山形牧師の部屋 - 記事一覧
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| 発行日時 | 見出し |
|---|---|
| 2026.07.08 |
刑務所の 中に響けり 主のみ声
釧路刑務支所正門を後ろに見て
昨日は今月の 刑務所宗教教誨 グループ教誨 今回は10名の参加者が 導かれました。
前回は2名でしたが
この2名が 他の方々に「いいぞ!」と 他の仲間に声をかけ誘ってくださったおかげもあり 8名が加わりました!
8名の新人さんの参加に 心躍るような気持ちで 大胆に ヨハネの福音書3章16節から 聖書の「神」について 語らせていただきました。
こんなに幸せなことはありません。
皆さん、まばたきもしないくらいの 真剣さで 食い入るように 福音に耳を傾けてくださいました。
冒頭、初めて参加された方々の ご出身の 都道府県や出身地を伺い、 今まで、キリスト教とか 教会、聖書とのつながりがあったかどうか そして、どうして教誨を受けようと思ったかを 伺いました。
ちなみに 宗教教誨とは 受刑者の方々が 受けたいという意思をもって 「願薦」と言う書類に 記入し提出し しかも 舎房や工場での 規則違反や問題行動がない と言う条件で 初めて 参加が許可される仕組みになっています。
ですから 願薦が1枚も出なければ、 教誨師の出番はない ことになります。
今回は集合教誨(グループ教誨) というものですが 宗教教誨には 個人教誨というものも あります。
個人教誨は 個人的に教誨を受けたい 希望者対象のものです。
この場合も 「願薦」が必要と なります。
釧路刑務支所は 初犯の方々を対象とした 矯正施設の為 累犯の方々を対象とした 施設よりも 更生意欲が高い方々が 多くおられると 私は見ております。
教誨に臨む態度も 真剣そのものです。
毎回伝道集会という 気持ちで準備させて いただいています。
今回は 聖書が教えている「神」 が日本における、いわゆる「神々」と どこがどう違うのか
ホワイトボードを 駆使しながら また、人間の起源について 進化論のおかしさなどを 指摘しながら
私たち一人一人が 創造主なる神のユニークで 尊い作品であり だからこそ
比較し合って 落ち込んだり ねたんだりすることが そもそも愚かであることを 自分自身の体験も交えて 分かち合いました。
あいつなんかいない方がいいと思うことは 既に神の目から見たら 殺人罪 女性を見て、性的対象としてイメージするだけで 既に神様の目から見たら 婦女暴行罪 であること
そういう意味では 牧師である私も 多くの殺人罪と婦女暴行罪を犯した 罪びとのひとり であることを 分かち合い
牧師も刑務官も弁護士も裁判官も みんなみんな罪びと
塀の中の人と塀の外の人がいますが 神さまの目から見たら 地球そのものが 大きな塀の中にあって 全人類が 罪びと、すなわち 塀の中の人なんです、と 語らせていただきました。
その罪びとが 死んで世の終わりに地獄に 落ちることのないように 身代りに刑罰を受けるべく 神のひとり子 罪のないイエスキリストが 命を懸け 十字架で 身代りに死んで蘇られたことを 時間内で びっしり語らせていただき
「今日初めて聴いた方が多いと思いますが 自分もイエス様を信じて救われたい 罪赦されたい、そう思った方は 手を挙げてください。」
すると さっと手を挙げた方 そろそろと手を挙げた方 ゆっくりと手を挙げた方 そしておそらく心の中で手を挙げたであろう方が おられて 罪の告白のお祈りの時を もちました。
今回教誨を受けられた10名の方々が キリストを個人的に救い主と信じて バプテスマ(洗礼)を受けられて 喜びと感謝にあふれて
工場や舎房内でも 福音を伝えまくり 態度も変えられて
釧路刑務支所隅々に 聖書の価値観が拡がり 「神の国」が実現しますように!
私には夢があります。
「釧路刑務支所に入った人の 出所後の再犯率が0%になること!」
日本の矯正施設の歴史に 「奇跡」をもたらす そんな矯正施設になるように 私は願っています!
