山形牧師の部屋 - 記事一覧
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発行日時 | 見出し |
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2024.04.23 |
青空を 見てはときめく 嬉しさよ
2024.4.22 久しぶりに青空が見えて 太陽が顔を出してくれましたよ。
なぜか嬉しいです。 ご近所のAさんがお散歩中 立ち話
法事で、全国各地から 兄弟がお集りになったこと お寺さんとのかかわりのこと ご健康のこと お薬のこと ご家族のこと ご近所さんのこと ご近所のラーメン屋さんの 混雑の具合 などなど 色々・・・お話してくださり感謝でした。
「あっ、そういえば、今日は 可燃ゴミの日だったな〜 それじゃあ行ってみるわ〜」
「またいらしてください!」
せっかく久しぶりの青空なので 青空が入るように 撮りましょうか〜!ということで
西の空に、久しぶりの夕陽 釧路市春採から見る夕陽もきれい
同じ日に、釧路市桜ケ岡から 東の空に目を投じると 見えてきたのは 私どもの教会の十字架と 輪郭がやや不明瞭な おぼろ月
沈む夕陽と 昇る月 どちらも感動的です。
昼はあなたのもの夜もあなたのもの。 あなたは月と太陽を備えられました。 (旧約聖書 詩篇74:16)
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2024.04.22 |
ピカピカの 大学生を 賜る主
ピッカピカの大学1年生Aさんと!
2024.4.20 今春より 神奈川県横浜市からAさんが 大学進学に伴い 私たちの教会に 集ってくださっています。
私たちの教会に 久しぶりに 大学新入生が来られたことで とても喜んでいます。
かつて我が家の次男坊が 横浜市の大学に 入学した当時のことを 思い出していました。
それとともに 私自身が釧教大に 入学した当時のことまでも 思い出してしまいました。
Aさんは 釧路が大好きで とっても釧路の自然、人、食べ物 ほぼほぼすべてに 感動、感激して 喜んでくれています。
コンクリートの 割れ目から 芽吹くフキノトウに 生命力のすばらしさを覚え 空の広がりに 感動されているAさんを 通して、私も 改めて地元釧路の自然の 再発見に 努めたいと思わされました。
釧路に長く住み慣れてしまうと コンクリートの割れ目から出てくる フキノトウを見ると 「ああ、釧路も人口減で、荒れ果てたかな」と 後ろ向きに 見がちだった自分を とても恥じ 悔い改めて、 もっと温かいまなざしで 地元を見たいと 思わされました。
Aさんの自然を見る目 人を見る目は とても温かいです。
先月、教会で行われた 教会建設委員会の終わり際 「子どもたちに 関われる 新しい大学生が 与えられるように祈ろう」と言って 祈った直後 会堂玄関の電話のベルが鳴り かつて 私たちの教会で 「祈り」をテーマに二年連続 講師としてお招きした 横浜の教会の、尊敬するI牧師から 「今度、釧路の大学にAさんという方が・・・」 とご連絡でした!
驚きましたね〜
Aさんは大学入学後まもなく 体育の授業中に けがをされて 全治6週間の手術をされて さぞかし、落ち込んでおられるかなと 案じていましたら
なんと 「たった、6週間で治るそうで、 感謝しています!」 とニコニコされていたので 驚きました。
「このけがを通して、たくさんの人から 愛をいただいて とっても嬉しいです。 感謝です。」 そうはつらつと語るAさんを 通して
自分自身の信仰が引き上げられるようで ああ、イエス様がAさんを 釧路に遣わされた理由の一つは 不信仰な私の成長のためだなあ 主に感謝している今日この頃です。
ご自宅にお送りする際に 車の前を横切る キタキツネに遭遇して 感激されたAさんに 北海道は自然が豊富ですが 河川の水は エキノコックスの卵が どこにあるかわからないので そのままでは飲めないことを お伝えすることができました。
何はともあれ 主が釧路でのAさんの生活を 大いに祝福されますように!
