています オールドメディアが情報媒体の主体で有れば 保守派の政治家を嫌いになって当然です おっさんの父親を見ていると それを実感します おっさんの父親はモロに左翼的思考に染まっています しかしその自覚は無く自身では中立であると考えています なので お亡くなりになられた安倍元総理をいまだに あいつはとんでもない奴だ と言いますし 現総理の事も嫌いです 翻って 若い世代が利用する情報媒体はネット・SNSが中心です ネット・SNS上の情報は玉石混交ですが 様々な意見が飛び交います オールドメディアの情報は偏っている という事も知っています 高齢者はネット・SNSとは無縁の人も多いですし ネット・SNSと無縁の若者は殆どいないでしょう それが理由で世代別で支持政党が異なり また、同じ政党でも党首により支持率が変わる 今後は 益々、ネット・SNSと無縁の高齢者は減少します 人間に寿命が有る限り、これは必然です もう 空想的・非現実的な政策を掲げる様な政党や政治家は生き残れないでしょう 今後は右派・左派といったイデオロギーの対立ではなく 専門性の対立という国民にとっては望ましい方向に流れは変わるでしょう 現時点で原発を0にするとか 軍事力が有るから戦争になるんだとか 移民を無制限に入れるとか 理想論で綺麗ごとを言うような人たちは 淘汰されていくでしょう にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() |
| 2026.02.08 |
出会いの地7
妻・養父・養母が暮らしていた実家 今は3人ともこの世を去りました 実家を春以降に解体する予定のため 妻の故郷・実家に関連するブログ記事の投稿を続けています 記憶を言語化して記録に残す大切な作業です ーーーーー (昨日書いた)養父の手術は無事終わり 術後の経過も問題無く 妻は実家で養父の代わりに家業を運営して一ヶ月ほど過ごしましたが 千歳に戻ってきました その後、無事に進級し2年生になりました 学校は夏季休暇 職場はお盆休み となり 妻と故郷に帰省しました 妻と二人で釧路でお出かけしていると 養父から妻に電話が有りました 養母が自宅で転倒した後に動けなくなったため釧路の総合病院に救急搬送されたとの事でした すぐに搬送された病院に駆けつけました 診断は 大腿骨頚部骨折で 人工股関節全置換術と入院が必要とのことでした ーーーーー 養母は長く患っていた持病があり おっさんと初めて対面した時にはすでに 歩行速度は遅く不安定でした 転倒した日 茶の間で転倒し 直後は強い痛みもなく起き上がろうとしたそうですが起き上がれなくて 養父が救急要請したそうです 妻の実家と釧路の総合病院は遠いため 養母が退院するまでは妻のサポートがあれば助かるかと考えましたが 妻は既に千歳で就労していたためそれも難しく ただ、まだ養父は元気で 妻のサポートが無くても大丈夫と話していたため 気がかりでしたが妻と千歳に戻りました ーーーーー 数ヶ月後 年末年始休暇となり 再び故郷に帰省しました 妻の実家はそれまでと大きく変わっていました それまでは 養母は1階の茶の間の隣の隣にある寝室で布団で寝ていたのですが トイレに近い茶の間にベッドが置かれ、そこで寝るようになり 彼方此方に手すりなどが付けられていました まだ手すりなどに掴まりながらトイレまでの移動は可能でしたが 外出や入浴は介助が無ければ出来なくなり 準寝たきり状態になっていました 転倒をきっかけに寝たきりになる高齢者が多いですが まさにその通りで 養母が亡くなるまで続いた養父・養母の介護生活のスタートでした これも記憶を辿り言語化した事で具体的な数字を把握できましたが 介護生活はその後11年に及びました ーーーーー 養父は忙しい人で 札幌などへの出張が多い人でしたが 出張の際は養母は施設のショートステイなどのお世話になっていました おっさんは無事に3年生に進級しました 当時、南千歳駅の近くに アウトレットモール「レラ」が開業し 駅周辺は賑わっていました 貧困サバイバル生活を送っていた我が夫婦には無縁で近寄りもしませんでしたが ある休日、妻に養父から電話が有りました 札幌への出張のために地元からJRで釧路駅に来たが自宅に財布を忘れてきた このまま札幌行きの特急に乗車する 南千歳駅に停車するから停車中に現金を貸してくれないか との電話でした 停車時間は数十秒程度なので どの車両の前後どちらの乗降口で渡すか、しっかりと決めなければなりませんが 妻も養父も呑気なもので何も決めずに電話を切ってしまいました 妻に養父の携帯電話に電話して、どこの乗降口にするか確認するよう伝えましたが 養父はなかなか電話に出ず 何度かの電話で何とか繋がり 現金を渡す乗降口を決めました 時間に余裕を持って自宅を出ました 妻は財布が無いと不便だろうからと、使っていなかった財布に現金を入れて用意しました 南千歳駅付近に行くと 開業して間もない「レラ」目的の車・人で混みあっていましたが 何とか時間前に到着し養父に財布と現金を渡す事が出来ました 養父にとっては 妻とおっさんが千歳にいて助かった唯一のエピソードでした にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() |
| 2026.02.07 |
出会いの地6