過去に 中米某国の某地域で 聖書の価値観が拡がり その地域にあった 刑務所そのものが 閉鎖になるという出来事が 起こりました。
日本でも 起こりうると信じます。 (その場合、刑務官の方々の再雇用先も 保障する制度をつくる必要あり)
それを可能にするのが キリストのパワー
あなたは大いなる力と、 伸ばされた御腕をもって天と地を造られました。 あなたにとって不可能なことは 一つもありません。 (旧約聖書 エレミヤ書32章17節)
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| 2026.07.07 |
同じ店 総理も寄りし うどんかな
先月の高松での 全キリスト教教誨師会の研修会の 晩に、夕食を食べる場所を探して アーケードの中を巡りましたら 時刻が午後8時近くで 多くの店が閉じていたのですが
一軒のうどん屋さんが開いていて お値段も高すぎず 中を見ると、すいていたので ふらりと 入りました。
翌日は妻を迎えに高松空港へ行くので しっかりと食べて体調整えないと と思いました。
貧乏性な性分で 普段旅先でも コンビニのおにぎりや サンドイッチで すませてしまいがちですが
健康面を考えると その場で調理されたものを いただくことが 身体にとっては優しいことだと 最近考えさせられています。
財布にやさしいことも大切ですが 身体にやさしいことはもっと大切
このうどんは、なんと手打ちうどんで 箸でつまんだうどんを 思い切り天井めがけて伸ばしても 切れずに 垂直に 立っている 弾力性に満ちた 見事で感動的で かみごたえのなる うどんでした。
うどんの品格を 感じられるほどでした。
卵とじのたまねぎの 甘しょっぱい味とも マッチしてとても美味しかったです。
食べながら、ふと店内の棚の上を見てびっくり なんと、安倍晋三さんが 2019年7月9日に このお店で 「えびちくわ天ぶっかけうどん」を お召し上がりになったとのことです。
俳句も見事 「令月」は味のある言葉ですね。 私も遣わせていただこう。
私は、元総理よりも お値段が高いものを 注文してしまったことになり 妙に恐縮してしまいました。
注文する前に この写真を見ていたら 同じメニューを注文して 安倍さんを偲びながら 味わったことでしょう。
安倍さんが 来店された時に お店にいた従業員さんから 当時の お話を伺うことができました。
安倍さんは 何と私が座っている 座席の隣の隣に 座っていたそう
「このお店と安倍さんは、何かおつながりがあったのですか?」
とお尋ねしました。
全くつながりがなかったそうです。 たまたま 選挙応援で アーケードを歩いていて おなかがすいて 通りすがりに ふらりと立ち寄られたとのことです。
(この点は 私と相通ずる!)
へ〜、そんなに気さくなところがおありだったのか〜と 思いました。
私の亡父は、かつて 東京銀座で 銀座山形屋1丁目店で店長を していたこともあって 著名人がよく来店されたそうで
政治家では、 故大平正芳さん、故田中角栄さん 故中曽根康弘さん、 故片山哲さん(父がファンだった) 故三木武夫さん 故中川一郎さんの らの洋服を仕立てたことが あったことを 晩年、私に打ち明けてくれました。
もし父が今も生きていたら 安倍さんや岸さんの服は仕立てたことがあった? 訊いてみたいところでした。
次回、高松に行く機会があったら このお店で 「えびちくわてんぶっかけうどん」 を注文したいなあと思いました。
食べていると
店員さんが 「そろそろお時間ですが おでんのご注文はおありですか?」 丁寧にお尋ねくださいました。
へ〜 高松では うどんとおでんが セットなのですね。
UDON ODEN うーむ 母音と子音 発音も似ている!
閉店時間 午後8時を回り 外国人らしきお客さんが 入って来られました
日本人の店員さんが 「クローズ、クローズ」と 説明されていました。
次回、高松に来る機会があれば 「えびちくわ天ぶっかけうどん」を 注文したい!
