北海道釧路発 neoおやじの日々 - 記事一覧
http://blog.livedoor.jp/neo310h/
| 発行日時 | 見出し |
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| 2026.01.30 |
溜息
3年前 起業してから初めての年末年始 妻と仙台に旅行に行きました 目的は 洋上で初日の出を拝む事でした 12月29日:釧路発苫小牧行き・苫小牧発仙台行きフェリー 12月30日:仙台着・仙台に一泊 12月31日:仙台発苫小牧行きフェリー 1月1日:苫小牧着・苫小牧発帯広行・帯広に一泊 1月2日:帯広発釧路着 という旅程でした 1月1日の日の出の時間は フェリー乗船中で洋上です フェリーから初日の出を拝むことができるんですね なるべくストレスを感じる事が無いように (後ろから車間距離を異常に詰めて来るドライバーが多く、それがストレスなので) 道東自動車道や国道38・274号線を避け 国道336号線えりも町経由でのんびり苫小牧に向かう事としました 時間に余裕を持って早めに出発 当時、事業用の8人乗りのミニバンを所有していたので おっさんが運転し 妻は助手席後ろの2列目シートでゆったり やはり国道336号線は交通量は少なく 後ろから追いつかれても左に寄って後続車に追い越してもらい ストレスなく運転する事が出来ました 車を運転する際はやむを得ない場合を除き 遠回りになろうが 時間が掛かろうが ストレスが少ないであろうルートを選択するようになって久しいです 妻はおっさんを知り尽くしているので説明不要 ーー蛇足ーー たまに妻以外の人を乗せて運転する際は 「あっちの道路の方が近いよ」 などと言われるケースが多いですが その都度、理由を説明しても理解を示して頂けない方が多いです なので説明が面倒臭い ーー蛇足以上ーー のんびり走行していたのですが それでもガチガチに制限速度を遵守しているトラックなどには追い付いてしまうため 追い越していました 何台目かのトラックを追い越した後 あまりにも交通量は少なく 長い直線が続いたため 知らず知らずのうちに制限速度を〇〇km/hオーバーしていました そのまま再びトラックに追いつき追越した直後 対向車は白いクラウン 運転席と助手席にはヘルメットらしきものを被った人が乗っていました 覆面パトカーでした ただ、対向車だったので まさかUターンしてまで追いかけて来ないだろうとそのままの速度で走行しました それから数分後 気付けば後方のパトカーのスピーカーから サイレンが鳴り 左に寄せて止まれとの指示が 速度超過でお縄頂戴 幸いだったのは 一発免停にはならなかったことでした お巡りさんは 「少し前にすれ違ったの気付かなかった?」 「結構な勢いで走っていたからUターンしてきたんだよ」 と話しました 何を言っても後の祭り 苫小牧発のフェリーの時間は決まっているので 余計な事を言わずにお巡りさんの指示に従いました 場所は浦河町を過ぎたあたりだったように記憶しています 楽しいはずの旅の始まりで、いきなり躓き 数年前にやっとゴールド免許になったのにそれもパァ パトカーに乗せられ全て手続きを終え 妻が待つ自車に戻り再出発 おっさんを気遣う妻 それまで妻相手にベラベラ話していたおっさんですが急に無口になり 口から出るのは溜息ばかり 何回目かの溜息の後 妻が言いました 「そんな気持ちで旅行に行ったって楽しくないでしょ」 「やめるかい?」 ーーーーー 妻は溜息が嫌いな人でした 25年の結婚生活 何度か溜息を 「幸せが逃げる!」 と注意されました ーーーーー 妻の言葉にハッとして 「そうね、せっかくの旅行だから楽しまないとね」 と返答し 「この後、郵便局があったらすぐに反則金払ってそれで忘れる」 と伝えました その後間もなく 三石に郵便局があり 15000円の反則金を収めました 「よっしゃ!これで忘れるわ!」 