過去の出来事を思い出し 言語化した事で 妻を傷つけていた事が分かり 謝罪したいのですが もう妻はいません ーーーーー 千歳で 昼は仕事 夜は学校 という新生活がスタートしました 今にして思えば 単身であったなら 生活は破綻していたでしょう つくづく 妻と養父の考えは正しかったと思えます 新生活がスタートし 記憶が曖昧ですが2~3ヶ月経った頃 養父から妻に連絡が有りました 脳の疾患により手術をする との事でした ーーーーー 妻が飼っていた犬 結婚後は賃貸の住居だったため連れて行けず 妻の実家で飼って頂いていました あまり賢い犬ではなかったため 散歩に連れて行っても好き勝手に動き飼い主を引っ張りまわすんです ある日、養父が散歩に連れて行ったところ 犬は養父を引っ張り 養父は転倒してしまい頭部を打ちつけたそうで その時は問題無かったようですが 一ヶ月ほど経ってから頭痛などの症状が発現し 脳外科を受診すると 慢性硬膜下血腫で手術と数週間の入院が必要な状態との事で 入院中、妻に家業を手伝って欲しいとの連絡でした 状況が状況だけに悩んでいる場合では有りません 一時的なものですし 当然、妻は実家に帰る事になりました たしか一ヶ月ほど帰っていたように記憶しております 数ヶ月前に 「夫婦なんだから一緒にいなきゃダメだ」 とおっさんに諭すように話した養父は申し訳なさそうにしておりましたが ーーーーー 妻が実家に帰っている間に 学校で育英会の奨学金の受け付けが始まりました 貯蓄があまり無かったおっさんは 最初から奨学金ありきで進学していました 進学前におっさんの父に事情を話し 奨学金の保証人になってもらう了承を得た上で進学していたのでした 早速、父に連絡し奨学金の保証人の件を話しました ここで いまだに続く父に対する負の感情を抱くようになった原因が生まれました 父は 「そんな約束していない」 「母親の借金で苦労したんだから、そんな約束するはずはない」 「保証人にはならない」 の一点張り おっさんが 「保証人がいなくて奨学金の借り入れが出来なければ退学するしかなくなる」 「だから約束通り保証人になって」 と頼んでも父は聞く耳を持ちませんでした この時の絶望感を忘れる事はないでしょう これが原因でおっさんの40代の殆どの期間 おっさんは父と疎遠になりました ー蛇足ー おっさんが病院で管理職となった頃 父が秋田の親戚との電話でその事を自慢げに話す姿を見て 「奨学金の件で梯子を外して絶望させたのに自慢してんじゃねえ」 と強く思うようになり疎遠になりました ー蛇足以上ー 故郷の実家にいる妻に 奨学金の保証人を断られた 金銭的に学生生活を4年間は続けられそうにない とメールしました すぐに妻からの返信がありました 「父さん(養父)に保証人になってくれないか頼んでみようか?」 と 養父は手術は問題無く終わり退院したばかりで自宅にいました その提案を 藁にもすがる思いでお願いしました 結果 即答でOKでした この時の安堵も忘れる事はないでしょう 人生を賭けた選択が絶たれずに済んだのですから 必要な書類を送ってくれれば養父に記載してもらって送り返すよ と妻は言いましたが おっさんは養父への感謝の気持ちを電話ではなく直接伝えたいと思いました それだけおっさんにとっては人生を左右する重大な出来事と考えておりましたし、実際そうなったのです 妻も養父も 「遠いところからわざわざ来なくていいよ」 「大変だし危ないし」 と言いましたが おっさんは養父に直接会ってお礼をする事にしました 日曜日で学校は休みなので すぐに出発しました お昼過ぎでした 当時は道東自動車道は一部区間しか開通していなくて使える様な状況では有りませんでした 一般道を自車で走り 妻の実家までは約7時間の道のりを トイレ以外ノンストップで走りました 夜遅く、妻の実家に到着しました 出迎える妻 久々の再会です が 翌月曜日は朝から仕事が有るため、のんびりは出来ません すぐに養父にお礼を言いました 保証人になるのは些細な事だから気にするな といった感じで すぐに書類に必要事項を記載してくれました 退院後、間もなくでしたが元気そうで安心しました 何度も養父に感謝の気持ちを伝え 妻の実家を後にしました 翌日の仕事のために 滞在時間は30分にも満たなかった筈です また7時間の運転 出発から帰宅まで殆ど運転ばかりで頭がボーっとしましたが 無事に朝の4~5時頃には千歳の自宅に到着しました ーーーーー その後 奨学金の審査は無事終わり 学生生活を続ける事が出来るようになりました 養父に保証人になって頂いたこの件は 何度も妻に 「あの恩は一生忘れない」 と話しました ーーーーー 奨学金は卒業後20年かけて返済する事になっていました 妻は繰り上げ返済して借金を無くそうと度々提案しておりましたが おっさんは、低金利だから無理に繰り上げ返済する必要は無いよ、と伝えていました 予定ではあと2年ほどで返済が終わる予定でしたが残りの金額も少なくなり 今年の6月に再び妻から繰り上げ返済の提案が有ったため おっさんは妻の提案を受け入れました 妻が奨学金返済用の口座に残金相当額を入金し準備してくれて あとはおっさんが奨学金の専用サイトで手続きするだけになっていました そんな時に妻が倒れました ーーーーー 奨学金の完済は 妻も養父も養母も亡き後です あの時の絶望からの安堵 奨学金の感謝を忘れる事はありません その後を考えれば 千歳と妻の実家の往復は大した事は無かったです にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() |
| 2026.02.06 |
出会いの地5