このうどん店を目がけて来たわけではなく たまたま、目にして ふと立ち寄ったという点で
私と安倍さんは同じだ〜と 安倍さんに対して 不思議な 親近感を覚えました。
一度もあったことがない私でさえ 親近感を 覚えるとしたら
普段会うのがあたりまえだった ご家族にとって 亡くされた お悲しみは どれほど大きかったことかと 想像するだけで このお写真を見るにつけ 涙腺が緩みまくります。
今もなお 愛するご主人とのお別れの お悲しみの中に おられるにちがいない 奥様はじめご遺族の皆様の上に 主のお慰めがありますよう 改めて お祈りさせていただきました。
ぶっかけうどん
「ぶっかけ」と言う言葉の響きが なんとも親近感を覚えますね。
今日も、心に聖霊を ぶっかけていただいて 遣わされてまいりたいですね!
乾いたところに豊かな流れを注ぎ、 わたしの霊をあなたの子孫に、 わたしの祝福をあなたの末裔に注ぐ。 (旧約聖書 イザヤ書44章3節)
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| 2026.07.06 |
雨の日も 客絶えぬ店 学びあり
先月、妻と四国香川県高松市の うどん屋さんで
このお店の 割引サービスチケットを いただいていたので 助かりました。
バターが入っていて 和風カルボナーラの印象
麺がもちもちしていて 美味しかったです。
壁は隅々まで 額縁に入った色紙が びっしり飾られていました。
地震が起きたら 壁に掛けた額縁が 落ち散乱してしまわないかと 心配しましたが
地元の方に伺うと 高松は 地震が 滅多にないそうです。
梅雨前線の影響で 地域によっては 避難指示さえ出ている 大雨の日にもかかわらず
傘をさして 外で待つ人がいるほど 繁盛していました。
目立たない場所にあって 目立たない建物、 化粧室は和式で、 駐車場は、限られていて 車はやや停めずらい・・・ 等々 であるにも かかわらず 口コミで人が ナビを駆使して沢山 集まっている店がある。
うどん屋さんの場合 大切なのは 「うどんの味」なのですね。 しかも、そのうどん屋さんならではの 何らかのユニークさがあること でしょうか。
ちなみにこのうどん屋さんの場合は バター味でしょうか・・・
教会も 目立たないところに 目立たない建物であっても 人が沢山集まる場合があります。
教会の場合 大切なのは ・聖書の真理がわかりやすく、 正確、勝つ忠実に 伝えられ教えられていること
・聖書の価値観に立って生きようとする 雰囲気が漲っていること
この二つかなと 思いました。
そして、その教会ならではの「味」が 出されていること
繁盛するうどん屋さんから 成長する教会の姿について 教えられたようで 感謝でした。
教会が コンビニのように 増えることが 望まれますが コンビニと異なるのは
画一的ではなく 同じ真理を 信じ伝え教えていても そこに集う人がユニークな 集まりである以上 その教会ならではのユニークさを 大切にしていること
キリストが満ちておられる 教会に 雨の日でも 多くの人が 集い、喜び楽しむ ことができますように・・・
すべてのものをすべてのもので 満たす方が満ちておられるところです。 (新約聖書 エペソ書1章23節)
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| 2026.07.05 |
傘をさし 妻と巡りし 小豆島
先月 高松での全キリスト教教誨師の研修の後、 梅雨前線の影響で大雨の中 妻と小豆島へフェリーでまいりました。
子どもたちが小さい時分は 教誨師の大会等で 全国各地に行く際 妻はいつも 子どもたちと留守番で
子どもたちが 巣立った今 妻と一緒に 短期間であっても 旅ができることは 神様の恵みと感謝しています。
この日は 大雨で レンタカーを キャンセルする方々が 多かったようでしたが。
高山右近の銅像前で
高山右近は 豊臣秀吉の 伴天連追放令の後 信仰を守るために 領地や財産、地位をかなぐり捨てて 信仰の友 小西行長の領地 小豆島の山奥(山中地区)に 一時潜伏しました。
秀吉が禁教令を出す前年(1586年) 小豆島への伝道が開始され わずか1か月で 1400名もの島民が 洗礼を受けられ 大リバイバルが 島を揺り動かしたのですね。
道の駅オリーブ公園の ギリシア風車