あなたには確かに将来がある。 あなたの望みは断たれることはない。 (旧約聖書 箴言23:18)
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2024.04.21 |
イースター こどもらの声 響くかな
2024.4.20 Gキッズ・ママサロン合同 イースターパーティー 玉転がし大会 男女に分かれての対抗せん ガムテープの糊面を露出させ
転がした球が その上に付着されると 加点される仕組み 単純なゲームではありましたが とっても楽しめました。
ガムテープの上にピタッとつくと みんなで 歓声が沸き起こります。
特に玉の勢いが強すぎて ガムテープを通り越して ああ、ダメだったと思った 球が
ステージの壁にぶつかって 勢いが弱くなって戻ってきて ガムテープにピタッと つくときの 感動は筆舌に尽くしがたいです。
さっきまで 泣いていた子も 一緒になって にこにこ微笑んでいます。 実にいいゲームです。
私たちは、この球のよう
この地上を イエス様から離れて コロコロさまよっている あっち行ったり こっち行ったり
イエス様目指して 頑張りすぎると 勢いが余って ガムテープならぬ イエス様の上を通過してしまいやすい 壁にぶつかり痛みを覚えて 弱くされて 戻ってくることができて イエス様に ピタッとくっつきやすくなる。 これは人生そのものだ。
ううむ実にこの単純なゲームを 考え出した ママサロン・キッズのスタッフの 皆さんはさすがだ。
この家庭的な 雰囲気がたまらなくいいです。
今日は日曜礼拝 みんな、みんな ガムテープならぬ イエス様の愛に引き寄せられて ピタッとくっつけられますように。
そして イエス様とピタッとくっつく人を見て 歓声が沸き起こりますように
イエス様は、人生の勢いがなくなって 疲れ果てた人 弱くされた人を やさしく、やさしく 招いておられます。
重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。 あなたがたもわたしのくびきを負って、 わたしから学びなさい。 そうすれば、たましいに安らぎを得ます。 (新約聖書 マタイの福音書11:28〜29)
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2024.04.20 |
カレールー カツのソースと 絡み合う
2024.4.19 標茶原野での 聖書学び会後の ランチタイムは 定番のカツカレー カレーの辛いルーと カツの甘いソースが絡み合う部分の 味がとてつもなく 魅力的です。 それは 私たち罪深い人間が 主イエスの名によって 祈りの中で 聖なる父なる神様と 絡み合うときの 魂の喜びの味のよう
この日はダニエル書11章 1〜19節まで から学び合いました。
一緒に学んでいる方々は 皆さん、様々な肉体的な試みの中に あって呻いておられます。
そんなことで 聖書の学びの後の お交わりの中で 伺うお話の大半は
体のどの部位が どのように痛むのか その痛みに対して どのように耐えておられるのか ということでした。
毎日、心臓疾患の痛みの中で 病床日記を書いておられる89歳のAさんは
「・・・肉体の痛み、苦しみの中で それまで気づかなかった 自分の罪深さを知ることが 多いのです。その罪を 主の前に告白して悔い改めるとき 赦された平安を抱き、 そこで 主を見上げると 肉体の苦しみは 依然として 相変わらず、 そこにありながらも 心に言いようもない平安が満ちて 幸せに満たされて 本当に主は、なんて良いお方だろうと 思い、主を賛美するんですよ〜。」
身振り手振りで 全身でそのことを 分かち合うAさんのお話を聞きながら 思い出したみ言葉は
イエス様が語られた山上の垂訓とも 山上の説教ともいわれるお言葉の中の
新約聖書マタイの福音書5:8
その人たちは神を見るからです。
今まで、この聖句を読むときに
心がきよいこと自体が幸いなことであって 心のきよい結果のご褒美として それまで、どう頑張っても見えなかった 神様が見えるようにもなれちゃうんんですよ、
的なとらえ方をしてきたきらいが ありましたが、
心がきよいということは 神様の前に 心が澄み切った状態 心に嘘偽りがない状態 すべての罪咎穢れを告白しきって 十字架の血潮のゆえに なんのわだかまりもない状態で 安心して 心で主を見ることができる 心で主を見たくなる 心で主を見上げたくなる そして心で主を見上げることをとおして 主の霊と自分の魂が 絡み合う、 そして 自分の置かれた困難な状況が たとえ変わらなくても 心の中に 変わることのない平安が満ちてくることができる
それゆえに幸いなのだ、 ということではないかと 思いました。
聖なる主の霊と 罪深い自分の魂が イエスの血を 介して 絶妙に絡み合うところで 沸き起こる 感動、感激、興奮
肉体的に苦痛のない人生が 幸せなのかといえば 必ずしもそうとは言えない と思わされます。
肉体的に苦痛がなくても 魂の苦痛に耐えきれなくて 苦しみ喘いでいる方は 決して少なくありません。
被造物としての人間は 創造主と 絡み合うことによってのみ 真の安息を得られるよう