妻の故郷・実家に関連するブログ記事を続けて投稿しています 蛇足が長かったりしますが 子供の頃 ADHD(注意欠如・多動症)傾向にあったおっさんです (落ち着いて座ってられない、忘れ物が多い、部屋を片付けられない) 注意力散漫で蛇足が長くなるとご理解いただければ幸いです ーーーーー ダメもとでお試しに受験したリハビリテーション専門職養成校 受験から約2週間後 仕事が終わり帰宅し郵便受けを確認すると 学校から分厚い郵便が届いていました すぐに自宅に入り 妻に「届いた!」と告げました 「この分厚さは合格したんじゃない?」 と話し開封すると そこには合格通知と 入学の案内や入学に必要な書類が同封されていました 第1希望の学部ではなく 第2希望の学部の合格通知でしたが おっさんは歓喜の声を上げました ダメもとでお試しの受験で一発合格し 離れたくて仕方が無かったガテン系の超絶ブラック企業から離れることが出来 何よりも嬉しかったのです しかし おっさんの歓喜とは異なり 妻は大喜びではありませんでした 300時間の時間外労働をしても 諸々の会社側の都合により60時間でカットされてはおりましたが それでも 残業代を含めると、それなりの収入はありました 同年齢の会社員よりは良かったと思います その生活を捨てる事に妻は不安が有ったのだと思います なのでおっさんと同じテンションでは喜べなかった ただし おっさんが疲弊している姿を見て このままでは良くない とも思っていたのでしょう なので 微妙な反応になったのだと思います ーーーーー おっさんは妻に 「仕事辞めて学校行って良い?」 と聞きました 妻は 「良いよ」 と返答してくれましたが やはり 不安を伺わせるような表情でした 入学の日までは3週間ほどしかなく しかも学校は同じ北海道とはいえ千歳市にあります それから慌ただしく準備が始まりました ーーーーー 準備を進める中で おっさんは妻が見せた不安げな表情が気になっていました 妻はガテン系の会社に勤めるおっさんと結婚したはずなのに 安定を捨てて先行き不透明な生活になってしまいます それも 多大な苦労は目に見えている そんなおっさんの我儘に妻を巻き込んでいいものか と考えるようになりました 結果 4年間の学生生活は おっさん単身で千歳で過ごし その間 妻は実家で生活してもらおうと考えたのです 妻が実家に戻れば 妻に苦労をさせる事も無いし 妻が養父の事業を再び手伝う事も出来るので助かるでしょうし おっさん的にはそれがベターな選択でした 苦労するのはおっさん一人で十分です その事を妻に話しました 不安を抱えた妻だったので了承するかと思いきや 「嫌だ」 「一緒に行く」 と即答しました おっさんが妻にとっても養父にとっても良い選択だと思う理由を伝えましたが 妻は納得しませんでした おっさんは一旦保留にし その後、日を置いて何度か妻に確認しましたが 妻の答えは変わらず お互いに意志は固いまま平行線でした そこで養父の見解を聞く事にしました 養父はおっさんの意見に賛同してくれると思いましたが 「おっさん君。夫婦なんだから大変でも一緒にいなきゃダメだ」 と即答でした 養父にとっても事業のメリットは有るし 我が子の苦労を回避出来るのに 言葉は優しかったけれど、おっさんに 「バカなことを言うな」 とでも言いたげな表情に見えました 養父にそう言われた事で おっさんは考えを改め 妻と一緒に行く事にしました ーーーーー 妻の故郷・実家に関連する話として この件を思い出し 言語化して書いておりますが 言語化・アウトプットは大切だと改めて思い知りました この件を書きながら当時の妻の思いを想像すると 涙が止まらなくなりました この件の2年前 おっさんとの結婚生活を始めるために 妻の故郷からおっさんの自宅に向かう際 妻は 「この町から連れ出してくれてありがとう」 と発したのです 強い閉塞感の中、その町で暮らしていた妻 おっさんとの生活に希望を持ってくれたからこそ出た言葉です 安定を捨て 目に見えている苦労を不安に思いつつも それでも進学を認め おっさんと苦労を分かち合う覚悟を決めたのでしょう そんな覚悟を理解せず 表面的なメリットだけを考え また閉塞感を抱えていた故郷に戻るよう何度も話したおっさん 妻は傷ついた事でしょう 当時は深く考えずに養父の言葉に従いましたが 言語化・アウトプットした事で妻の思いが理解でき 酷い事をしてしまったと考えると涙が止まりません しかし 謝罪したい妻はこの世にいません ーーーーー おっさんの浅薄な思考は誤りで 妻と養父が正しかったことが証明されました 妻が一緒にいてくれて苦楽を分かち合ったからこそ おっさんは仕事と学業を両立させる事が出来ました 妻は不安な表情を見せてはおりましたが いざ千歳の生活が始まると頼もしく 貧困サバイバル生活を楽しみ それから10年後に金銭的に困る事はない生活を手に入れましたが お金の無い千歳の4年間の方が楽しかった と繰り返し話していました それは気遣いから出た言葉ではない事は明白でした ーーーーー あの時 おっさんの浅薄な思考で妻を傷つけた事を 23年経ってからやっと気付き でも謝罪したい妻はいません 本当に自分が嫌になっています 妻も養父も養母もこの世にいないのに おっさんだけおめおめと生きているんです にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() |
| 2026.02.05 |
出会いの地4