雨足が強くて スラックスも 靴の中も びしょびしょ
オリーブ園は まるで イエス様が 十字架にかかる前夜に 祈られた エルサレムの東側の オリーブ山の麓の ゲッセマネの園を彷彿させるようでした。
雨に濡れるオリーブの実
海中から現れる砂の道 エンジェルロード(天使の道)
1日2回、干満差(干潮時前後1時間)によって 島と陸が繋がるという 珍しい「トンボロ現象」(陸繋砂州)が見られます。 北海道道東では浜中町の湯沸岬が そうだそう。
エンジェルロードは 恋人同士が 手をつないで 歩くと 天使が舞い降りて来て 二人の願いをかなえるという 言い伝えがあるそうです。
新約聖書へブル書1章14節を 思い出していました。
み使い(天使)はみな、奉仕する霊であって、 救いを受け継ぐことになる人々に 仕えるために 遣わされているのではありませんか。 (新約聖書 へブル書1章14節)
救い主イエス・キリストは 私たち罪深い人間と 聖なる父なる神様とをつなぐ 唯一の道 エンジェルロードにはるかに超えた ジーザス・ロードこそ 天国に至る確かで 安全安心な永遠の一本道
「わたしが道であり、 真理であり、いのちなのです。 わたしを通してでなければ、 だれも父のみもとに行くことはできません。 (新約聖書 ヨハネの福音書14章6節)
小豆島で 最も印象に残ったのは 山中地区の 千枚田でした。
田植えを終えた 水田が 段々と広がり
鏡のように透き通り 美しかったです。
感動しすぎて 写真に撮ることを 忘れるほどでした。
この日の小豆島は どこに行っても大雨のため 閑散としていましたが どんなに悪天候でも 妻と一緒にゆっくり時を 過ごせたので 心は一点の曇りなく快晴でした。
雨の日でもハレルヤ! 晴れの日でもアーメン! そう叫べる幸い
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| 2026.07.04 |
病得て 同じ痛みの 朋を得る
岩手県盛岡市より 教誨師仲間である 尊敬するA牧師が 道東をお訪ねくださり ご一緒に夕食後に 私どもの教会メンバーBさんご夫妻宅に お伺いしました。
かねてから 願っていたことでした。
A牧師とBさんは どちらも同じ難病を お持ちです。
背骨の中を縦に走る 「後縦靱帯」が骨に変わり、 脊髄を圧迫して手足のしびれや 運動障害を引き起こす 指定難病です。
A牧師もBさんも ほぼほぼ似たような時期に 似たような出来事(階段で転倒)を通して 救急搬送されて 大手術の際に 診断が下されました。
A牧師とBさんは 年齢は1歳違い 分かり合える同世代でもあります。
お互いにスマホで お互いの レントゲン、CT、MRI画像を お見せし合いながら 長時間にわたる手術のことや 術後のリハビリのこととか 当事者同士だからこそ わかる専門用語が 自由に飛び交い 分かち合われていました。
A牧師は 岩手県で患者会の事務局長を されて 定期的にニュースレターを発行して 行政や医療機関 とのパイプ役を担われていて 同じ病を抱えている方々の声を 代弁する尊い 働きをされています。
そして 同じ病の方々が 孤立することのないように 集まって 医師も巻き込んで 楽しめる行事を企画 されたりしています。
先日はA牧師は 岩手県立医大学の 講座に招かれて、 特別にご講演されました。
A牧師曰く、 「立法府」を動かす最も大きな力は 医師会や医療機関ではなく 「患者会」だそうです。
当時者の声が最も パワフルなのだそうです。
しかし、当時者の方々は ともすると、 委縮してしまい 声を発する元気すら出ないことが あるものです。
この点でA牧師は 声なき声をキャッチして 届ける働きを 神様からの使命と受け止められました。
口を開きなさい。 すべての不幸な人の訴えのために。 苦しむ人や貧しい人のために さばきを行いなさい。 (旧約聖書 箴言31:8〜9)
A牧師は 同じ姿勢を 一定時間保っていると 体が硬直して激痛が あちこちに走ります。
それが いつ生じるか分からないのが 厄介なところでも あるようです。
この時もBさん宅で 座って話している最中 A牧師は 突如 激痛に襲われました。
しかしA牧師は その激痛の中で、 目を細めながらも しっかりと笑顔を保持されて いるのです。
驚きました。 私には到底不可能なことだと 思えました。
