山形牧師の部屋 - 記事一覧
http://yamagata.fukuinkan.sunnyday.jp/
| 発行日時 | 見出し |
|---|---|
| 2025.11.07 |
前夜式 故人を偲び 咽び泣く
2025.11.7 47歳で天に帰られたAさんの 召天前夜式が執り行われました。 ご遺族の皆様の上に イエス様からの慰めが ありますように・・・
家族葬向き斎場でしたが ご会葬者が多く 履くスリッパがなくなり 玄関で 右往左往されている 紳士がおられましたので 私のスリッパを 履いていただきました。 その紳士が 遠慮されるので 「私は靴下を二枚履いているので、大丈夫ですよ。」 と申し上げましたところ ようやく履いていただけました。
私は 初めて靴下のまま司式させて いただきましたが とても足が温かく感じたので もしかして床暖が入っていたのかも。
明るく広い斎場で さまざまな 設備が整っていて 葬儀の後 あるご会葬者の方が 「まるで天国にいるようだった。」 「私の母親も、できれば、あそこの斎場で 葬儀をしてあげたい。」 と仰っておりました。
司式者の控室にも トイレがついていたのには 驚きました。
最新の斎場は 実に細かなところまで さまざまな配慮がなされていると 思いました。
「わたしはよみがえりです。 いのちです。 わたしを信じる者は 死んでも生きるのです。 (新約聖書 ヨハネの福音書11:25)
神を信じ、またわたしを信じなさい。 そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、 と言ったでしょうか。 また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。 わたしがいるところに、 あなたがたもいるようにするためです。 その道をあなたがたは知っています。」 「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。 どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。 わたしを通してでなければ、 だれも父のみもとに行くことはできません。 (新約聖書 ヨハネの福音書14:1〜6)
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.11.06 |
千代ノ浦 砂地踏みしめ 沈みゆく
2025.11.3
釧路市千代ノ浦海岸 1981年5月17日に この海岸でバプテスマ(洗礼)を受けました。 浴衣を着て 砂浜で教会の皆さんが讃美歌を 歌ってお祈りしてくださり 洗礼を授けてくださるリーダーと共に 腰まで浸かるところまで海の中に 歩いていきました。 そして 仰向けに全身浸かりました。 それは、あたかも 棺桶に仰向けに入るのと似ています。 キリスト共に死に キリストと共に 新しい命に生きる象徴としての バプテスマ あの当時は、この海岸には 上の写真で見るような埋め立て部分は ありませんでした。
この海岸の横を 通過するたびに キリストの最初の愛に 戻ることを 肝に命じさせられます。
受けたあなたがたはみな、 キリストを着たのです。 (新約聖書 ガラテヤ人への手紙3:27)
みなさまの1日ワンクリックは
|
| 2025.11.05 |
祈りつつ 出所する日を 待ち望み
2025.11.4 釧路刑務支所での宗教教誨日 この日はAさんの 仮出所前の個人教誨の最終日となりました。
Aさんは、刑務所内で 信仰告白とバプテスマに導かれ 将来、牧師として 神さまに仕えて生きたいヴィジョンも 与えられています。
近々、出所する日に 刑務所の正門前まで お迎えに行こうと思いましたら 刑務所の規定で JR駅まで刑務官が 護送する規定となっています。
よくテレビドラマや映画では 刑務所の外で立って待っていたり 車で待っている場面が 出てきますが 現実は異なるようですね。
これからのAさんの前途が 守られますように。
いけにえではない』とはどういう意味か、 行って学びなさい。わたしが来たのは、 正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」 (新約聖書 マタイの福音書9:13)
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.11.04 |
熱心に 愛する神の 手の中で
2025.11.3 昨日 息子たちがかつてお世話になった 学び舎の近くを通りましたら 紅葉が綺麗でした。
神さまの情熱的な愛 熱心な愛を感じました。 熱心に愛してくださる神さまに 熱心に仕える者となれますように
ダビデの王座に就いて、その王国を治め、 さばきと正義によってこれを堅く立て、 これを支える。 今よりとこしえまで。 万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。 (旧約聖書 イザヤ書9:7)
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.11.03 |
天国の 香り満ちたる 教会堂
2025.11.2 召天者記念礼拝 過去10年間に召された 15名の方々を 偲びながら 天の住まいを備えておられる 主を礼拝しました。
ふだん 教会にお見えにならない 故人の息子さんや 故人のお孫さんも おいでくださり ご一緒に 礼拝を ささげられたことは 幸いな事でした。
教会の聖歌隊アドナイシャロム(主の平和) の讃美 前日に、暴風雨の中 手術を終えて 退院されたばかり お一人暮らしの ご近所の Aさんも お集い下さり感謝でした。
Aさんは 「病院の食事が 美味しくて 幸せだった。 いつまでも入院して居たかった。 何せ、毎回 違ったおかずが出てくるんだから。 家で、自分で食べるものは いつも 同じものばかりだから・・・」
と仰っていました。
それを聴きながら
ああ、私も 毎朝 自分で準備する朝食は 同じものばかりだなあと 思いました。
この日の夕拝に ご出席されたAさんは この百合の花の前に 座られたこともあって 礼拝中 お花の香りが とても心地よく慰めとなって 漂ってきたことを 礼拝後 仰っていました。
Aさんは 愛する おつれあいさまを この夏なくされて 悲しみの中におられます。
主イエスは そのようなAさんの 傍らから 離れることなく 支えてくださっている ことを感じます。
わが家のリスちゃんも 前日の暴風雨の中 守られて あたかも感謝して 天を仰いでいるか のようでした。
今朝になると 栗の木の葉っぱが すっかり 黄色くなっていました。
この地上のいのちの 儚さを 感じる晩秋ですが それと比例して キリストを信じる者に 約束された 永遠のいのちの 望みが 増し加わる 季節でもあることを 感謝します。
これから落ち葉拾いの 季節です。
草はしおれ、花は散る。 しかし、私たちの神のことばは 永遠に立つ。 (旧約聖書 イザヤ書40:8)
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.11.02 |
天国の 希望抱いて 地を歩む
本日は召天者記念礼拝 過去10年間に 天の父のもとに帰られた15名の 教会員の方を 偲びつつ 天の故郷を備えてくださる神様を 礼拝します。
そこから主イエス・キリストが 救い主として来られるのを、 私たちは待ち望んでいます。 従わせることさえできる御力によって、 私たちの卑しいからだを、 ご自分の栄光に輝くからだと 同じ姿に変えてくださいます。 (新約聖書ピリピ書 3:20 )
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.11.01 |
蝦夷リスが 尻尾の毛をば そばだてる!