生い立ちに理由が有るのか または別の理由が有るのかは分かりませんが 妻は感情を露にする事を避ける様な抑制的な人でした 旅に出たり 話に花が咲いたり 初めての人とコミュニケーションをとったり 忙し過ぎたり おっさんと喧嘩したり 喜怒哀楽を露にする事も勿論有りましたが それでも なるべく自身を律するような人でした なので おっさんがテンション高くなっている様子を見たりすれば からかってくるような事もしばしば有り (全く悪意は無いですよ) 実家の自室に置いたままで おっさんとの暮らしに持ち込まなかった写真 グアムのビーチで水着ではしゃぐ姿をおっさんに見せなかったのは 普段は見せないそんな姿を見られたく無かった事が容易に想像でき 妻らしいなぁと 笑みがこぼれ 妻が倒れて以降 妻の事を思うと苦しくなり 笑えるような気持になることは皆無でしたが 初めて自然と笑みがこぼれたのでした ーーーーー ガテン系の仕事をしていて 遠方の現場で紹介して頂いて出会った妻 入籍してから約4ヶ月後 釧路のおっさんのアパートで 結婚生活がスタートしました 今にして思えば 出会ってから数ヶ月で結婚したため 養父の事業は妻が抜けて大変だったはず 当時はそんな事も考えず 兎に角妻と生活する事が嬉しかった しかし 当時勤務していた企業は超絶ブラックで 度を越えた 休日出勤 残業 は当たり前 それに加えて 当時所有していた国家資格の上級資格にもチャレンジしていたので 折角のプライベートも勉強に費やさねばならず 充実した新婚生活とは言い難い状況でした それでも妻は 専業主婦として 献身的に生活を支えてくれました ーーーーー 転機は結婚生活が2年経とうとしていた頃でした 度を越えた長時間労働により おっさんは20代で高血圧と診断されました 慢性的な寝不足 ストレスによる過度な飲酒 長時間労働による食事回数の増加 上司からの度を越えた毎日の人格否定や怒声 これらが原因でした このままでは早死にする と考えました 更に 現場の施工管理をしていたのですが 発注者に提出する写真を撮影するためにカメラを構えても 咥え煙草のまま安全ヘルメットの顎紐もしていなかったり ルール無用の危険作業をしていたり それを指摘すると怒り出したり そんな方々を統べなければならない立場に辟易していて 就職氷河期の最初期世代のおっさんは 就職氷河期の真っただ中にあっても 何とかその世界から離れたくて 既婚者であるにもかかわらず 別の道を模索していました そして リハビリテーション専門職が売り手市場であるという情報を得て おっさんでも入学できそうなリハビリテーション専門職養成校を探し 見つける事が出来ました ーー注ーー 入学できそうな と言っても 独身時代に貯蓄を一切していなかったおっさんですので 夜間学部が有って昼間働いて学費と生活費を稼ぐことが出来る という点と 学力が低いおっさんでしたので 現役とは別の社会人向けの入試がある という点においてです ーーーーー 中学校で学業はドロップアウトし 授業中はひたすら色んな妄想に耽り 3年間ノート一冊で過ごし そのノートも落書きばかり 板書をノートに書くという意味すら理解しておらず 3年間自習は0 そして偏差値30台の高校に進学 学業に対する姿勢は中学同様 1年生の夏休み明けに不登校となり そのまま退学しようと考えましたが 出席日数が足りなくなり留年が決定するという寸前で担任に救われ それでも勉強は一切せず テストは赤点ばかりで夏季・冬季休暇は補修 成績は学年でワースト3 でしたので(一応卒業はしました) ダメもとで受験しようと妻に相談しました 口を開けば仕事の愚痴ばかりのおっさん 妻はそんな姿を見ていたからか 受験を快く認めてくれました 年間5回有るその学校の入試 その学校の存在を知った時には 5回目の入試しか残されていませんでした 当時リハビリテーション専門職養成校は人気があり狭き門でした 情報によれば複数校・複数回の受験は当たり前で 倍率も5~10倍 その年の最終の入試を受験する事となりましたが まずはお試しという感覚で 本番は次年度と考えました 妻に見送られ 一泊二日の受験の旅に向けて出発しました 面接なども有りましたが そつなく入試をこなしたようには感じていました それでも 学生服姿の現役や綺麗なスーツ姿の社会人ひしめく受験会場 ガテン系のおっさんは毎日、作業服で事足りるので スーツは成人式用に購入した時代遅れのダブルのスーツしか持っておらず 一人だけ10年前に流行ったトレンディドラマの脇役の様な格好のおっさんでしたので 浮いた存在だったであろうことは否めませんでしたが 期待半分で2週間後の合否の通知を待ちました 蛇足が長くなってしまいました 続きます にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() |
| 2026.02.04 |
出会いの地3