と気を取り直して再出発 再び妻に注意される事が無いように 検挙された事を考えないようにしました 妻のお陰で それ以降の旅路は問題無く 二人で楽しむ事が出来ました その日(29日)の夜、苫小牧発仙台行きフェリーに乗船 (車は苫小牧に置いて行きました) 翌(30日)午前中に仙台港着 お昼頃仙台市内に到着 すぐに牛タンを堪能 夕方には謎解きゲームに参加 夜は翌日に備えて早めにホテルで休み 翌日(31日)は朝から仙台市内の循環バス「るーぷる」に乗り観光 仙台城跡 大崎八幡宮 に行きました 瑞鳳殿にも行きたかったのですが休業日で残念でした その後、仙台港近くのショッピングモールでお買い物 そして夜 苫小牧行きのフェリーに乗船 贅沢にも大きめの個室を予約してたので のんびりフェリーの旅を楽しみました おっさんたちと同じ目的(洋上で初日の出を拝む)方々が大勢乗船しており 船は混雑していました 個室ではない方々がロビーのテレビ前にたくさんの家族・グループがいて グループごとにご馳走を広げてお酒を酌み交わし紅白歌合戦を見ていました 23時には大晦日の特別サービス レストランで年越しそばが500円で振舞われていました 妻を誘いましたが小食の妻はノーサンキュー おっさんだけ食べに行きました そして翌日に備えて就寝 天気予報は晴れ 翌朝はこの旅の目的である初日の出を拝みに6時に起床し準備 初日の出の時間が迫ると みな甲板に出てきました 寒かったけど おっさんたちは早めに場所取りしていました 晴れの予報のはずが雪が降りだしたり雲も有りましたが 初日の出を拝む事が出来ました 身体の小さな妻は その後来たおばちゃんに押しのけられ 場所を取られてしまっていましたが・・・ ーーーーー 速度超過により検挙された後の溜息 妻が注意してくれたお陰で 楽しい旅となりました 25年の結婚生活 何度か妻に溜息を注意されましたが 最後に妻から溜息を注意されたのが、その旅でした おっさんの溜息を注意するだけあって 妻の溜息を聞いた記憶は殆どありません ちゃんと行動で示すカッコいい妻でした ーーーーー 妻が亡くなった今 妻の事を考えたり 妻の遺影を見るたびに 毎日毎日、何度も溜息が出ますが 遺影の妻は注意してくれず 数日前に気づいたんです 何度も何度も溜息をついている事に そして妻から何度も溜息を注意されていた事も 最後に仙台の旅で注意された事も 思い出し いつ終わるか分かりませんが この先の人生で誰かに溜息を注意される事はないんだろうな と思います 妻は あの世でおっさんの溜息を見て注意してくれているのかもしれませんが おっさんには届かず 妻に会いたい にほんブログ村 日々の出来事ランキング 少し時間が経って人がいなくなってから雲の隙間に見えた初日の出です ![]() |
| 2026.01.29 |
か弱き人5
妻亡き後 妻と苦楽を共に出来ない生活を想像し この世に生きる意味を失いつつありました ストレス耐性が低ければ 精神を病んで自死を選択できたかもしれませんが ストレス耐性は高く また、命根性も汚く 自死を選択する事は出来ず なので せめて妻亡き俗世から離れたい一心で 宗教家になる事も考えるようになっていました 牧師に宗教家への道を進む事を考えていると話すと ご高齢になってから神学校に進学した方もいらっしゃる事を教えて下さり 選択肢として可能性はある事が分かりました しかし 教会に出入りさせて頂くようになると キリスト教は俗世で神や人々に仕えている という事が分かりました 俗世のおっさんに手を差し伸べて下さったのですから 俗世から離れるために宗教家を目指す というのは 誤った考え方なのかもしれません 今後、再考が必要のようです 妻亡き俗世に 明るい未来は見えず 人は何とも か弱き存在です (おっさんだけかもしれませんが) にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() |
| 2026.01.28 |
か弱き人4
妻の死を機に それまで最も軽蔑していた信仰に おっさんは触れました そんなおっさんに 牧師はじめ教会の人々は 暖かく接してくださいました 初めて出会ったおっさんに牧師は 2時間も掛けて死に対する考えをご教示してくださいました 妻の葬儀もお願いさせて頂きました その後も、妻の死を受け止めることが出来ずにメールで相談した際は 真摯に長文で回答してくださいました 初めて教会に電話した際に電話を受け取り牧師に繋いでくれた教会の女性は 夫婦で妻の葬儀に参列してくださいました 礼拝・夕拝にも誘って頂きました ーーーーー 妻が亡くなる前も亡くなった後も 頭が変になりそうでした 亡くなってから一ヶ月ほど経った頃 教会に行ってみたいと考えました 牧師に相談させて頂くと 快く了承してくださいました 仕事の都合上 朝の礼拝ではなく夕方の夕拝に参加しました 同じく夕拝に参加していた女性 夕拝が終わった後 妻の死を嘆き涙するおっさんに 牧師と女性がお祈りをささげてくださいました 聖書について学びたいならと 毎週牧師が時間を割いて聖書学び会を催してくださっています 参加予定者がインフルエンザに罹患し中止となりましたが 教会の方が自宅で行う食事会に誘っていただきました 