庭掃除をしていると エゾリスちゃんが ひょこひょこ 遊んでいました。
枝を剪定したときに 根元を少し残しておいて 良かったです。
枝に座って 餌を食んでいますね。
なぜかエゾリスちゃんは 枝の上に陣取る時に 正面を見ます。 そしてなんとしっぽを 持ち上げて しっぽの毛を逆立てながら 自分自身の耳が隠れるように しているようです。
自分の存在が カムフラージュされて 外敵から狙われないように ということでしょう。
すごい知恵だなあと 思いました。
そもそもエゾリスが しっぽの毛を逆立てる そばだてる 習性があるなんて 知りませんでした。
上の画像を 編集すると 下の様になります。 ↓
お顔をアップ 私のスマホのカメラでは これが限界のよう
これも 遠くから見ると まるで 栗のいがのように見えます。 これもしっぽを持ち上げて 持ち上げた しっぽの毛を 逆立てて 耳を隠し 外敵に 自分の存在を わからなくさせる 知恵と思われます。
この上の画像も 編集すると 下の様になります。 ↓
上の画像を 編集すると 下の様になります。 ↓
おっと 二本足で立ちましたね〜
かわいい
この日は 二メートルくらい まで、声をかけながら 接近しましたが 逃げませんでした〜
ところで このエゾリスちゃんは 一体全体 どっからやってきたのかな?
今日は暴風雨の釧路 大雨の中でも
我が家の庭に 敷き詰められた 枝枝の下で 雨宿りできるかな
我が家の庭の木々は エゾリスちゃんにとって 休息の仮庵、避け所、隠れ家と なるといいのですが〜
私たちの避け所、隠れ家なる 主イエス
その仮庵は 昼に暑さを避ける陰となり、 嵐と雨から逃れる避け所、 また隠れ家となる。 (旧約聖書 イザヤ書4:6)
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.10.31 |
メガソーラー てんとうさまを おそれよう
本日、釧路市民に配布された釧路市議会だよりの 請願・陳情項目の中で
「株式会社Nの市内における すべての太陽光発電施設の届け出について 森林法順守状況の調査実施を求める件」が 不採択になってしまっています。
もし、この動画で紹介されている 今年3月17日の作業日報と 当日の気象状況の記録 そして 3〜4月の衛星画像写真等の 今回木村議員の調査結果を
釧路市議会議員の皆様が ご存じの上で 審議されたら 果たして「不採択」となったかどうかと 思いました。
前回の議会だよりを読んでの 感想も含めて 議会の声が 必ずしも 釧路市民の声を 反映するものとなりえていないような 印象を覚えたのは 私だけでしょうか?
今、手元に福沢諭吉が 息子たちに教えた 「ひびのをしへ」の文章があります。 その第二編の に次のようにあります。
「てんとうさまをおそれ、これをうやまい、 そのこころにしたがふべし。 ただしここにいふてんとうさまとは、 にちりんのことにはあらず、 西洋のことばにて ごっどといひ、 にほんのことばにほんやくすれば、 ざうぶつしゃ(造物者) といふものなり。」
「麦を蒔けば、麦が生え、木の舟は浮き、土の舟は沈み、 善事には善報、悪事には悪報がある。 「てんとうしらずのばかもの」が目前の欲に迷って てんとうのおきてをおそれず、悪事を働いて幸いを求めんとするものあるが、 それは土の舟に乗りて海を渡らんとするに同じ、 「こんなことで、てんとうさまがだまされるべきや」 と言っています。 (岩波新書 小泉信三著「福沢諭吉」P83)
すでに森林法、土壌汚染対策法、 盛土規制法と言う三つの法令に違反し さらに 今回の調査によって 新たなる法令違反が加わる可能性があります。 刑事告訴されるかもしれないそうです。
「てんとうさまは見ている」 今回の事案が周知されるきっかけは ご存じの通り 猛禽類医学研究所のS所長の ドローンから見えた記録 さらに、高い所の宇宙衛星から見えた記録 どんなに監視カメラで 横から見られないように ガードしても 上から見えてしまう。
てんとうさまは あざむけないものです。
これは何もメガソーラー会社のみならず 私たち一人一人 周囲の人の目には隠れていることろで 行ったり言ったりすることも すべてをご存じのてんとうさま(造物主)が おられることを 絶えず肝に銘じたいものです。
私たちは 天のお父様の目から見たら 似たり寄ったりの 罪びとです。 ぼろが出ない人は一人もいません たたいて埃が出ない人は一人もいません
だからこそ 正直に神の前に 自らの罪を認め告白して 赦しを請う必要があります。
罪には必ず刑罰が伴います。
神さまは 私たちが負わなければならない罪の刑罰を 愛する御子イエスの上に 負わすことをよしとされました。
罪なき神の一人子イエスが 十字架で 罪ある私たちのために 身代わりに刑罰を受けて 死んで蘇られました。
それは、とりもなおさず 私たちが神を畏れて 罪を悔い改めて 赦しの愛を受け取り 罪から離れて生きるために ほかなりません。
神は、善であれ悪であれ、 あらゆる隠れたことについて、 すべてのわざをさばかれるからである。 (旧約聖書 伝道者の書12:14)
みなさまの1日ワンクリックは
|
| 2025.10.31 |
空き家増え 不法投棄に 眉しかめ
ここ数日一気に冷え込んで 我が家の庭の栗の木の葉も 落ちてきました。
いつか、庭の落ち葉拾いをしなければならないと 思いつつ 「そのうち」と言いつつ 先延ばし 短時間でも せっせと拾わないと いけませんね〜
今朝、午前6時すぎに 教会の玄関に ご近所のAさんが お訪ねくださいました。
ご近所の空き家の敷地内に 大きな不法投棄物を 発見されたという ご報告でした。
「どうしたら、いいべ?」
釧路市では 不法投棄の現場を見つけたら 警察(0154-23-0110)へ
不法投棄の物を見つけたら 釧路市環境事業課(0154-24-4146) へ連絡を速やかにすることが 勧められています。
通報件数が多い方が 行政も腰を上げやすいと思い 私からも環境事業課へ 念のため連絡を 差し上げました。
環境事業課は 早速調べて 私有地の場合は その土地所有者に知らせることに なっています。 また、注意喚起のために 立て看板を設ける場合があるそうです。
空き家や空き地が増えて 雑草が生い茂ると そこに不法投棄が なされるケースが出てきますので、 私たちは、お互いに住みよい環境づくりを してまいりたいものです。
不法投棄が 同じ場所で 繰り返される場合は 監視カメラという方法も あるかと思いますが
C国の様に 監視社会となるのは なるべく避けたいものですが
いかんせん人間の罪の性質は 隠れたところで行う傾向がありますね。
かつて福沢諭吉は 聖書を読んで
息子たちに 「ひとさまが見ていなくても てんとうさまが見ている。 ここでいう『てんとうさま』とは 造物主のことであり 西洋の言葉で ゴッドという」 と教えました。