25年前 妻の実家には 3人家族の姿がありました それが 10年前に養母は亡くなり 3年前に養父が亡くなり 半年前に妻が亡くなり 今は3人ともいません ーーーーー 実家を解体したい という亡き妻の希望を叶えるため 準備のために実家に行きました 昨年8月 妻が亡くなる前 解体の見積もりをして頂くために 仕事終わりの夜 玄関の開錠に行った以来です その際は中には入らず開錠だけしました 中に入るのは4年ぶりくらい? 妻の実家が近づくと なんて表現して良いか分からない ネガティブな気持ちになりました ーーーーー 昨年8月に開錠してそのままだったので 誰か入ったかもしれない 入っているかもしれない と想像したり 養父が住んでいた頃からネズミが出ている家だったので 玄関を開けたらネズミの大群がいるかもしれない と想像したり 中に入るのは怖さがありました 実家が見えてきました 昨年開錠に行った際は夜だったので 陽の下で実家を見るのは久々でした 何とも言えない感情でした 実家の前に行くと 道路を挟んで向いの家の住人が氷割をしていました 車を降りて向いの住人に会釈しました 目の前に人がいた事で 実家の中に入る怖さは薄れました 降り積もった雪に足跡も無く 人が近づいた形跡は見当たらなかったので 更に中に入る恐怖は薄れ (シカやネズミの物であろう足跡はありましたが) 玄関を開けて もしネズミがいても逃げ隠れる猶予を与えるために少し時間を置き 中に入りました 1階部分は 5年前に妻と廃棄物を可能な範囲で出した後のまま 時間が止まっていました 妻が健在だった5年前を思い出し また複雑な気持ちになりました 物だらけで荒れていた養父の一人暮らし 5年前は2階に行けばその惨状を見る事になるため おっさんは2階に上がりませんでした 2階に上がるのは 最後に妻の部屋に泊まった20年ぶりくらいにはなっているはず 思い切って2階に上がりました 2階は2部屋あり 手前は養父の物を置いている部屋で 奥に妻の部屋が有ります 階段の途中にも物が置かれ 2階の廊下も物だらけ 手前の養父の部屋はやはり物だらけでしたが そこはスルーし 先に奥の妻の部屋からチェックする事にしました 妻の部屋に入ると 案の定、養父の物だらけになっていました しかし 養父のもの以外は 結婚当時に宿泊した時の妻の部屋と変わりなく ベッド オーディオボードとその上にミニコンポ テレビ台とテレビ タンス 本棚 は当時のままの配置でした 懐かしい光景に妻との思い出が蘇り しかし 感傷に浸っている場合ではなく 早速チェックを始めました 養父の物 妻の物 貴重品 記念品 が無いか確認しつつ進めました 結果 貴重品は見当たらなく しかし 妻の記念品が多数見つかりました 小学生の頃の作文や工作や おっさんと出会う前の写真アルバム これらだけ持ち帰る事にしました 写真アルバムは おっさんとの住居に持ってこなかったものなので きっと元彼氏などと写っている写真があるのでしょう まだ中身を見てはいませんが 妻なりのおっさんへの気遣いと それでも思い出は思い出なので捨てる事も出来ず 悩んだ上で実家に置いていたのでしょう 写真アルバムは小さなものもあり それは妻が話していた唯一の海外旅行で行ったグアムの写真でした 20代中ごろ おっさんと出会う前 友人と二人で行ったと話していて その記録でした おっさんには写真を見せてくれなかったため おっさんはてっきり元彼氏と行った旅行だと考えていたのですが 写真を見ると妻の言った通り女性の友人との旅行である事が分かりました しかし写真を見て 妻がおっさんに見せなかった理由が分かりました 写真には友人が撮影したであろう ビーチで水着で遊んでいる妻の姿が有りました 沖縄に2度一緒に旅行に行きましたが ビーチで妻は珍しい貝殻を嬉しそうに拾うだけで 水着になるなど有り得ない と話していた事もあり 若気の至りで水着ではしゃいだ事を知られたくなかったのでしょう 妻の事を考えると 辛く悲しい気持ちにり涙が溢れ 溜息が何度も出たり 妻亡き後はそんな日の繰り返しでしたが おっさんに知られたくなかったであろう写真を見て 妻らしいなぁ と 自然と笑みがこぼれました 妻の事を考えて笑顔になれたのは久々でした 実家に行って良かったと思えました つづく にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() 妻とデートした場所です |
| 2026.02.03 |
出会いの地2
西暦2000年 ガテン系の仕事をしていました ある町の建設現場を担当する事となりました 居住地である釧路市からは遠かったので その町の飯場に寝泊まりする事となりました 炊事を担当していた同じく釧路在住の女性Aさんは 何年も続けてその飯場の炊事を担当していたので その町の事をある程度知っていました Aさんに気に入って頂いたおっさん Aさんは まだ20代の独身で彼女がいなかったおっさんに その町のあるお店で働く女性を紹介するからと そのお店に連れて行ってくれました そこで出会ったのが妻でした その場では軽くあいさつ程度で終わりましたが 後日、夕飯をご一緒する事となりました 同い年で お互い酒好きで すぐに意気投合し 間もなく付き合う事となりました 2000年7月の事でした 似た者同士 人付き合いが苦手で 価値観も近く ある日 夕食・お酒を共にし 妻を自宅に送ってから飯場に帰ろうとした道中 歩きながら妻の自宅付近で 酔った勢いで 「結婚する?」 と問うと 妻は 「する!する!」 