神様と絡み合うことを 妨げているのは 私たちの内にある
創造主を疎み敬遠する心 創造主以外のものにより頼んで 生きようとする心
イエス様は 私たちにとって 唯一の魂の救い主ですね。
父なる神と 私たちが絡み合うための
唯一の潤滑役、仲介者となって この地上に来られたお方
今日も一人でも多くの人が イエス様を通して 創造主との絡み合う体験ができますように 魂の安らぎを 受け取れますように。
主が私の右におられるので私は揺るがされることがありません。 私の胸は喜びにあふれます。 私の身も安らかに住まいます。 あなたにある敬虔な者に滅びを お見せにならないからです。 (旧約聖書 詩篇16:8〜10)
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2024.04.19 |
ダニエル書 11章を 分かち合う
2024.4.19 今日は標茶原野での 聖書学び会
毎回ダニエル書から 1章ずつ学んでいて
今日はダニエル書11章 マカバイ記という旧約聖書の外典が 歴史的背景を知るために きわめて大切だなあと 思いました。
もっと大切なのは 聖書を理解するために 聖書そのものの文脈を しっかり理解することと それを学ぶ人(標茶原野に生活している方々) の人生の文脈に思いをはせて その当該聖書箇所が 生活の中に 励ましや勇気や希望を もって 落とし込まれていくこと
ううむダニエル書11章を 読んで 実に恵まれました〜
と思えますように 聖霊様が助けてください
標茶までの道のりの中で さらなる黙想が必要だなあ
神のことばは、すべて精錬されている。 神は、ご自分に身を避ける者の盾。 (旧約聖書 箴言30:5)
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2024.04.18 |
キロ表示 マイルよりかは 安心す
ウォーキングコース なんとなく 何かの動物の顔のように 見えなくもない・・・
2024.4.18 昨晩は、まきびとのセル集会の後、 肉体的には疲れていましたが 運動不足解消のために ナイト・ウォークしました。
いつものおきまりのコース
ガーミンの設定方法は まだまだ習得できず
変えられなかった マイル表示を めでたく キロ表示に 何とか 変えることができて 安心できました。
英国留学中 マイル表示は どうしてもなじめませんでした。 英国で、ハイウエイを運転して ロンドンの教会に向かう途中 うっかりパトカーを追い越してしまい 「しまった」と思うのもつかの間
パトカーから 停止命令を受けて 路肩によって おまわりさんに尋ねられました。
「あなたは、私たちのパトカーを 見て、減速しましたね? なぜ減速したのですか。」
「もしかして、スピード出しすぎていたかもしれない と思いまして。
私は、どうもマイル表示は ピンとこないんですよね。 まだ慣れていないようです。 何せ日本ではキロ表示なので。」
すると意外にもおまわりさんは
「そうなんだね〜。気を付けて 運転してね〜!」
結局なんのお咎めも 反則金請求の 切符が発行されることも なく、安堵しつつも、拍子抜けしました。
それにしても 驚いたのは おまわりさんが 私に停止を求めた理由が speedが出すぎていたからではなくて パトカーを抜かした後に 減速したからだということ。
ところ変われば 変わるものは ずいぶんとあるものだと 思ったものです。
何はともあれ
世界中がメートル表示で あればいいのにと思いました。
ものさしが異なると 本当に困るもの
私たち人間の価値観の物差しも 「多様性」という美名のもと 何でもありとなると 社会は混乱しますよね。
最近驚くのは ネットニュースや youtubeで トップの話題になっていることが それがたとえ国際的、国内的に 重要な政治課題であっても 地上波ではほとんど 取り上げられないといった 現象が起こっていることです。
私たちの価値観が 私たちが見聞きする情報の影響を 多分に受けながら 形成されやすいことを考えると
どのようなニュース・リソースに 触れるにしても
永遠不変のものさしである 聖書のことばに照らし合わせて 判断する必要があるなあと思います。
絶えず聖書の言葉に浸り続ける必要が あるなあと思わされます。
創造主が賜る ぶれない価値観を しっかりと「保」ち「守」るためにも
人参畑にするために 土を耕しました。
種をまく前に 土を柔らかくするのは 大切
聖書のことばという種が まかれる前に 心が柔らかくされていることが大切
天地は消え去ります。 しかし、わたしのことばは 決して消え去ることがありません。 (新約聖書 マタイの福音書24:35)
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2024.04.17 |
いにしえの 神こそ吾の 住まう家
2024.4.16 昨日は肌寒い中 美原運動公園 9.7キロラン
途中小学3年生の 男の子たちの自転車と 並走しながら 学校の話などしながら 楽しみました。
運動不足で体が重たく感じました。
先週は5:44/km
心拍数は先週は154〜167