不法投棄が されやすい場所に 「不法投棄禁止」という立札もよいですが その下に 「造物主が見ておられます。」という 一文を入れるとインパクトが あるかもしれませんね。
私たちは 隠れておかす罪も 含めて すべての罪が 聖なる神の前に 一人一人 立たされて 問われる日が来ます。
誰一人 神の前に 堂々と立てる人はいませんね。
イエス・キリストは そんな私たちのすべての罪を 背負って十字架で 身代わりに刑罰を受けて 償いを完成させて 死んで復活し 天に上り 再び、最後の審判に備えて 来られると聖書は約束しています。
生前 天地創造の神に対して 罪を悔い改めて 主イエスを救い主として 信じる者には 赦し(最後の審判の赦免)が 訳されています。
しかし 悔い改めることをせず 罪を持ったまま この世をお暇するとしたら
最終的に 永遠の滅びに 自分を追いやることになります。
不法投棄を しようとする人が それを しようとする直前に 聖なる神の眼差しを 意識して 思いとどまることができますように・・・
だれが自分の過ちを悟ることができるでしょう。 どうか隠れた罪から私を解き放ってください。 (旧約聖書 詩篇19:12)
何についても先走ってさばいてはいけません。 主は、闇に隠れたことも明るみに出し、 心の中のはかりごとも明らかにされます。 そのときに、神からそれぞれの人に 称賛が与えられるのです。 (新約聖書 1コリント4:5)
今回は、不法投棄の件で 「どうしたらいいべか?」と 相談を受けましたが
これから クリスマスシーズン 「天国へ行きたいんだけど どうしたらいいべか?」 という相談をしに 教会を訪ねてくれる方が 多く起こされたら嬉しいな〜
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.10.30 |
SNS 「なりすまし」に 要注意!
「山形牧師」になりすまして SNSで投稿やツイートをされる トラブルに遭い 釧路警察署の 相談係のAさんに ご対応いただきました。
Aさんは 最近釧路に転属されたそうです。 とても親身に対応して くださいました。
「SNSなりすましとは、ソーシャルメディア上で他人の身元を偽り、 その人物であるかのように投稿やコミュニケーションを行う行為を指します。 単純に似たような名前のアカウントを作成するケースから、 本人の写真や個人情報を巧妙に利用した精巧ななりすましまで、 その手口は多様化しています。」 とのことです。
他人の名前を遣って SNS等に 投稿されたり ツイートを試みられることは あってはならないことです。
日本国は サイバーセキュリティ―政策を 推進中ですが 個人情報もさることながら 国家の安全保障上の情報保護が 急務と言われていますね。
「なりすまし」で連想するのは グリム童話の「赤ずきんちゃん」
狼が、病気で寝込んでいる おばあちゃんを食べた後 おばあちゃんになりすまして 赤ずきんちゃんをもだまして 食べてしまうという 背筋が凍る恐ろしいお話
最終的には猟師さんが おばあちゃんも赤ずきんちゃんも 狼のお腹の中から 助け出すという逆転劇はあるものの・・。 こどもにとっては 怖い印象が残る物語ですよね。
赤ずきんちゃんが そもそもお母さんの言いつけを守って 道草をしなければよかったのですが
道端で出逢った 狼から 「花を摘んでいくとおばあちゃんが喜ぶよ」と言う 言葉に引かれて 道草してしまったことが 禍を招くことになり 「親の言うことに従うことの大切さ」という 教訓があるようですが
聖書では イエス様も
「羊飼い」に成りすまして 羊たちを 間違った方向へ誘惑する 悪魔という なりすましのプロフェッショナルなる 狼の存在=「偽りの羊飼い」を語ります。
おりしも今週末は 世界中の悪魔礼拝者たちが 1年間で最も多忙と言われる ハロウィンです。
古代ケルト人のお祭りとか 先祖の霊が帰る日とか 悪魔や悪霊が到来するから 自らを自分以外の者にカモフラ―ジュさせて 別なものに成りすまして 禍を回避しようとするために仮装する日とか いろいろ、意味が後付けされる ハロウィンですが
現実として この日は多くの悪魔礼拝者たちが 森などでいけにえとしての動物(や人)を 密かにささげたり 魔術や呪術を行います。
(私は、英国留学中 New forestという森の中で 実際にその実践現場跡を 見てしまいました。こわ〜)
日本では、単なる商業的な フェスティバルのように 見なされていますが
この日に、馬やネコなどが 無残な姿で 殺傷されたり 多くの 幼い子が 行方不明になったり 不審死をとげたりする実態が ありますが 日本では放送倫理上 報道されることは まずないでしょう。
罪意識、良心の呵責なく 自分を隠して 誰かになりすまして 誰かを傷つけたり 欺くことが 今週末、世界のあちこちで 横行することを懸念し 祈らされます。
かつては 道路や道端など、目に見える 路上で起こった忌まわしいことが 今日は、かたちを変えて インターネットや通信網を通して 見えない路上で起こっているので 霊的セキュリティー対策が 必要ですね。
「なりすまし」というのは 「オレオレ詐欺」同様 虚偽行為で それは聖書でいうなら 悪魔的な行為で 極めて危険であることを 私たちは 知っておきたいものです。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。 わたしは羊たちの門です。 羊たちは彼らの言うことを聞きませんでした。
だれでも、わたしを通って入るなら救われます。 また出たり入ったりして、牧草を見つけます。 滅ぼしたりするためにほかなりません。
わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、 それも豊かに得るためです。
良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。 羊たちが自分のものではないので、 狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。
それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。 羊たちのことを心にかけていないからです。 わたしはわたしのものを知っており、 わたしのものは、わたしを知っています。 (新約聖書 ヨハネの福音書10:7〜14)
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.10.29 |
初孫が 広告モデル 選ばれて
この夏、 日本のカメラレンズメーカーの 高性能交換レンズで有名な タムロンさんの カメラマンに声をかけられた 長男家族は 広告写真モデルとして デビュー!