私は、指に小さな棘がささっただけで 顔をゆがめて 眉間にしわをためて 世の終わりででもあるかのように じたばたして 呻いて、妻に懇願して 針やピンセットで 抜いてもらうほど 痛みに弱く神経質です。
激痛の中でも 微笑んでいるA牧師の表情を 見ながら 旧約聖書のイザヤ書53章の聖句を 思い浮かべ イエス様のことを思い出しました。
「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、 満足する。わたしの正しいしもべは、 その知識によって多くの人を義とし、 彼らの咎を負う。 (旧約聖書 イザヤ書53章11節)
A牧師と会話していて 時折A牧師が
急に黙って 笑みを浮かべる場面
それは 何かを思い出して嬉しかったり おかしくて 笑っているのではなくて
突如襲ってくる痛みを 受けながらも 主を仰いでいる しるしなのですね。
自分も、そのような習慣を もてるように 変えられたい と思わされました。
岩手県の患者会の皆さま のみならず 全国の指定難病の皆さまとの おつながりができると どれほど幸いでしょう。
Bさんに伺うと 釧路では 現在 指定難病の会が今のところないそうです。
指定難病の診断ができる医師や リハビリ技術を習得した 理学療法士さんが そもそも不足している現状が あります。
様々な問題が 解消されていくと いいなあと思いました。
様々な難病で苦しんでいる方々が 同じ苦しみを通っている方々と つながりを持つことで 自分は独りぼっちではないんだ ということを 知って、 分かち合い、 励まし合い 声を発し合うことができるといいなあと 思いました。
難病に限らず 私たちはともすると 何かの悩みや苦しみに直面すると しばしば 「だれも、私の苦しみはわかってくれない。」 と思い込んで ふさぎ込んで ひきこもって しまいやすいものです。
今日の 日本の引きこもりの平均年齢は 15〜39歳の若年層よりも、 40〜64歳の中高年層のひきこもり当事者 (推計約61.3万人)の方が多い という結果が出ていて 私もその世代に含まれます。
イエス様がこの世に肉体をもって 来られた目的の一つは 私たち肉体をもって苦しむ私たちの傍らで 私たちを同情を示し 私たちが「ひとりぼっちではない」ことに 気づかせるために他なりません。
イエス様は 私たちと同様に いや私たち以上に 様々な点で 苦しまれました。
私たちと異なる点が あるとすれば それは罪を犯さなかった という1点のみです。
私たち以上に苦しまれたお方は 私たちが助けを叫び求めるそのとき 私たちの傍にいてくださる
そのことに気づけるだけで どれほど 私たちの心の持ちようや 苦しみの受け止め方が 変わってくることでしょう。
Bさん宅の玄関から 身障者用エレベーター (車いすと介助者1名が乗れる)を利用して 降りました。 とっても静かにゆっくり動くので 体に負担が かかりずらくて 便利でした。
A牧師とは 先月、四国高松でもお会いし 先々月は、九州鹿児島でも お会いしました。
激痛を抱える難病がおありでも 全国を飛びまわり ながら 必ず毎週金曜日夕刻には地元盛岡での リハビリには 間に合うように 旅の計画を立てられています。
すごいなあと 思います。
私なら、ちょっとでも 痛い所があると きっと家に 閉じこもりがちになるに 違いありません。
A牧師と接していると 病の中にあって いかに喜び楽しみ感謝して 生きるかという点で 多くのことを 学ばされます。
一緒に居るだけで 一緒に居る人を 明るくさせるような「病む人」 という点で 思い出すのは 私が神学校へ行く前と後に お会いした 故三浦綾子さん
A牧師も三浦綾子さんも
しんどい病の中にありながらも 絶えず微笑んで ユーモアをもって 一緒に居る人を 笑わせる類の 聖霊の実にあふれて いるなあ
私も、もし病むとしたら そういう病み方を イエス様の恵みで させていただきたいものだなあと 願います。
私たちの弱さに同情できない方ではありません。 罪は犯しませんでしたが、すべての点において、 私たちと同じように試みにあわれたのです。 折にかなった助けを受けるために、 大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。 (新約聖書 へブル人への手紙4:15〜16)