帰宅後、シャワーを浴びて 前日、病院から退院して 施設に入所したばかりのAさんを 訪問しました。
Aさんが お食事を食べられるようになり 歩行もできるほどに 元気になられていて 感謝でした。
ただAさんにとって 新しい慣れない環境に対して まだ戸惑いがおありで その正直なお気持ちを 受け止めるのが 精一杯で 何もできないていない中 施設職員の方から 「面会時間は30分までなので・・・」 と言われ 帰ることになりました。
私たちにとって 快適な住まいとは どういう住まいか。 あらためて考えさせられました。
いにしえよりの神は、 住まう家。 下には永遠の腕がある。 (旧約聖書 申命記33:27)
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2024.04.16 |
湿原が 咽び泣いてる 虚パネル
創造主なる神が 造られた美しい釧路湿原に 年々ソーラーパネルの 設置割合が広がっています。
はじめのうちは ソーラーパネルを見るたびに あの胆振東部地震の際に起こった ブラックアウト状態のようなことから 少しでも回避できるなあと 感謝し、パネルが設置されることを 喜んでいたのもつかの間
あれよあれよという間に 見る見るうちに 釧路湿原を 侵食するかのように 広がってきて あれれっと思いました。 昆布干場周辺にも ソーラーパネルが どんどん広がっています。
今、釧路湿原に広がるメガソーラーパネル 問題が、全国的にも知られるようになっているにも かかわらず
「灯台もとくらし」 地元の方々の多くは あまり話題にもしていないようで・・
それがもたらす メリットとデメリットを しっかりと認識していかないと と思います。
もしソーラーパネルが、将来に 希望と安心をもたらすものではなくて むしろ不安を増長させるものだとしたら 虚(そら)パネル 空恐ろしい
この動画に出てくる 自然保護団体代表のKさんは 私の大学時代 自然科学の 授業を教えてくださった恩師です。 恩師の嘆き悲しみが 伝わってきます。 そして 創造主の嘆き悲しみも 聞こえてくるようです。
かつて釧路市立 鳥取西中学校教員時代 クラスに生物係という ユニークな係が設けられていて 鮭の稚魚を飼育して釧路川に放流したり(あれから約40年)
(あれから約40年) 生徒たちと 釧路湿原に入り込んでいって 蝦夷サンショウウオの生態を学び 生徒たちを連れて そこで採取した藻などを 大学のK教授の研究室に 持ち運んでは 顕微鏡で見させていただいたりして いろいろと教えていただき 湿原の美しさ、神秘さに 魅了されたものでした。
まだメガソーラーが 湿原に広がる前のことですが、
台風による大雨の被害が 道東を襲いました。
十勝管内の多くの橋梁が決壊 したのに対して 釧路管内の橋梁は ほとんど決壊しませんでした。
それは釧路湿原がもつ スポンジのような 吸水力の賜物のおかげでした。
釧路湿原は タンチョウや、キタサンショウウオや 様々な動植物、昆虫たちにとって 貴重な住処となっています。
谷内坊主と呼ばれる こぶ状部分には 多種多様な 生物が生息しています。
学生時代 「空が〜泣い〜てる〜」 という歌詞で始まる「東京砂漠」という 歌謡曲を、好んでよく口ずさんだものですが
「湿原が〜泣い〜てる〜」 という状態になるのを 何とか回避したいものです。
クリーンエネルギーとか カーボンニュートラルとか 脱炭素社会という 「大義名分」の美名のもと
実際には、 自然が破壊され 電力にまつわる様々な法改正の 影響もあって
利益中心主義に走る 多くの外資系投資家の存在も 見え隠れしています。
欲望にまみれた グローバリズムの 標的は 釧路湿原のみならず 今、日本全国のあちこちの 風光明媚な地域のよう
同様な問題が あちこちで 同時並行的に 起きているようで 驚きました。
釧路湿原が釧路湿原でなくなる 釧路が釧路でなくなる 北海道が北海道ではなくなる 日本が日本でなくなる・・・ そんな日が来ることのないように
しっかり 創造主から賜った この国の大地の恵みを 「保」ち「守」る 責任が私たちには ありますね。
もっと目を覚まして 自分の周囲で起こっていることに 目を配りたいものです。
創造主から賜った大地の恵みを 私たちは 決して自分たちの利益のために 蝕んでしまう ことがないように
もっと敬意をもって へりくだって管理し
創造主を恐れ、 光の子供らしく祈り 闇の力に翻弄されることなく
やがて来るべき 新しい天と地を いっそう 待ち望むものでありたいです。
あなたがたの町々は火で焼かれている。 土地は、あなたがたの前で他国人が食い荒らし、 他国人に破壊されたように、荒れ果てている。 (旧約聖書 イザヤ書1:7)
冒頭のyoutube動画の 投稿欄のコメントに 次のような投稿がありました。 私たち釧路市民は 真剣に考えねばなりませんね。
(投稿者さん) 「この発電施設の業者が倒産して放置されたらパネルは税金で処理するのですかね? 道民の税金を使わないで釧路市民だけで処理してくださいね。 (市民総出でメガソーラーに反対している地域の住民)」