牧師にも自宅での食事に誘っていただきました 牧師の妻の手料理をご馳走になりました 妻の4回目の月命日と25回目の結婚記念日が同日だったため 教会で記念会を催して頂きました 葬儀に参列してくださったご夫妻と牧師の妻も参加してくださいました 別の教会の方2名が妻に捧げる花を用意してくださいました 過去、教会に携わっていた英国人ご夫妻が久しぶりに英国から訪れた際に教会で歓迎の食事会が行われたのですが おっさんも誘って頂きました 教会で一同が集い行われる礼拝・夕拝とは別に 小グループが自宅などで行う集いに参加させて頂きました 葬儀に参列して下さったご夫妻の自宅で行われました 帰りに奥様が独り身になったおっさんを気遣って 手料理を持たせてくださいました ーーーーー どこの馬の骨とも分からない みすぼらしい50過ぎの初対面のおっさん しかもクリスチャンではないのに まるで仲間のように優しく扱ってくださるんです 役割や献金など強制されるでもなく損得抜きで ーーーーー 昨日の「か弱き人3」に 科学や医学が未発達だった過去 未知の病や天変地異、暴力や戦争により理不尽とも思える死に対し なぜこんな事が起きたのか なぜ愛する家族なのか この死に意味は有るのか と悲嘆に暮れ その問いへの答えが信仰だったのだろう と記しました 現代は 科学や医学が発達し 様々な困難の原因や理由が分かるようになりましたが 結局は同じように理不尽とも思える死を迎える人は多く そして同じように悲嘆に暮れています しかも産業革命以降 日本では特に戦後が著明ですが 人は職を求めて故郷を離れるようになり 核家族化どころか 近年では家族内の人間関係も希薄になり 悲嘆を共有するコミュニティは崩壊していると言っても過言ではなくなりました そのように変革してしまった社会で いつまでも死を悲嘆し続けて涙することが出来る 罪を告白し許される 聖書を通して道徳や倫理を学び生き方を知る 生や死について教えを請う 事が出来 何よりも孤独から救ってくれる それがキリスト教の教会に集う他に類を見ない現代こそ必要なコミュニティであると 少なくとも おっさんはその様に考えています ーーーーー 文明が発達しても人類は「か弱き人」のままです 悲嘆を共有していたであろう 故郷・神社・寺院などのコミュニティは社会の変革と共に その役割を失いつつあります 友人知人 職場 趣味の集い などコミュニティはありますが いつまでも悲嘆を共有する場にはなりにくい もし読者様の中で 孤独の中で悲嘆に暮れている方がいらっしゃるなら 信仰に頼ってみては如何でしょうか 人は人との繋がりの中でしか生きる事ができない か弱き存在なのですから 弱さを曝け出す事が出来る場所は必要だと思います ーー追記ーー 妻が亡くなり あまりに巨大な困難に直面したからか 自律神経の調整が上手くいかなくなり 常に交感神経が優位に働いていました 脈は常に100bpm以上あり 手足が冷たくなりました 教会の夕拝に参加させて頂くようになって数ヶ月経過した頃 夕拝の途中で手足が暖かくなっている事に気付きました それ以降も何度か同じような事がありました 副交感神経が優位になった事が分かりました スピリチュアル的な出来事ではなく 牧師はじめ教会の方とその空間にいる事が 安心を与えてくれたのだと思います にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() |
| 2026.01.27 |
か弱き人3
現代以前 人の平均寿命は 現代とは比べ物にならないほど短かったようです 古代では25~30歳程度と言われておりますし 中世でも30~35歳程度と言われております 注意しなければならないのは みながその年齢で老いて亡くなるという訳ではない事です 周産期~新生児期~乳幼児期の死亡率が高かったため 平均を押し下げていたのであって 幼少期を生き延びれば50歳~70歳まで生きた人も多かったようです ただ、それにしても 現代と比較すると短い生涯だった 平均寿命が延びたのは20世紀に入ってからで 公衆衛生・医学(産科医療、抗生物質)の発達 ワクチンの普及 社会制度・教育水準の向上 などがその理由です ーーーーー 現代以前は 50~70歳まで生きる人がいた反面 周産期~新生児期~乳幼児期に亡くなる人が最も多く また、若くして亡くなる方も多かったということです 科学が未発達なので 目に見えない細菌やウィルスの存在など知る由もなく 原因も分からないまま愛する人たちが亡くなっていく 未知の病への恐怖 