とすぐに同意してくれました 人見知りで お酒の力が無ければ 自分の本音が語れない 妻とおっさんらしいエピソードです 時は2000年 平成にすると12年 ずっと忘れる事が無いように 平成12年12月12日に入籍しました 入籍後も 現場は2001年3月まであったので 現場が終わり釧路の生活に戻るまでは おっさんは飯場 妻は実家 で生活しましたが 仕事が終われば妻の実家に行き 泊まらせて頂く事も良くありました 思い出深い 妻の実家 妻の部屋 ーーーーー 中学まではその町の学校に通っていた妻は 高校は釧路市内の学校に進学しました 学校近くの下宿で生活したそうです 高校卒業後は 好きな犬猫に関わる仕事をしたいと考えていたようですが 養父の事業を手伝う事を背負わされ 希望の進路を絶たれたとのこと 高校卒業後は故郷に帰り 家業であるお店を任されました そんな生活の中 地元の同級生の男性と付き合うようになり 付き合いは長かったようですが 20代後半になり 詳しくは話しませんでしたし聞きもしませんでしたが 彼氏から「嫌な事をされるようになった」そうで お別れしたそうです しかし 小さい町です 別れた後も元彼氏はしつこかったようで ある日元彼氏から話がしたいからと 元彼氏のマイカーに乗車する事を懇願され 拒否してもしつこく、止むを得なく乗り込むと 目的は話をする事ではなかったようで 停車する車の中で話をすると思い込んでいた妻は 走り出した車から走行中にドアを開けて飛び降りたそうです そこそこ速度は出ていたようで 飛び降りた妻は道路上を転がり まかり間違えば死んでもおかしくないような状況で それでも飛び降りる選択をした妻 よほど嫌だったのでしょう 幸いに大怪我には至らず ただ 小さな町です その噂は広まり 妻の言葉よりも 元彼氏の言葉を信じる人も多かったようで 希望の進路には進めず 元彼氏にまつわる事実とは異なる噂も広まり 交友範囲は元彼氏を含むグループだったためか交友関係も希薄になり 養母との関係は良好だったものの 養父とはギクシャクしていた事も有ったようで 強い閉塞感を抱えながら その町で暮らしていた妻 そんな中でおっさんと出会い 出会ってすぐに付き合い始め 5ヶ月後には入籍し その町の現場が終わり おっさんとの暮らしを始めるため釧路に向かう車の中で妻は 「この町から連れ出してくれてありがとう」 と話しました 2001年4月の事でした 続きます にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() 今は解体されましたが、ここにお店があり妻と初めて出会いました 昨日、実家に行った帰りに寄りました |
| 2026.02.02 |
出会いの地
釧路管内にある妻の故郷・実家 10年前に妻の養母が亡くなり その後、養父は一人で生活していました 養父は養母亡き後間もなく認知症となってしまいましたが 何とか独居を続けました 認知症が進行すると 養父は繰り返し 「(高齢となり遠方の子供に引き取られるなどして)ここから離れた人間は皆2~3年で死んでいる」 「ここから離れない」 と話しました 妻とおっさん宅に引き取られるか 施設に入所させられるか といった話を切り出されるかと思い 上記発言に繋がったようです 妻が養父のサポートをしつつ 養父は何とか独居を続けましたが 5年前 屋外の灯油タンクと屋内のストーブを繋ぐホースが茶の間で破れ 灯油塗れで居るところを たまたま養父宅近くを通りかかった福祉関係者が まだ寒い3月なのに窓が全開になっていることを不審に思い養父宅を訪ね 灯油塗れの養父を発見し すぐに保護 妻にその旨連絡があり その日から養父は妻とおっさん宅で同居する事に それ以降 妻の実家は空き家となりました それから少し経ち 環境ががらりと変わり認知症が一気に進行してしまった養父は 妻への暴力行為により措置入院→施設入所となってしまいました 妻は刃物により深い傷を負ってしまいましたが 何とか完治しました それよりも 妻は2ヶ月ほど前にある病気を発症しており 自身の療養が必要な時期で有るのに 一瞬も目を話す事が出来なくなるほど認知症が一気に進行した養父の介護まで必要な状況となってしまっていたので 養父が入院・入所となり 正直、安堵しました 養父の措置入院後 妻の傷が癒えてから 妻とおっさんは実家を片付けに毎週末通いました 養父は世代的に物を捨てられない気質で 家の中は物だらけ 認知症なので晩年は貴重品(通帳や印鑑など)を紛失する事も多々あり 生活スペースとなっていた住居の1階部分は 貴重品を見落とさないように丁寧に片付けました 知人から軽トラをお借りして 廃棄するものを積み込んでは廃棄物処理場に向かいましたが 何度も何度も往復しても 一向に減らない廃棄物 1階部分を丁寧にチェックした後は 妻+おっさん+軽トラ では埒が明かないと判断し 後は家屋を解体する際に廃棄物の処理も依頼する事とし 実家の片付けを終わらせました 丁寧にチェックした1階部分からは 彼方此方から貴重品や現金が出てきました 養父は紛失したと話していた 実印 通帳 マイナンバーカード 天皇陛下からの勲章 や 現金の合計十数万円 を見つける事が出来ました その後 3年前に養父が亡くなり 養父が繰り返し話していた 「ここから離れた人間は皆2~3年で死んでいる」 という言葉が現実になってしまったのでした 相続に関して諸々ありましたが何とか揉めずに妻が実家を相続しました 妻は火事にでもなってご近所さんに迷惑を掛ける訳にはいかないと考え 早期の解体を望んでいました が 物置代わりにしていた古い家屋と住居(家2軒分) それぞれにある大量の廃棄物 それらの解体+処分費用で4~500万円は掛かるであろうとの知人の話に加えて 田舎なので土地を売却できるかも分からないし、売却できても数十万円だろうとの予測もあり 大赤字は間違いない状況だったので おっさんが妻の願いをストップしていたのです おっさんがサラリーマンで安定した収入があれば、すぐに妻の願いをかなえる事は出来たのですが おっさんは起業直後で収入は不安定となり 事業が軌道に乗り数年経った後で解体したいと考えたのでした その後も妻は度々、実家を解体したいと発言しておりましたが その都度、事業頑張るからもう少し待ってとお願いしました そんな事も有り ほぼ休みなしで事業に打ち込みました そして昨年8月 余命幾ばくも無い妻は亡くなる数日前にも 実家を解体したい と話しました まだその時は 余命は1~2ヶ月はあるだろうと妻もおっさんも考えていましたので 妻が生きているうちに解体すると決意し 明朝から解体に向けて動き出しました 朝8時から妻の故郷の解体業者数社に連絡し見積を依頼しました 同日、妻と面会中に解体業者から電話があり 解体について境界などの質問が有りました おっさんが分からない部分だったので妻に聞き返答しました 目の前で解体に向けて動き出した事を知った妻は安心したようで それ以降、解体の話はしませんでした と言っても その数日後に亡くなってしまったのですが。。。 