応募したわけではありません。 多くの人でごった返す 大都会の片隅で、プロのカメラマンの 目に留まったそうで ピンポイントで 声をかけられた ことを聴いて驚き!
そのことを わがことのように喜び SNSでシェアしてしまう じじは「じじ馬鹿」ですね。
息子が生まれると 世界で一番可愛いと思ってしまう 親ばか
孫が生まれると 銀河系宇宙で一番可愛いと思ってしまう じじ馬鹿
もはや客観的評価が できなくなってしまう・・・のは
どうやら 私だけではなさそうで
先日、病院の 待合室で検査待ちの ご婦人どうしの会話で 「うちの孫が」のフレーズが 繰り返し繰り返し 耳に響いてきました。
さすがはプロのカメラマンの撮影技術
こういう写真を見ると スマホ写真機能ではあきたらず タムロンさんの交換レンズ使用の 一眼レフカメラが 欲しくなりますね〜 (タムロンさんは、 高級でムロン手が出ませんが・・・)
此度は、大手カメラレンズメーカーの カメラマンさんの目に留まった孫ですが 孫には、まったくその自覚はありません。
私たち一人一人は 天地万物の創造主であり 人間をも創造された ヒューマンメーカーなる神様の目に 留められている 愛すべき存在であることを 自覚したいものです。
私たちが自己アピールする必要も ベストパフォーマンスを演じる必要も ありません。
あるがままの私たち一人一人が 誰かと比較されることなく 高価で尊い存在として 神様の目に映っています。
なんて光栄なことでしょう。
私たちひとりひとりは 創造主なる神のかたちに似せられた モデルとして この地上で生かされています。
誰がなんと言おうと 尊い存在なのですね。
自己肯定感の低さのゆえに 悩み、傷つき、憂い 希死念慮で苦しむ老若男女が 少なくありません。
日本では売れっ子の有名な 某精神科医師のYoutuberさんでさえ 自分自身がそのような 精神状態に絶えずあることを 吐露されているのを知って 驚きました。
「あなたは、神さまの目に、高価な存在なのですよ。 神さまの一人子イエス様が十字架で いのちをかけるほどまでに」 と言うメッセージを 携えて今日も遣わされてまいります。
あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。 だから、わたしは人をあなたの代わりにし、 国民をあなたのいのちの代わりにする。 (旧約聖書 イザヤ書43:4)
Tamronさんの広告 ↓↓↓ ぜひURLからご覧ください。
みなさまの1日ワンクリックは
|
| 2025.10.28 |
晩秋に ポリープ手術 十勝にて
早朝の十勝の大平原
2025.10.27 小雨が降る中 午前5時釧路出発 知人医師が開業している 帯広のクリニックへ 胃カメラと大腸カメラの同日検査を受けに 車を走らせました。
前夜は早めに寝入りたかったのですが 下剤を午後9時に飲まねばならず その後、10回以上も トイレに駆け込む大騒動で
睡魔と便意の せめぎ合いの 長い長い夜でした。 (松山千春モード)
睡眠不足状態での運転
眠気眼を起こさせたのは 十勝平原の広大さ
絵に描いたような 遠近法のモデルのような 紅葉道
下剤を2時間かけて 2リットルちびちび飲みながら 何度もトイレへ駆け込みました。
1日で胃カメラと大腸カメラを行ったので 口から肛門まで トンネル状態と なりました。
ちなみに 釧路、帯広間は 下道を通りましたので 道東道より トンネルは 少なかったですね。
クリニック前の紅葉が 「運転、お疲れ様」 と微笑んで 労をねぎらってくださって いるかのようでした。
クリニックからの帰り道
十勝の大平原は 広大です。
西日を浴びる 釧路管内の光景
帰宅すると 十勝から 手ぶらで帰ってきた 私に 妻が十勝の銘菓で ねぎらってくれました。
成の字はバとタで はさんでいたのですね。 バとターではなかったことに 初めて気づきました。 何十年も食べているのに・・・。
今回は人生初の ポリープ摘出手術を受けました。
便検査(2回)では陰性でも ポリープがあるときは あるものなのですね。
発見でき摘出 していただくことが 出来て感謝でした。 ポリープは自覚症状がないまま できて 大きくなるそうです。
気づかないうちに・・・
私たちの心の中の罪や汚れも 似ていますね。
気づかないうちに できて浸透して 大きくなって 広がっていきます。
ですから 聖書の光、聖霊の光と言う 内視鏡で 頻繁に 定期的に 照らされて 発見後、直ちに キリストの十字架の血潮によって 切除していただき、 切除したところは 出血を止めるべく ただちに 聖霊の油によって 止血していただかなければ なりません。
あなたがたが知っているとおり、 キリストは罪を取り除くために現れたのであり、 この方のうちに罪はありません。 (新約聖書 1ヨハネ3:5)
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.10.27 |
晩秋の 冷えに打ち勝つ 味噌ラーメン
お一人暮らしのAさんは 現在90代で 来週お誕生日を迎えられます。
歳を重ねるごとに 笑顔がより輝きを放っています。