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2024.04.15 |
新芽生え 祝いて愛でる 嬉しさよ
2024.4.15 マリーゴールドの芽が出てきました。 感動です。みんな可愛い。 あたかも
ハレルヤと両手を上げて 賛美している会衆のようだなあ
成長させてくださる創造主に感謝
いのちの躍動感が 伝わってきます。 まるで血流のよう
例年、マリーゴールドは苗を買っていたのですが 今年は苗作りから挑戦
発芽適温は20〜25度が 必要と、種袋に書いていましたが 本当に、20度を超えてから 発芽しました。
なるべく環境を整えて これを見ていると 産婦人科の 新生児のための 保育器を想像します。
栄養は必要
植物の成長を観察しながら 私たち人間の成長についても 考えさせられます。
毎朝聖書のみことばを通して 魂の栄養分を いただけることの 恵みを 感謝しています。
エッサイの根株から新芽が生え、 その根から若枝が出て実を結ぶ。 (旧約聖書 イザヤ書11:1)
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2024.04.14 |
昔年の 思い出話 花が咲く
2024.4.12 札幌で一人暮らしをしている母と ランチに出かけました。
札幌市の琴似から見える 夕陽 手稲山よりも西方にある春香山方面に 沈みかけているように 見えます。 手稲山は、まだまだ雪景色でしたね。
母の手作りサンドイッチが とってもおいしかったです。
とっても柔らかくて 野菜豊富の サンドイッチに魅了されました。
今回は色々 今まで聞いたことがなかった 母の昔話を聞かせていただきました。
今だからこそ訊けることがあり 今だからこそ話していただけることもあり こういう時間は極めて貴重だなあと 思いました。
札幌の桜の開花は まだ先ですが 桜よりも早く 昔年の思い出話の 花が咲きましたね〜。
私は昔の日々遠い昔の年月 について考えました。 (旧約聖書 詩篇77:5)
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2024.04.13 |
静寂の 釧路湿原 天高し
2024.4.10 日没時の釧路湿原 空が高い
御恵みは主を恐れる者の上に大きい。 (旧約聖書 詩篇103:11)
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2024.04.12 |
札幌の 母を訪ねて 八十里
2024.4.11 約1年ぶりに 札幌市で一人暮らしをしている 母のところへ
おふくろの味
だしの味が とってもおいしい具だくさんの 薄味味噌汁
おいしい 味がしみとおった煮物
おいしい みずみずしい完熟トマト
おいしい鮭
おいしい炊き込みご飯
母は昨年の秋 自宅で肋骨を骨折し 入院中、病室で リハビリ中に 色鉛筆での 塗り絵に取り組みました。
母の色鉛筆の塗り絵は 入院先の 医師や、看護師の間で 話題になって、 母の病室によく 母の作品を 見に来たそうです。
確かにすごい!
母は、入院中、脳トレのために いろいろなことに積極的に 取り組みました。
この本は、私も 初めて見ました。
入院中、看護師さんが 母のために 車いすを いつも備えてくれたそうですが 母は、いつも 「歩けますから」と 遠慮して ついに入院中一度も 使用しなかったそうです。
頑張り屋さんの母だと つくづく感心しました。
あなたを生んだ父の言うことを聞け。 あなたの母が年老いても蔑んではならない。 (旧約聖書 箴言23:22)
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2024.04.11 |
日没の 釧路湿原 美の境地
2024.4.10 釧路湿原に 沈む夕陽は美しいです。
空が広くて 高くて 大きいです。
この景色を見ていると 天地万物の創造主にして デザイナーである 神の存在がリアルに 伝わってきますね〜。
天が地よりも高いように、 わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、 わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。 (旧約聖書 イザヤ書55:9)
夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある。 (旧約聖書 詩篇30:5)
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2024.04.10 |
チューリップ 芽が出てきたよ! 嬉しいな〜
2024.4.10 昨晩降った雪が 薄く積もって ガトーショコラ状態だった 我が家の庭の雪は まもなく溶けて チューリップの芽が出てまいりました。
朝陽に照らされて
どんな花を咲かせるか
楽しみです。
私たち一人一人も イエスキリストにあって 新しく造られたものとして 新鮮な人生の花を 開花させていただけるのですね。
成長させてくださるのは 創造主なる神様なのですね。