自然に対する恐怖も大きなものだったでしょう 干ばつや台風、豪雨により食糧難に陥り飢餓となったり 山火事や竜巻、雷で命を落とす方もいたでしょう 地震、津波は言わずもがなです また 暴力・略奪も現代よりはるかに多かったであろうと推察もできます そもそも警察組織などの社会制度が未発達であり 代替となる自警団などは存在していたようですが 科学的な捜査が当たり前の現代と異なるため 加害者が特定できなかったケースも多く 更には 人類の歴史は戦争の歴史と言えるくらいに 絶えず戦争は繰り返されており 望まない戦争に兵隊として駆り出されて戦死する事や 民間人も巻き込まれるケースも多かったでしょう 現代とは比較にならないほど 理不尽としか思えない「死」が数多あった 当時これらは人間の理解を超えたものだったでしょう 愛する家族が急に苦しみだし倒れた 原因は分からず 苦痛を緩和する薬もない 為す術なく 苦しみの中、絶命する そんな光景を想像するだけで 胸が痛み涙が流れます なぜこんな事が起きたのか なぜ愛する家族なのか この死に意味は有るのか その様な問いへの答えが 信仰だったのでしょう そして時を重ね 信仰は世界中に広まった ーーーーー 前回の「か弱き人2」で キリスト教の罪を記載しました 妻が亡くなる以前のおっさんは 宗教を大きな一つの括りとして捉え軽蔑していました しかし妻を亡くし キリスト教に触れ その考えを改めました キリスト教に限らず多くの宗教の末端の信者たちは、か弱い存在です そして、か弱き人々は愚直に信仰しています 信仰を己の欲望のために利用しようなどとは露とも考えていません 宗教がもたらした人類の多くの厄災は 時の権力者や為政者が 己の欲望のために宗教を利用したのだろう そう考えるようになりました ご都合主義 と呼ばれても仕方がありませんが これが今のおっさんの考えです つづく にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() |
| 2026.01.26 |
か弱き人2
積極的にインターネットを使うようになる以前 小林よしのり氏のゴーマニズム宣言 を読むようになりました 特に 小林よしのり氏のゴーマニズム宣言 「戦争論」は おっさんにとってとても重要な書となりました (漫画ですが) それまで教えられた日本の戦争に関する歴史は 著しく偏向しているか捏造さえされている事を知りました それとともに 白人キリスト教国家の罪も記されていました 第二次世界大戦当時 有色人種の国家で事実上独立していたのは日本のみ それ以外の有色人種の国々(日本の植民地と中華民国の租界・タイを除く)は 全て白人キリスト教国家の植民地でした 大航海時代が始まりスペイン・ポルトガルは中南米を植民地にしました 英国は北米やオセアニア・インドを植民地にしました その後、アフリカやアジアも欧米列強の植民地になりました 植民地支配にキリスト教は深く関わりました ここに書きたくないほどの残忍な支配でした 数千万人規模の原住民が命を落としたことでしょう そして第二次世界大戦中 ナチスドイツはホロコーストによりユダヤ人ジェノサイド(民族浄化)を行いました また 米国は原爆投下・空襲により日本人ジェノサイドを行いました どちらも キリスト教価値観による人種差別が根本にある と戦争論に記されていました 信仰への軽蔑は戦争論に出会う前から強固になっておりましたが 戦争論を読み キリスト教に対する軽蔑は更に強くなりました ーーーーー 妻が倒れ 余命が残りわずかと告げられ 頭がどうにかなりそうでした 唯一のつながりある血縁者の父は認知症となっており相談できる様な状況ではなく それまで信仰を軽蔑して生きていましたが 信仰に頼らざるを得ないと考えました 数十年の強固な軽蔑を覆すほど妻の死は経験した事の無い巨大な困難でした 相談先をネットで検索しました 結果2件ヒットしました 寺院の住職と教会の牧師でした キリスト教への軽蔑はより強固だったので 寺院の住職に相談する事としました 結果 頭が混乱していたからかもしれませんがよく分かりませんでした キリスト教などに頼るまいと考えておりましたが 教会の牧師に相談しました 明確な答えが返ってきました やるべき事がはっきりしました 最も軽蔑していた信仰に助けられたのです ーーーーー 江戸時代まで 神社・寺院は生活に密着していました 寺子屋なんかが最たるものでしょうか しかし社会の構造が変わり 神社・寺院は儀式や儀礼を行うための施設であり 死や悲嘆を受け止め助言を与えてくれる存在ではなくなり 今やその存在は唯一 キリスト教の教会だけ 妻が倒れ この事に気付き か弱き自分は最大限に軽蔑していた存在に助けられる事になりました つづく にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() |