業者から見積もりが届いた頃には 妻が亡くなり数日経過していました また 最も安価だった業者に解体を依頼したとして 作業が始まるのは年末になるとの事で 更に 行政から危険家屋と認定され 解体は補助金を利用する事が可能となったのですが 補助金の申請も当該年度は締め切られており 来年度に解体する事となったのでした おっさん的には来年度への延期は助かりました 妻は既に亡くなっているために焦らなくても良く 解体業者も多忙で来年度の方が助かるとの事でしたし 来年度になっても見積もりの金額で解体して下さるとの事でしたし 行政も補助金を利用するなら来年度が望ましいとの事でしたし 何よりも 1階部分は全てチェックしたのですが 2階部分が手付かずの状態であり 2階の貴重品や記念の品などの確認をしたかったのですが 晩年の養父はネズミとともに生活していたのかと思えるほど 1階部分を片付けた際に 家具の裏にはネズミの糞があったり 週末に片付けて翌週に行くとゴミ袋がネズミに齧られていたりで それに加えて冬以外なら昆虫が多いでしょうし 暖かければ匂いも気になるでしょうし 5年空き家になっていたので 2階部分をチェックしに行くなら 冬しかない と考えていたので 今冬 片付けに行く事が出来る猶予が与えられた事は助かりました そして冬を迎え 早く片付けに行かなければ と考えてはおりましたが 何度もお泊りさせて頂いた2階にある妻の部屋に行き 多くの妻の遺品と対面すれば また辛く悲しい気持ちになる事は間違いなく なかなか決心がつきませんでしたが いよいよ2月になってしまったため 事業を臨時休業して 本日、実家に行ってきました 長くなりました 続きます にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() 2階の左側が妻の部屋でした |
| 2026.02.01 |
情報共有
不誠実な方がいらっしゃるので 読者様の参考にして頂ければと思います ーーーーー 衆議院議員選挙 北海道7区から出馬している前衆議院議員 しのだ奈保子氏ですが 安保法は違憲であるとして 安保法制違憲道東訴訟の弁護団の一員となっております しかし、この度 立憲民主党と公明党の衆議院議員だけが合流して新党中道を立ち上げ しのだ氏も新党に加わりました 立憲民主党の議員が新党に加わる際に 「存立危機事態での自国防衛のための自衛権行使は合憲」 と認めなければならない とした条件を突き付けました 公明党の代表だった斎藤氏が会見ではっきり述べていましたよね しのだ氏はXで
と述べておりますが 新党に加わる条件を受け入れたからこそ 中道から立候補しているのですよね ぶれたら、それこそ、懲戒請求ものです と自身で発信しておきながら ぶれたんですよね 原発にしても 立憲民主党は原発0を掲げていたのに 中道は原発再稼働容認という立場で それも新党に合流する条件にしていました 国会議員となって政策を実現する事が目的ではなく 国会議員となる事が目的なのでしょうね 己の信念を曲げてまで新党に合流するのですから そんな条件はのめない! として 無所属で出馬するなら 主張の賛否はともかく見どころがあるとは思いますが 違憲として訴訟を起こしている弁護団の弁護士が 合憲とする新党に合流して出馬しているんです 党内議論で主張するなどと言い訳をしたところで後の祭り 議員になるためなら手段を選ばない方との認識になりました これまでその活動を支持してきた方が憐れです マスコミは絶対に触れないので 事実を共有させて頂きます ご参考になれば幸いです にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() 妻と見学した際の国会議事堂の写真です |
| 2026.01.30 |
溜息
3年前 起業してから初めての年末年始 妻と仙台に旅行に行きました 目的は 洋上で初日の出を拝む事でした 12月29日:釧路発苫小牧行き・苫小牧発仙台行きフェリー 12月30日:仙台着・仙台に一泊 12月31日:仙台発苫小牧行きフェリー 1月1日:苫小牧着・苫小牧発帯広行・帯広に一泊 1月2日:帯広発釧路着 という旅程でした 1月1日の日の出の時間は フェリー乗船中で洋上です フェリーから初日の出を拝むことができるんですね なるべくストレスを感じる事が無いように (後ろから車間距離を異常に詰めて来るドライバーが多く、それがストレスなので) 道東自動車道や国道38・274号線を避け 国道336号線えりも町経由でのんびり苫小牧に向かう事としました 時間に余裕を持って早めに出発 当時、事業用の8人乗りのミニバンを所有していたので おっさんが運転し 