チューリップに向かって 早く成長せよと 命じて、芽を手で引っ張る人は いませんね。 ただ黙って 期待して 見守りますよね。 いきなりにょきにょき 伸びたら奇妙ですよね。
しかし 教育現場では しばしば 早く早くと せかして せっかく神様が出させている芽を 人為的な強制力で 引っ張ろうとして せっかくの芽を摘んでしまう なんてことが 起こりえますね。
創造主なる 神様が それぞれの人に 与えておられる 成長のスピードというものが あります。
「標準」とか「普通」とか 「平均」といった 言葉でくくられることなく それぞれの人の 個性、特性が 生かされ、尊重されますように。
早ければいいってものではありませんね。
創造主なる神が 備えておられる 「その時」「その時」の 美しさを 十分に堪能したいもの。
長男が幼稚園の年長の時 かけっこで 一番最後ににこにこしながら ゴールインしました。
「あたりの景色を みんなよりも 長〜く楽しむことができたよ」
喜ぶ息子の姿を見て 目からうろこが落ちるようでした。
そうだ、大事なのはプロセスなんだな〜
車では見えない景色が 自転車で
自転車で見えない景色が ランニングで
ランニングでは 見えない景色が ウオーキングで
そして 寝たっきりでしか 見えない美しい景色がある
創造主なる神様が その時だからこそ その場所でこそ 私たちに 見せたがっておられる 恵みの景色がある その景色を しっかりと 喜び楽しむもので ありたいですね〜
ですから、 だれでもキリストのうちにあるなら、 その人は新しく造られた者です。 古いものは過ぎ去って、 見よ、すべてが新しくなりました。 (新約聖書 2コリント書5:17)
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2024.04.09 |
美原にて 懐メロ流し 回想ラン
2024.4.8 釧路市美原運動公園での 今年度初の10キロランニングを しました。
曇天で 雨が降ることを やや懸念しました。
少し肌寒くウインドブレーカーを 着用しましたが 3キロくらい走って 脱いで 腰に巻き付けながら 走りました。 風がさほど強くなく 何名かのランナーと ウォーカーの皆さんと 行きかい 手を挙げてあいさつし合い 感謝でした。
昨年の同時期のタイムとそれほど 変わりなく 脚力にかぎって言えば まだまだ 衰えていないなと安堵
ほぼ一定のスピードで 走ることができて 感謝でした。
ただガーミンの時計の 設定の仕方が狂ってしまったのか ペース表示が マイルで計算されてしまい やや困惑 今、自分が1キロあたり どれくらいのペースで 走っているのか やはり 確認したいもの
心拍数もほぼ横ばいでしたかね。
ペースは山あり谷あり
ピッチはほぼ横ばいかな
平坦な土地を走っているようですが
心拍数ゾーンの時間
久しぶりに 気持ち良い走りができました。 ワークマンで 購入したばかりの 1500円の ジョギングシューズが 足に 程よくなじんでくれました。
走りながら昔の懐かしソング (中高校生時代の歌謡曲やフォークソング)を 耳元で流しました。
それぞれの歌にまつわる 当時の思い出を 懐かしく 思いめぐらしながら
中高生時代に 戻ったような気分で 気持ちよく、 喘鳴を起こすこともなく 走り切ることができて 感謝でした。
私が神に声をあげると神は聞いてくださる。 夜もすがらたゆまず手を差し伸ばした。
けれども私のたましいは慰めを拒んだ。 思いを潜めて私の霊は衰え果てる。セラ
私の心は乱れてもの言うこともできません。 考えました。 (旧約聖書 詩篇77:1〜5)
みなさまのワンクリックは |
2024.04.08 |
春嬉し 朝露濡れし フキノトウ
2024.4.8 昨晩の雨があがり 我が家の玄関前の庭先に にょきっと 小さな小さな フキノトウが芽を出しました。 感動しました。
昨年秋に落葉した 栗の葉の殺風景な じゅうたん模様の中から 力強く顔を出してくれました。
朝露に濡れたその姿は みずみずしいです。
そういえば 昨日の日曜礼拝に 神奈川県横浜市ご出身の 新大学生が 出席されて
釧路に来て コンクリートを割るようにして 顔出したフキノトウを見て 感動されたことを 話してくれました。
そして 釧路の空の広さにも 感動されていました。
お買い物していても 店員さんが優しくて 感動されていました。
大学の教授も 優しくて 感動されていました。
とにかく感動すること ばかりだそうです。
感動は、さらなる感動を生み出します。 感動は、さらなる感動を呼び起こします。
私も小さなことにも 感動を覚えながら 感動を伝える者とされたいです。
何よりも 主イエスキリストの愛と恵みに 今日も 感動しまくりながら
今日も1日 感動に満ちた1日を 送れますように。
春嬉し〜朝露濡れし〜フキノトウだなあ
朝ごとにあなたの恵みで 私たちを満ち足らせてください。 私たちのすべての日に喜び歌い 楽しむことができるように。 (旧約聖書 詩篇90:14)
ところで 芽が出たフキノトウは 冬眠を終えて 活動を始める 熊さんたちにとっても 感動のごちそうです。
山菜取りに 行かれる方々は くれぐれもご注意を!