| 2026.01.20 |
か弱き人
今まで何度かブログに記載しましたが。。。 宗教団体Aに傾倒した母親が 反対する父親に隠れて信仰を続けました 当初は脳性麻痺で障害を抱えた姉を救済する事が目的でした おっさんが小学校に上がる頃の事でした 年に3~4回しか帰ってこない遠洋漁業の漁師だった父 母からすれば欺くのは簡単でした 軽度知的障害も併発していた姉の洗脳は簡単でしたし 唯一の懸念だったであろうおっさんに嘘を強要するだけで良かったのですから 「お前がお父さんに本当の事を話せば離婚だよ」 「お前はどっちについていく?」 と脅され おっさんは母親の嘘に加担しました 一度パートナーを欺いた母親は それ以降、嘘に嘘を重ねる生活となり 多額の借金を残して失踪するに至りました 信仰など碌なものじゃない と子供ながらに考えていました ーーーーー 1999年~2000年頃にはネットを積極的に使うようになりました それまでの常識が覆りました 最たるものが歴史でした 日本人は悍ましい民族だと教えられて育ちました 日本人である事が恥ずかしかった でもそれは 真実に基づいた思考ではない事が分かりました ーーーーー 隠れキリシタンについて学校で学びました 純粋に信仰している日本人クリスチャンだったが 時の日本の為政者はキリスト教を禁じた 踏み絵によりクリスチャンであるか否かを判断し キリストなどの絵を踏む事が出来なければクリスチャンと判断し投獄や処刑など罰が与えられた 日本は信仰の自由すら認めず残酷な方法で弾圧していた と学びました それまで散々 戦争での日本人による悍ましい戦争犯罪の数々を教えられていたので なるほど 日本人らしい残酷な方法だと受け止めました そして やはり日本人は悍ましい民族であるという思考を強固にする事となったのです それから年月が経ちネットを使うようになると それまで教えられた歴史は 著しく偏向しているか もしくは 捏造さえされている事が分かりました 隠れキリシタン もその一つでした 国家主権の侵害・国家の安全保障を考えると 為政者がキリスト教の布教を禁止するのも止むを得ない という理解になりました 日本人が外国に売り飛ばされていた 人身売買もあったようですし ーーーーー 自身の経験 歴史の事実 により 信仰への軽蔑は強固なものになっていました 信仰する人々は 信仰に頼らなければ生きていけない弱い人々 金や権力の亡者である教祖に騙されている人々 と考えていました しかし 人生最大の困難をきっかけに ある人物に出会った事で それまでの考えが全くの誤りだった事に気付きました 自分こそ 信仰が無ければどうにかなったであろう か弱き人間である事が分かりました つづく にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() |
| 2026.01.19 |
左翼 → リベラル → 中道
妻が亡くなってから政治や社会問題について 関心を持つ余裕もありませんでしたが 何やら不誠実すぎる動きがみられましたので 軽く触れたいと思います ーーーーー 左翼 というワードが好意的に受け止められていた時代がありました 知的 進歩的 というイメージがあったようです その後 安保闘争があり 左翼 というワードは否定的に受け止められるようになりました そうなると 左翼 と呼ばれる人たちは 根っこは変わらないのに リベラル を「自称」するようになりました 根っこは変わらないので リベラルを自称する人たちは ポリコレ・DEI を推し進め 分断が生じるようになり リベラル というワードも懐疑的にみられるようになりました そして今度は また根っこは変わらないまま 中道 を自称するようになりました 中道を自称する方々を見ていると 全く世の変化を見誤っているようにみえます ネット・SNS上の世論を否定的に捉えている ネット・SNS上の自身や自身が属する組織に対する否定的な言論を 一部少数が組織的に展開している攻撃・嫌がらせ程度にしか受け止めていないんですね ーーーーー どんなに優れた頭脳を持っていても 正しい情報を得る事が出来なければ 判断を誤ります おっさんの頭脳は優れていませんが 正しい情報を得ることが出来れば それなりの判断が出来ます 日本は某国からの認知戦・情報戦による攻撃の真っただ中にあります その攻撃に加担しているのが 自称リベラル・自称中道 オールドメディア ですね ネット・SNSの情報も玉石混交ですが惑わされずに 正しい情報により思考することで 我々の子孫により良い環境を残してあげる事ができれば と思います にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() |