ごいっしょに 釧路市興津に移転した ラーメン屋さんへ 行きました。
Aさんは 夕食を ごいっしょする予定だったことを お忘れになり すでにご自宅で 夕食をとられたばかりでしたが、
「今行くから、着替えるね。」 と言って ご一緒にラーメん 迎い
味噌ラーメンを ほぼ完食されました。
寒い日は 味噌ラーメンを 選択したくなる点で Aさんと私は似ています。
この日 Aさんも 私も ラーメン屋に行く前に それぞれ 入れ歯を自宅に 置き忘れてきた点でも 似ています。 (私は一本入れ歯)
それでも 美味しくいただけました。
麺は札幌ラーメン風の 太い縮れ麺 中高生時代 札幌に住んでいた時は この手のラーメンでした。
それにしても Aさんの食欲は 素晴らしいです。
食べる意欲は 生きる意欲に比例しますね。
若い時は ラーメンの汁は 飲みほしたものですが 50代以降は 塩分摂取過多にならないよう 残しています。
それにしても 平日にもかかわらず お客さんが 次から次に 訪ねていました。
ガテン系の方々が 多かったように思います。
久しぶりに ラーメン屋さんに 入りましたが
原材料費の高騰のせいか 値段が一けた増えましたね〜。
全国あちこちのラーメン屋さんが 閉じていると言います。 ラーメン屋さんがたの 生活が守られますように!
あなたがたは、 食べるにも飲むにも、 何をするにも、 すべて神の栄光を現すためにしなさい。 (新約聖書 1コリント10:31)
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.10.26 |
教会で 地域食堂 プレオープン!
2025.10.25 さくらの丘 地域食堂 まごころ プレオープン
まごころネットワークさんの主催
会場は、釧路キリスト福音館で
プレオープンのメニュー 今回は無料でのご招待でした。
現町内会長さん 元町内会長さんご夫妻も おいでくださり 感謝でした。
この地域食堂まごころの ためにと 本格的な デロンギの 珈琲抽出機が 献品されました。 感謝です。
車いすご利用の方や幼児 ご近所の方々が 集い、食後も お茶を飲みながら ゆっくりと歓談されておられて くつろげていただけたようでした。
来月は いよいよ オープンです。 ↓↓↓
地域の皆様にとって 憩いの場となれば 幸いです。
家々でパンを裂き、 喜びと真心をもって食事をともにし、 (新約聖書 使徒の働き2:46)
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.10.25 |
お米減り 辛さ増すかな カツカレー
2025.10.24 朝陽を浴びるシラルトロ湖 釧路から標茶へ
西日を浴びるシラルトロ湖 標茶から釧路へ
秋の道東の空の青さは 眼に映えますね。
吸い込まれていくよう。
紅葉の色も 増してきますね。
標茶イエスキリスト教会で 聖書学び会後の ランチ 定番のカツカレー
皆さんが「あれ、ごはんが少なくなったみたい。」 確かに
「辛い、辛い!こんなに辛いのは初めてだわ」 確かに
ご飯の量が減った分だけ 辛さがこたえたよう。
お米の値段の高騰の 余波がこんなところにも 現れているのですね。
ご自分を証ししないで おられたのではありません。 あなたがたに天からの雨と実りの季節を与え、 食物と喜びであなたがたの心を満たすなど、 恵みを施しておられたのです。」 (新約聖書 使徒の働き14:17)
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.10.24 |
シナイ山 妻と登りし 想い出よ
日本では見かけることのできない 一本の草木も生えていない 岩ばかりの山シナイ山 の中腹に佇む妻(円内は私)
今から32年前の 釧路市緑町内会の20周年誌に寄稿 を依頼されて投稿したもの
民生委員仲間のAさんが 昨日、赤い羽根の共同募金のご協力に あわせてお持ちくださいました。
「30年以上も前の記事を よく保存していてくださり ありがとうございました。」
当の本人は 寄稿したことも すっかり忘れていました。
私がこの町内会に 加入してまだ2ヶ月くらいしかたたない時に 「何でもいいから 何か寄稿してください」と 依頼されまれました。
他の寄稿者の皆さんは 町内会活動経験者ばかりで ことごとく町内の諸行事の 思い出話や 奉仕活動のことを 寄稿されているのに対して 私は、町内に入りたてで 何ひとつ 町内行事に参加もできていない 新参者で 何を投稿してよいやら 戸惑ったことを 思い出します。
まあ、旅行記でも と思い立って その年に シナイ山山頂に妻と登った 想い出がまだ新鮮に 脳裏に残っていたので 書いたところ 皆さん、興味深く 読んでくださいました。
それにしても 一本の木も草も生えていない 山は日本にはないので シナイ山は あたかも「死の山」のようでした。
この寄稿文には はばかって 書きませんでしたが 下山途中で 便意をもよおして 大変苦しんだ記憶が よみがえります。
土があって草が 生い茂っていれば なんとかなるのにと 思いました。
聖なる山 シナイ山を汚して しまったことを 一体全体 誰にお詫びしたらいいことやら・・・