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2024.04.07 |
ピザ食べて たこ焼き食べて 分かち合い!
2024.4.6 我が家で 妻が属するセルグループ オリーブの 皆さんでの送別会 ランチタイム とっても楽しそうでした。
神の国は平和〜
朝から妻が 小麦粉で ピザの生地作り
釧路友の会の方から いただいた強力粉が とっても、とっても 役になっていると 喜んでいました。
練って伸ばした ピザの生地に フォークを突き刺している妻に 「何やっているの?」 「これ、リサに教えてもらったのよ。」 「ああ、そうかあ」
30年ほど前 私たちが 英国の神学校時代 もうひとカップルの 英国人学生と 家をシェアしていたとき 台所も共有だったのですが そこで 妻どうし(妻とリサ)が お料理し合っていて お互いに 教え合っていたことがあったのです。
懐かしいなあ
それにしてもよく覚えているなあ。
手際よく ピザを作る妻
ピザと共に この、出来立ての たこ焼きのおすそ分けにも あずかりました。
これを リサに教えてあげたかったなあ〜 英国人は たこ焼きの味 きっと 喜ぶに違いない!
ホカホカして とっても美味しくて 大満足でした。
妻はランチ後に メンバーの方の中で 整体師さんに 整体をしていただき とっても 体の疲れが取れたと 喜んでいました。
良かった、良かった
翌日は、日曜礼拝 魂の疲れを イエス様が癒してくださいますね〜。
すべて疲れた人 重荷を負っている人は わたし(イエス・キリスト)のもとに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。 (新約聖書 マタイの福音書11:28)
ピザにしても、 タコ焼きにしても 分かち合って 食べるからこそ 美味しいのですね。 分かち合いこそ 神の国の平和の シンボル!
みなさまのワンクリックは |
2024.04.06 |
日没時 釧路の空は きれいだな
2024.4.5 貴重な マリッジタイム
メニュー表に 新メニューとして 紹介されていましたので チャレンジ
妻は、迷いなくエビドリア をチョイス
小さなデザートを 2人でシェア
還暦を過ぎた 私たちは デザートは 1人前を 2人でシェアしています。
日没前の 釧路の西空は 青色〜白色〜オレンジ色に変わる 美しいグラディエイション が鮮やかです。
まことに御怒りは束の間 いのちは恩寵のうちにある。
夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある。 (旧約聖書 詩篇30:5)
明治以来 日本のプロテスタント宣教の 反省点の一つは、
神の前における 人間の「罪深さ」を 必要以上に強調しすぎたことと 言われています。
当時の、欧米人の目に 日本人がどう映ったかということが
あたかも 創造主なる神の目に 日本人がどう映っているかということに 置き換えられて 教えられてきたきらいがあるという 反省が なされているそうです。
そして私たち日本人教会リーダーたちさえも その影響を受けてきたそうです。
うーむ、なるほどと 思いました。
もちろん、 聖書の中には 私たち人間が 神の前に罪ある者であると 書いてはいますが
聖書の強調点は 人間がいかに罪深いかということを 思い知ることにあるのではなく それを覆い隠す キリストの十字架の赦しの愛がいかに 絶大であるかであるはず。
詩篇の30篇5節の 神のみ怒りは束の間 いのちは恩寵のうちにあるという み言葉は、ジーンと来ます。
神様のみ怒りは束の間なのですから ずーっと、ずーっと 怒られているように 感じる必要はないのですね。
それは、聖書に基づいて「そう感じている」のではなくて 自分の生まれ育った家庭環境も含めた この世での人間関係での経験に 基づいて「そう感じてしまっている」のですね。
新年度が始まりました。
過去を悔やみ 未来を憂える 思考パターンを かなぐり捨てて
主イエスの十字架の愛によって 赦され 新しく創造されたもの「らしく」 日々キリストの姿に似せられていく 希望を抱いて 喜び感謝しながら 歩んでまいりたいですね〜
その人は新しく造られた者です。 古いものは過ぎ去って、 見よ、すべてが新しくなりました。 (新約聖書 ?コリント5:17)
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2024.04.05 |
春雨で 心の土も 柔らかに
2024.4.4 この日の午後は雨降り
聖書紙芝居訪問日 紙芝居牧師は 今日も紙芝居を携えて 歩く、歩く、歩く Aさん(89歳)宅へ