| 2026.01.17 |
人殺し4
パートナーを亡くし 死の責任は自分にある と考えた Dさんとおっさんですが そこから先の思考は 全く異なるものでした ーーーーー 2つ前の記事「人殺し2」に記載した 社会的再適応評価尺度 では 他の誰の死よりもパートナーの死が最もストレスが強いとされています 他者との関りの中で妻を亡くした事を告げると 共感して下さる方が多くいらっしゃいます 中には自身の喪失体験を語り おっさんに寄り添って下さる方もいらっしゃいます 本当にとても有難いことです ただ ペットの死による喪失体験を語り パートナーを亡くした気持ちが分かる と言われても たいへん申し訳ないのですが 素直に受け止める事ができません やはり 同じようにパートナーを亡くし しかもおっさんと同じようにパートナーの死に対する自分の責任まで考えていた Dさんのような方の言葉は 素直に受け止める事ができます ーーーーー 妻亡き後 妻の死に対する自身の責任に初めて向かい合った朝 形容しがたいネガティブな気持ちになりました その僅か数時間後に 同じように考えたDさんと出会い パートナーの分まで元気に長生きしたい というポジティブな言葉を聞き 殴られた様な感覚がありました 目が覚めた とまでは言いませんが そんな考え方もあるんだ と Dさんはおっさんの院に通院して下さることとなりました Dさんは夫を亡くし10年経っています Dさんの負担にならない範囲で ポジティブな思考に至った経緯を聞かせて頂きたいと思いました ーーーーー 妻の死という辛苦を経験する前は なんでも理屈で解決できると考えていました しかし 理屈で解決できない困難を前にして 同じ困難を経験した方との交流が こんなにも有難いことなのだと実感しています 一人で生きていける 一人でなんでもできる と壮大な驕り昂ぶりがありましたが 妻のサポートなしでは何も成し遂げていない事に気付き また 妻を筆頭に周囲の人々の存在により自分は生かされているんだ という事にも気付き 妻の死に対する責任について 今すぐに答えは出そうにありませんが 周囲の方々の助けを有難く頂戴し いつか自分なりの答えを見つける事ができればと思います Dさんとの出会いに感謝しつつ にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() |
| 2026.01.16 |
人殺し3
数日前 仕事に行く準備をしている最中に それまで逃げ続けていたある思いが頭を駆け巡りました それは おっさんが妻の死期を早めたのかもしれない おっさんなんかと結婚しなければ妻は幸せに長生きできたかもしれない という思いでした ーーーーー その日のお昼頃 おっさんの院に初診の女性Dさんが訪れました ある身体部位の不調が主訴でした 問診にて これまでの既往歴を聞きました 10年程前に重病による手術歴がありました 初期評価を終え施術を始めました 施術中、様々お話をさせて頂きました Dさんの身体状況を考えると家事などのサポートが必要と考え 家族構成について質問しました Dさんは独居とのこと その後、Dさんは夫について話し始めました 夫は10年前に亡くなった Dさんが10年前に重病となり緊急手術し入院していた 急な手術+入院で夫は自宅で一人となってしまった 一人となり食生活などが安定せず夫は廃用症候群となってしまった Dさん退院後、夫は廃用症候群を起因とする疾患を罹患し亡くなってしまった とのことでした Dさんは話を続けました 私が入院しなければ夫は亡くなる事は無かった 私のせいで夫は亡くなってしまった 私が殺したようなものだ と 妻が亡くなり5ヶ月間 妻の死に対するおっさんの責任について思考することなく逃げ続けておりましたが それを初めて考えた日の朝から僅か数時間後に おっさんと同じ様にパートナーの死に対する責任を感じたと考えるDさんと出会ったのです 偶然にしては出来過ぎている物語のようなタイミングに 驚くと共に恐ろしさも感じてしまいました また、おっさんと同じように考えた方がいる事に少しの安堵も感じました 苦しんでいるのは自分だけじゃないと