もしも、その時、山頂にモーセがいて、 私が聖なる山を汚すのを目に留めたなら
石の板を立てて 壁を作って 私を覆って恥を隠して くださることでしょう。
なぜなら、次のような 聖句があるからです。
こう宣言された。 「【主】、【主】は、あわれみ深く、情け深い神。 怒るのに遅く、恵みとまことに富み、 咎と背きと罪を赦す。・・・」 (旧約聖書 出エジプト記34:6〜7)
よくも汚したな!と 石板ではたかれることはないと 願います。
寄稿文を書いた この年の町内会総会で 神社の「神輿担ぎのこども募集」の 議題が出ました。
お神輿を担ぐ 子どもたちの参加人数が少ないので 町内会で声をかけてほしいと 神社から頼まれたということでした。
すかさず、 私は手を挙げて 「いくら地域になじんだ文化的行事とはいえ 宗教団体が主催する行事は あくまでもその宗教団体が主体的に 呼びかけるべきであって 町内会が代わって呼びかけるのは おかしいと思います。」
一瞬シーンと 静まり返りました。
「村八分決定かなあ」 と覚悟を決めましたが、
町内会長さんが 「そうだな、やまがたさんのいうとおりだべや やめるべ」 と言うことになり
それ以降、町内では 子ども神輿が話題に乗ることすら なくなりました。
もしかすると、あの時 町内の皆様は この寄稿文を読まれ 「創造主」こそが真の神だ! 造物主への畏れをいだき
人間が担ぐ 偶像のむなしさを 感じ取られていたのかも・・・
何は、ともあれ 町内会の皆さんは とても理解のおありの方々が多く 敬意を表します。
それから、 数年後に 町内会会計担当者が出ず 「やまがたさん、1年でいいからやってくれ」 会長さんから懇願され
1年の期限付きで 引き受けるかどうか まずは、帳簿を見せてくださいと申し上げて 帳簿を拝見した時 神社への協賛金と言う項目が 目に留まりました。
特定の宗教法人に 協賛金を支出するのはおかしいと 指摘したところ すんなりと その支出項目は 削除されました。
私も含め 私たちはの多くは 日常生活で あれ、おかしくないかな? と思いつつも 立ち止まって考えることをせず まあ、変えるのは面倒くさいからと 慣習として 続けてしまっていることが 少なくないのではないでしょうか?
それは 何も町内会に 限ったことではありませんね。
惰性的に 行っていることはないか 立ち止まって 自らを省みるこのとの 大切さを 改めてかみしめたいものです。
話はシナイ山に戻りますが 夫婦で一緒に 山頂まで登って降りた山は 国内外を含めて もしかすると シナイ山だけかも・・・
この写真を妻と眺めながら 想い出のシナイ山の 話を「しない」まま しばらくの時が過ぎたね〜と 懐かしがりました。
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.10.23 |
秋麗 母の手料理 満喫す
マンションの窓から色づいた手稲山が見えます。 そろそろ、うっすらと 冠雪が見えることでしょう。
2025.10.22 札幌市で一人暮らしをしている 母を訪ねました。 週に4日プールに通い体を 鍛えています。 この日はプールの休業日
お友だちが
母の手料理 塩麹で味をつけた 秋刀魚と 茄子はとても美味しかったです。
こちらは せいろを使った たまねぎとかぼちゃと キノコ類
筍入りの 炊き込みご飯 おかわりしました。
秋の味覚を 堪能しました。
母から夜尿症予防の 足の体操の仕方を 教えてもらいました。
また、足の指を使っての じゃんけんの仕方も 習いました。
母から学ぶことは 毎度のことながら 多いです。
札幌には 弟がいて 0のつく日は 母と夕食を共にし そのほか 頻繁に買出しに行って 母を支えてくれているので とても助かっています。
私たちが行く時は 色々と 景勝地へお連れしたり 街中へのお買い物など 母の希望を聴くのですが 今回は、寒さのこともあってか 体力的にも 億劫になっていることもあってか 終日、部屋で語り合いました。
母の上にイエス様の祝福と守りと 救いがありますように!
私の力が衰え果てても見捨てないでください。 (旧約聖書 詩篇71:9)
札幌は、釧路よりも 寒く感じましたね〜
なんと、母のマンションで見たテレビニュースで この日、私の母校(札幌市立手稲東中学校、 札幌市立手稲東小学校)が クマ出没の影響で 臨時休校となったことを知って 驚きました! (後輩たちは、自宅で何していたんだろう?)
昔は、想像もつかなかったことが 今日起きているのですね〜
母校の後輩たちが守られますように。
明治世代 「昔は、たまに、熊が出たもんだよな〜」
昭和世代 「昔は、熊は、降りてこなかったよな〜」
「今日も、熊が出たそうだよな〜」
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.10.22 |
朝里ダム オタルナイ湖で 堪能す
2025.10.21 札幌で施設暮らしをしている妻の母親と 朝里川オタルナイ湖の 朝里ダム湖畔園地で 紅葉を楽しみました。 小樽がそこにあるのに、オタルナイ湖とは これいかに!