仏教熱心だった Aさんから、昨年の秋 ご位牌を処分されたいという お申し出があり ご訪問させていただき 亡くなられたご先祖は いのちの創造主に お委ねしましょうね、ということで それを契機に ご訪問させていただいています。
毎朝、聖書を読んで イエス様に お祈りしているAさんです。
この日で12回目
雨天でうす暗い天候のせいか この日のAさんの表情は、やや 憂鬱そう
何を質問しても
「そうだね〜」 「特にね〜」 うーむ、普段よりも 元気がないかな〜
紙芝居の最中も うつらうつらされて ついに瞼を閉じられて 眠ってしまわれ そばにいた娘さんが 慌てて、 お母さまにお声を掛けます。
昼食後でもありますしね〜 牧師が穏やかに話せば 子守歌に聞えてしまうのも やむをえませんよね〜
それにしても 私の話し方は 穏やかすぎるかもしれないと思って
幼稚園の子どもに語るように 抑揚をつけて 手振り身振り添えて 語ると Aさんは 今度は目を見開いて 集中されるようになりました。
不思議なもので 穏やかな口調で モノトーンで 話すと 自分自身も 微睡んでしまうことがあります。
そうかあ、 当たり前のことですが 抑揚やジェスチャーは 大事なんだな〜
Aさんと会話していても 落語や講談口調で お話をしますと 良く反応してくださいます。
そうかあ、 リズムも大事なのだなあ〜
傘を差しながら帰り道 てくてく歩きながら 振り返りの時
「紙芝居の絵に頼っていちゃだめだなあ」と 反省しました。
もっと主に信頼を寄せつつも 全身全霊で 視覚、聴覚、両方に 訴えかけないと・・・
イエス様も 良く見せて 良く聞かせましたよね。
Aさん宅から帰り 妻とBさん宅へ
Bさんは90代前半
結婚生活62年間共に 二人三脚で歩まれた お連れ合いさまが 先日イエス様のところに 帰られたばかりです。
いかがおすごしだろう、と 案じて 訪問させていただきました。
ご自宅の居間の棚には たくさんの ご家族の思い出のお写真が 所狭しと 飾られていました。
「遺影に向かって話しかけても いいんでしょうか?」 と何度も尋ねられるBさんです。
「もちろんですとも」
イエス様のもとにおられるBさんに 語りかけたいお気持ちは 誰も遮断していいはずがありません。
62年間、毎日 声をかけていたお連れ合いが ここから イエス様と言う最善の場所に お引越しされただけですから・・・。
Bさんは、食欲がない時 ご遺影の優しいお顔を見ていると あたかも
「ちゃんと、食べなさいって優しく言っているようで、 『はい、食べます』って、答えてしまうんです。」
天国での再会を望みながら 明るくされているお姿に接して 少し安堵いたしました。
尽きざる思い出を これから少しずつ おすそ分けしていただけることを 感謝し、次回の訪問を楽しみにしています。
この日の春の雨は やさしく釧路の大地に 注がれて 乾燥してひび割れた土たちは とても喜んでいるようでした。
私のひび割れた心も 聖霊の優しい雨のしずくで 日々柔らかにされますように。
兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。 あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。 と私たちが信じているなら、神はまた同じように、 イエスにあって眠った人たちを、 イエスとともに連れて来られるはずです。 (新約聖書 1テサロニケ4:13〜14)
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2024.04.04 |
真黄色 釧路の春は フクジュソウ
2024.4.3 夕方 釧路市桜ケ岡で散歩中
ラーメン店「おはな」さんと 道路を挟んで向かい側で フクジュソウと 遭いました。ひさしぶりの 散歩だったので 咲き始めてから もう1週間以上 たっていることでしょう。
本州では元日草とも 呼ぶそうですね。 釧路にとって4月が元日のよう
真黄色のフクジュソウは とっても 温かい神様の愛を感じさせてくれます。
低い丈は、 主イエスの地上生涯の へりくだりをほうふつさせます。
太陽の光に非常に敏感で、 昼間でも日がさえぎられると 1〜2分で花がしぼみ、 再び日があたると いつの間にか花が開く性質があります。
寒い時期に咲くので、 花びらを開閉することで 花の中の温度を 下げないようにしているそうです。
創造主がそのようにデザインされたのですね。
根と茎は有毒だそうです。
陽の光の方に向かって咲く姿は 信仰者が 主イエスの御顔の輝きを 仰ぎ見るようです。
主を仰ぎ見ると彼らは輝いた。 彼らの顔は辱められることがない。 (旧約聖書 詩篇34:5)
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