Dさんは更に話を続けました 私のせいで夫は死んだ 私が殺したようなものだ と友人たちに話したところ 友人たちは そんなことはない あなたの責任ではない と慰めてくれたそうです 数時間前に妻の死に対する責任を感じたおっさんも思わず 「Dさんの責任では無いでしょう」 「やむを得ないことでしょう」 と自分の事を棚に上げて話しました Dさんは 友人たちに助けられた 友人たちの言うとおりに考える事にした と話しました そして続けざまに 今は夫の分まで一分一秒でも元気に長く生きようと思っている と話したのでした この言葉におっさんは 横っ面を殴られたような思いでした つづく にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() |
| 2026.01.15 |
人殺し2
自分の無知を棚に上げ 総合病院は優秀であるが 地域の医療機関は優秀では無いと格下扱いし 挙句には「人殺し」呼ばわりする そんな人たちに強い怒りを感じた15年以上前のおっさんでした でも今は パートナーを失った患者Bさん(昨日の記事を参照ください)の気持ちが理解できるようになりました それは おっさんもパートナーを失ったからに他なりません ーーーーー リハビリ専門職養成校に在学時 精神医学?心理学?で学んだ 社会的再適応評価尺度 というものがあります (全43項目ありますが代表的なもののみ記載します) 順位・ライフイベント・LCU(ライフチェンジユニット・ストレスの強さ) 1・配偶者の死亡・100 2・離婚・73 3・夫婦の別居・65 4・逮捕・拘留・63 5・家族の死亡・63 6・大きな病気や外傷・53 7・結婚・50 8・解雇・47 9・夫婦の和解・45 10・退職・45 11・家族の健康問題・44 12・妊娠・40 13・性生活上の問題・39 14・家族構成の変化(出産・同居など)・39 15・仕事上の大きな成功・39 17・親友の死亡・37 20・高額な借金・31 22・仕事上の責任の変化・29 23・子どもの独立・離家・29 27・就学・卒業・26 30・上司とのトラブル・23 この指標でも明らかなように 配偶者の死亡によるストレスの強さは 他のストレスに比べて突出しています ーーーーー パートナーを喪失した患者Bさんの 「人殺し」 と発言するに至った気持ち 当時は強い怒りを感じましたが 今なら怒る事なく受け止める事が出来そうです パートナーの喪失はそれだけストレスが強く 簡単には解決できる問題ではないため やり場のない複雑な感情が Bさんの発言を生んでしまったのでしょう ーーーーー 妻が亡くなった直後からしばらくは 思考を無意識的に避けていたと思われる事があります それは 妻の死に対するおっさんの責任です 体調が良くなかったであろう妻 なぜ、それに気付く事が出来なかったのか 倒れる前に気づけなかったのか 内科や神経内科、精神科などを定期通院していたが 総合的な健康診断をなぜ勧めなかったのか 更年期障害により辛い思いをしていた頃 もっともっとサポートできたのではないか 仕事が忙しく心身ともに疲弊していた頃 なぜ退職を勧める事が出来なかったのか なぜ結婚してから進学し 妻に苦労させてしまったのか そもそも おっさんなんかと結婚せずに 他の真っ当な方と結婚していれば もっと幸せに長生きできたのではないか おっさんが妻の死期を早めてしまったのではないか おっさんは人殺しなのではないか おっさんの責任について 妻の死後、しばらくその思考から逃げ続けていましたが 2日前にその思考が頭を駆け巡るようになりました そして 15年以上前のBさんの発言も思い出す事になりました おっさんもBさんも根は一緒です Bさんは なぜ助けてくれなかったのか と外に向かい おっさんは なぜ助ける事が出来なかったのか と内に向かい 生きたかったであろうパートナーを思うと 複雑な思いや感情に苛まれていて それが外や内に向かっていく ーーーーー 上記したように 2日前 おっさんが妻の死期を早めたのかもしれない おっさんは人殺しだと考え 更にはBさんのエピソードを思い出し 当時は安直に怒ってしまっていた事も相まって 複雑な気持ちとなり涙が止まりませんでしたが その日に初めて出会った方Dさんの話を聞き おっさんは横っ面をぶん殴られたような気持ちになりました まるで物語のようなタイミングでDさんの話を聞くことが出来 恐ろしささえ感じました つづく にほんブログ村 日々の出来事ランキング ![]() |