小雨が降って 寒かったため お母様は 車の窓から 「ひろゆきさん、私はここでいいわ」 車窓からでも それなりに楽しめるのですが 車から降りて 少し歩いて良い景色を 360度 スマホの動画で30秒ほど 映して お母様にお見せしましたら たいそう喜んでくださいました。 朝里スカイループ橋の 下の公園からでも それなりに 黄色に色づいた紅葉を 愉しまれたお母様は 「ひろゆきさん、上まで行かなくても 私は、もう、ここで 充分ですよ。」 と仰ったのですが
「お義母さん、そう言わず せっかくここまで来たのですから 上も見てまいりましょう。」
と申し上げて 朝里スカイループ橋を 渡って ダムの上まで 行ったところ 下から見る景色とは 全く異なりました。
やっぱり上まで来て 良かったですね〜 お母様は大変喜ばれました。
朝里川の 紅葉見物前に ふだん、施設では なかなか召しあがれないメニューの中に ピザがあり お母さまは、この日 前回同様 ピザを召し上がりたいと リクエストされて 同じ手稲区にある 素敵なイタリアンレストランで ピザを満喫されました。
何気なくスマホで検索して 訪れた小さなお店でしたが ピザの生地がもちもちして 一切れ食べただけで おなかが膨張するようでした。
朝里川の紅葉見学を経て 小樽のイオンに参りました。
施設で暮らされる 義母さんは 付き添う人がいないと 自由に 外出することが 規則で制限されているので 十勝におられた時の様に 外の空気を 吸いながら お散歩することが かないませんが この日は 久しぶりの 外出で 喜んでくださいました。
フードコートで 温かいお茶を3人でいただきながらの 会話の中で お母様は 初めて イエス様を 信じる信仰の告白の お祈りをされました。
きっかけは 何度も 「早くあの世に逝きたいわ」 何度も 仰るので イエス様を信じていける あの世=天国について お話をしました。
「浩之さん、そんなこと言っても 誰も、そこへ行って見てきた人は いないでしょう。」
「お義母さん、確かに 私も行ったことがありませんが、 そこから来られた方がおられるんですよ。 それがイエスさまなんですよ。 私たち、人間はみんな罪深くて 天国へ行けない者なのですが イエス様がその罪を 背負って十字架で身代わりに刑罰を受けて 死んで蘇ってくださったのですよ。 イエス様は、その素晴らしい『あの世』を備えるべく 天に戻られたのですよ。」
「今日見た、朝里ダムの景色は 一番上からが 一番良かったですよね。 下からでは分からないものです。 しかし 上から 降りてきた方が 上はいいぞと教えてくださっているんですよ。
天国ってところは 死も悲しみも 叫びも苦しみもない 膝も痛まないし ストレスもないし この地上での苦しい過去を 思い出すこともないし 喜びと感謝に満ち溢れたところなのですよ・・・」
等々お話していくうちに 「でも、毎週教会に行かないといけないんですよね。」
「教会に行くことは素晴らしいことですが 教会に行くことが天国へ行く条件ではないんですよ。
イエス様、私の罪をおゆるしください イエス様を救い主として信じます、 と心で信じて口で告白するだけで 救われて天国へ行けるんですよ。」
すべて疲れた人、 重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。
(新約聖書 マタイの福音書 11:28)
「イエス様、私の罪を おゆるしください。 イエス様が私の罪のために 死んで蘇られたことを信じます。 イエス様とともに歩んでまいります。」 お母様は お祈りされると 晴れやかなお顔になり 「これから、寝る前に イエス様にお祈りしますね。」 とおしゃってくださいました。
寒かったので 夕食に 温かいお蕎麦を三人でいただきました。
主がお母様に 朝里ダムの紅葉に はるかにまさる天国の景色を お見せくださることがわかり 主をほめたたえ感謝しました。
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.10.21 |
病院の 地下食堂で カレー食べ
釧路市立総合病院の 地下食堂のかすみさんで カレーライスをいただきました。
初めて来ました。
ご近所でお一人暮らしの Aさんの付きそいを依頼されて 各種検査 約1時間 診察(待ち時間含め)約1時間 入院説明 約1時間 色々と勉強になりました。
次に どこに行ったらいいか 次に何をしたらいいか ご高齢の方が お一人で来られたら なかなか 動きずらいことと 思いました。
たとえば 診療が終わって 医師から 「出たところでお待ちください」 と言われて その直後に 看護師さんから 「処置室の前でお待ちください」 と言われる場面が ありました。
付き添いの私ですら あれ「出たところ」≠「処置室の前」???
で混乱しました。
忙しそうにされている看護師さんに 再び聞くのも 気後れしてしまいます。
待っていて本当に呼ばれるのだろうか もしかして 忘れられていないだろうか と心配しています。
診察室の前で呼ばれる番号札 検査室の前で呼ばれる番号札 の番号が 異なると 頭の中で 混乱しがちになります。
どこにいっても 生年月日とお名前が 確認されます。
職員さんは とてもよく きめ細かく 患者さんに仕えておられました。
入院説明では 入院前の説明 入院中の説明に加えて 退院後の説明が 看護師ではない 担当者から 介護保険の説明も兼ねて 説明されます。
看護師さんと 患者さんの会話を聴いていると コミカルで なかなか 聴いていて 心が和む場面が ありました。
看護師さん「Aさん、お酒とたばこはされますか?」 Aさん「酒も、たばこも、女もやりません。」 看護師さん「(笑いながら)それはいいことですね。」
看護師さん「今回、牧師さんが付き添ってくださいましたが ご家族は遠くにおられるのですね。」 私「実は、釧路市内の●●にお住まいなのですが・・・」 Aさん「全然連絡もしてこないんだ。」 看護師さん「(笑いながら)うちの息子も、お金が必要な時だけですよ。」 極力、患者さんに寄り添い 単に機械的に質問するだけでなく 共感しながら傾聴されるお姿を 拝見しながら さすがはベテラン看護師さんだなあと 感心しました。
病院に半日いると 色々なことを 学ばされます。
多くの 検査室で 多くの検査技師さんが 入れかわりたちかわり 「番号札〜番の方」と お呼びして お招きする姿を 比較しながら
ああ、対応に好感がもてるなあ という 検査技師さんの御姿から 学ばされます。
教会で 来館者に対応する場合にも 参考になるなあと 思いました。