妻は助手席後ろの2列目シートでゆったり やはり国道336号線は交通量は少なく 後ろから追いつかれても左に寄って後続車に追い越してもらい ストレスなく運転する事が出来ました 車を運転する際はやむを得ない場合を除き 遠回りになろうが 時間が掛かろうが ストレスが少ないであろうルートを選択するようになって久しいです 妻はおっさんを知り尽くしているので説明不要 ーー蛇足ーー たまに妻以外の人を乗せて運転する際は 「あっちの道路の方が近いよ」 などと言われるケースが多いですが その都度、理由を説明しても理解を示して頂けない方が多いです なので説明が面倒臭い ーー蛇足以上ーー のんびり走行していたのですが それでもガチガチに制限速度を遵守しているトラックなどには追い付いてしまうため 追い越していました 何台目かのトラックを追い越した後 あまりにも交通量は少なく 長い直線が続いたため 知らず知らずのうちに制限速度を〇〇km/hオーバーしていました そのまま再びトラックに追いつき追越した直後 対向車は白いクラウン 運転席と助手席にはヘルメットらしきものを被った人が乗っていました 覆面パトカーでした ただ、対向車だったので まさかUターンしてまで追いかけて来ないだろうとそのままの速度で走行しました それから数分後 気付けば後方のパトカーのスピーカーから サイレンが鳴り 左に寄せて止まれとの指示が 速度超過でお縄頂戴 幸いだったのは 一発免停にはならなかったことでした お巡りさんは 「少し前にすれ違ったの気付かなかった?」 「結構な勢いで走っていたからUターンしてきたんだよ」 と話しました 何を言っても後の祭り 苫小牧発のフェリーの時間は決まっているので 余計な事を言わずにお巡りさんの指示に従いました 場所は浦河町を過ぎたあたりだったように記憶しています 楽しいはずの旅の始まりで、いきなり躓き 数年前にやっとゴールド免許になったのにそれもパァ パトカーに乗せられ全て手続きを終え 妻が待つ自車に戻り再出発 おっさんを気遣う妻 それまで妻相手にベラベラ話していたおっさんですが急に無口になり 口から出るのは溜息ばかり 何回目かの溜息の後 妻が言いました 「そんな気持ちで旅行に行ったって楽しくないでしょ」 「やめるかい?」 ーーーーー 妻は溜息が嫌いな人でした 25年の結婚生活 何度か溜息を 「幸せが逃げる!」 と注意されました ーーーーー 妻の言葉にハッとして 「そうね、せっかくの旅行だから楽しまないとね」 と返答し 「この後、郵便局があったらすぐに反則金払ってそれで忘れる」 と伝えました その後間もなく 三石に郵便局があり 15000円の反則金を収めました 「よっしゃ!これで忘れるわ!」 と気を取り直して再出発 再び妻に注意される事が無いように 検挙された事を考えないようにしました 妻のお陰で それ以降の旅路は問題無く 二人で楽しむ事が出来ました その日(29日)の夜、苫小牧発仙台行きフェリーに乗船 (車は苫小牧に置いて行きました) 翌(30日)午前中に仙台港着 お昼頃仙台市内に到着 すぐに牛タンを堪能 夕方には謎解きゲームに参加 夜は翌日に備えて早めにホテルで休み 翌日(31日)は朝から仙台市内の循環バス「るーぷる」に乗り観光 仙台城跡 大崎八幡宮 に行きました 瑞鳳殿にも行きたかったのですが休業日で残念でした その後、仙台港近くのショッピングモールでお買い物 そして夜 苫小牧行きのフェリーに乗船 贅沢にも大きめの個室を予約してたので のんびりフェリーの旅を楽しみました おっさんたちと同じ目的(洋上で初日の出を拝む)方々が大勢乗船しており 船は混雑していました 個室ではない方々がロビーのテレビ前にたくさんの家族・グループがいて グループごとにご馳走を広げてお酒を酌み交わし紅白歌合戦を見ていました 23時には大晦日の特別サービス レストランで年越しそばが500円で振舞われていました 妻を誘いましたが小食の妻はノーサンキュー おっさんだけ食べに行きました そして翌日に備えて就寝 天気予報は晴れ 翌朝はこの旅の目的である初日の出を拝みに6時に起床し準備 初日の出の時間が迫ると みな甲板に出てきました 寒かったけど おっさんたちは早めに場所取りしていました 晴れの予報のはずが雪が降りだしたり雲も有りましたが 初日の出を拝む事が出来ました 身体の小さな妻は その後来たおばちゃんに押しのけられ 場所を取られてしまっていましたが・・・ ーーーーー 速度超過により検挙された後の溜息 妻が注意してくれたお陰で 楽しい旅となりました 25年の結婚生活 何度か妻に溜息を注意されましたが 最後に妻から溜息を注意されたのが、その旅でした おっさんの溜息を注意するだけあって 妻の溜息を聞いた記憶は殆どありません ちゃんと行動で示すカッコいい妻でした ーーーーー 妻が亡くなった今 妻の事を考えたり 妻の遺影を見るたびに 毎日毎日、何度も溜息が出ますが 遺影の妻は注意してくれず 数日前に気づいたんです 何度も何度も溜息をついている事に そして妻から何度も溜息を注意されていた事も 最後に仙台の旅で注意された事も 思い出し いつ終わるか分かりませんが この先の人生で誰かに溜息を注意される事はないんだろうな と思います 妻は あの世でおっさんの溜息を見て注意してくれているのかもしれませんが おっさんには届かず 妻に会いたい にほんブログ村 日々の出来事ランキング 少し時間が経って人がいなくなってから雲の隙間に見えた初日の出です ![]() |