大切なのは 「笑顔」と「謙遜さ」 そして「相手をリスペクトする姿勢」 「傾聴姿勢」「明確な指示」 「丁寧な語尾」 等々・・・
昔の病院は 検査が終わると 検査結果の書類やら レントゲン写真やらを 運んだり 受け取ったりばたばた 人が動かなければなりませんでしたが 今は、デジタルIT化で パソコン操作一つで 医師はほとんど座席から動くことなく データを 確認出来て 便利な時代になりました。
驚いたことは 午前8時半に 全職員さんが 廊下に整列されて 患者さんに礼をされたことです。
世界広しと言えども 礼に始まる日本文化の美徳を 感じさせられました。
Aさんは 「いつも帰りに食堂で食べるんだ」と 仰って お招きくださいました。
「労災はレストランで 市立は社員食堂だ」 と仰って 招かれた食堂は 確かに職員さんが 多かったです。
医療のお仕事を終えて きっと 夜勤だったのでしょうか どなたも 疲れ果てたお姿で
仕事着のまま 一様にスマホを 操作されながら 召しあがっていました。
人の命に係わるお仕事は 命がけで 精神的にも 肉体的にも 疲労が残ることと 思います。 あたかも 戦場から帰還した兵士たちのようでした。 会話をされている方は 居られませんでした。 きっとここは 誰の目も気にしないで
さすがは医療従事者の皆さん よく咀嚼されているようでした。
Aさんと同じカレーライス を注文しました。 懐かしい昭和の風味でした。
他のメニューを見ると どれも 格安のようでした。
食後は 各自、食器の汚れを シャワーで落としてから 洗浄用の水槽に入れます。 懐かしい光景です。 や 病院のことを英語でホスピタルと 言いますが 病院で勤務されている皆様の 労苦に対しても ホスピタリティーが 必要ですね。
食堂のお隣に 医療従事者の方々の 疲れたお体をほぐすための 整体コーナーや 鍼灸コーナーが アロマセラピーコーナーが 設けられたら いいのにと思いました。
医療関係者の皆様も 患者さまも みんなみんな 癒し主を必要としているのだなあと 思いました。
すべて疲れた人、 重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。 (新約聖書 マタイの福音書11:28)
みなさまの1日ワンクリックは |
| 2025.10.20 |
帯広で 眩しい夕陽 燦燦と
十勝の夕陽は 釧路の夕陽にまさるとも おとらず 素晴らしいです。
夕陽に 照らされる人を より明るく浮きだたせる点 においては もしかすると十勝の方が 大平原ゆえに 優っているかもしれません。
明治時代に 十勝開拓の礎を築いた 晩成社の依田勉三氏は 聖書の感化を 受けられた方でしたね〜
あの銘菓マルセイバターサンドの 「セイ」が 晩成社から来たことを 全く意識しないで ほおばる人が ほとんどかもしれませんが。
2025.10.19 帯広キリスト福音教会で 夕刻時 十勝の夕陽を浴びながら 私の隣が武田牧師、そのお隣が かつて帯広畜産大学教授で 学部長もされていた クリスチャンAさんご夫妻 「謙遜で柔和な人」の シンボルのような方
良き交わりの時が 与えられました。
妻の出身教会 この教会の伝道の働きが なければ 私と妻との出会いも ありませんでした。
教会員のBさんが 手を挙げて なんとお一人で 一か月に二回 日曜礼拝に来られる方々のために 手作りの美味しい 十勝の食材で おもてなしされています。
このお食事の お交わりがあることで 食卓を囲んで 愛の会話が弾みます。
自然と悩み事や相談事も 分かち合われて あーでもない こーでもない と言い合って 祈り合います。
教会らしさの 真骨頂は 食卓を囲む交わりの中にあるなあと 改めて 思わされました。
イエスさまも よくともに食事をされる場面が 福音書には 多く出てまいりますね。
この日は豚汁もあり おなかが一層 ふくれました。
十勝は豚丼で有名ですが 豚と言うと 依田勉三氏の 「開墾のはじめは豚と一つ鍋」 の句も思い出されます。
いつも予想人数を はるかに 上回る分を Bさんは ご準備 されているので 「おかわり」までいただくことができて おなかは 風船状態 それに加えて デザートの差し入れが あれこれと あったりして 豊かな祝宴のよう。
奉仕の ありかたの基本は
「自分は、兄姉のために喜んで 何ができるか、何を差し出せるか」
主の前で一人一人が 祈って 決める。
一人一人が それをささげ合う時に イエス様が 素晴らしく組み合わせて 賜物が 用いられていくのですね。
綺麗なランのお花をCさんが 飾ってくださいました。
お見事だったので Cさんに 「生け花を学ばれたのですか?」 とお尋ねしましたら フラワーサークルで 学ばれているとのこと
趣味で学ばれていることを 即座に主のために 役立てようとされる
すべてを福音のためにという 姿勢からも 学ばされました。
この日、礼拝の司会奉仕をされたDさんは かわいらしい 温かい履物で 会衆の前に立たれて 皆さんを和ませてくださいました。
足元からでも 見る人に 優しさを 表されるDさんの 真心に感動しました。
Dさんはマスクをかけて メガネが 曇って 週報を読み上げるときに 見えずらくなり このことも 会衆に やわらぎ感を与えてリラックスして 礼拝に臨めました。 イエス様は リラックスさせてくださるお方です。
この日のために とても素敵な案内をおつくりいただき 感謝でした。
皆様、熱心に 聖書のことばに 耳を傾けてくださり 大きな励ましをいただきました。
釧路に向かう道中 日が暮れて 真っ暗になり ほとんど紅葉を観て 楽しむことができませんでしたが 紅葉にまさる 帯広の主に在る兄姉の 主を愛する姿に心は 高揚しまくりました。
帰る途中 3回コンビニに寄り 珈琲 ナッツ菓子等を含めた トイレタイムをとりました。
釧路キリスト福音館の 礼拝の音声配信を帰りの車の中で聴き 讃美の声から 「ああ、多くの方々が集われて讃美されているなあ。 お久しぶりの方も 紹介されて歓迎されている!」 と感謝、感激で 心は一層高揚しました。
立っています。 数々の集いで 私は主をほめたたえます。 (旧約聖書 詩篇26:12)
前日の晩 深夜覚醒してしまい 寝付けず 「これは、果たして 1日体力的にもつだろうか」と 案じましたが 1日を守られて 「皆さんに祈られているからだ」と 背後で小さき自分のために祈られている 主に在る兄姉の愛に 感激して 心はさらに高揚
みなさまの1日ワンクリックは |










































