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| 2026.07.03 |
四十(よそとせ)を 経てなお燃ゆる 伝道火
釧路市米町在住のA牧師に お会い、お久しぶりに 語り合いのときを 持たせていただきました。
今から40数年前の夏 釧路市栄町公園で 路傍伝道をしていた時の様子
私はクリスチャンなりたてで モーリスの アコースティックギターを 買ってゴスペルフォークソングの 伴奏の練習を し始めましたが いかんせん 弦を押さえる指が痛くて 苦しんでいた時
ギターの名手Aさんが 「これは弦がミディアムで かたいから コンパウンドにしたらいいよ」と 教えてくださり
弦を変えたところ とても心地良く弾ことができて とても嬉しかったことを 昨日のように 思い出します。
Aさんと 私は 大学は異なりますが どちらも教育学部で 先輩にあたるAさんは 大学卒業後高校教師、そしてのちに牧師
私は 中学教師、そしてのちに牧師
40数年前に釧路市内の 大学生クリスチャンたち数名は 伝道に燃えて 時間さえあれば 公園伝道したり 路傍伝道したり 救霊に燃えていました。
そしてすでにイエス様のもとに 帰られた方も含めて 少なくとも 5名が牧師、伝道者として 主イエスを宣べ伝える 人生を 歩ませていただいている 神の国のための 同労者となりました。
本当に幸いです。
病の中 肉体の弱さを 痛感しながらも Aさんの 救霊の熱意と 神の恵みは 変わることないことを 知らされ 大変励まされ 主のみ名をあがめました。
Aさんの義父さまも 晴れてイエス様を 信じてバプテスマを お受けになられたことを 伺い さらに 主のみ名をほめたたえました。
A牧師の義父さまのかつての商店は 現在カフェとして 地域の方々の憩いの場となり
ちょうど カフェにおられた お客様のお一人が私に 「ここのコーヒーは 釧路市内で一番安くて美味しいのよ。」 と教えてくださいました。
確かに、このお値段!
リユニオン・カフェ 釧路市米町公園 の駐車場のすぐ横です。
A牧師を通して 神さまの愛と力が ますます 表されていることを 知って、励まされ、力づけられるとともに 主のみ名をあがめました。
「米町公園」と言えば 石川啄木の歌碑があり、 釧路の街並みや釧路港、 太平洋を一望できる絶景スポット そして、釧路一 安くて美味しいコーヒーをいただける 「リユニオンカフェ」が傍にある所
イエス・キリストを信じ仰ぐ人の 傍にはいつもイエス・キリストが おられますね。
ついでながら 石川啄木は曹洞宗の末寺の住職の長男でしたが 中学生ごろから キリスト教に関心を抱いていたことが 指摘されています。
啄木は 同じクラスの級長、副級長らに 呼びかけ英語読本の自習会を 始めました。 その中で聖書にも 触れたと言われています。
なんとその自習会は 「ユニオン会」と呼ばれました。
そういえば 米町公園駐車場横の カフェの名前が 「リユニオンカフェ」 であることを思うと
何か、不思議な神様の ご計画がそこにあるように思えて 感慨深い 思いがいたしました。
ところで啄木の 妹の光子さんが 明治38年に盛岡女学校へ 入学する際 啄木は 「これを読め!」と言って 旧新約聖書を妹さんに プレゼントしました。
光子さんは、 後にイエス様を信じ クリスチャンになり 伝道者となったことも 驚きです。
しかしながら 啄木自身は、 聖書を読みながらも 妹さんのように 素直にイエス様を救い主としては 受け入れられず
イエス様を、一人の人としてのみ 理解していたようです。
啄木の死後出版された歌集 「悲しき玩具」には
「クリストを人なりといへば、 妹の眼が、かなしくも、 われをあはれむ。」
私たちは キリストを 単なる人として見るだけならば 「悲しき人生」で終わります。
キリストを 完全な人であると同時に 完全な神として 救い主として信じるときに 「悲しき」人生から「喜ばしき」希望の人生へと 歩み始めさせていただくことができます。
「リユニオン」と言う英語には 「再結合」という意味があります。
もともと私達人間は 神様と親しい関係にありましたが 私達の先祖が神に背を向け 神との関係が切れて 断絶してしまいました。
その結果 すべての人間には死と 死後、さばかれて 永遠の滅びが決定づけられたのですが
私たちが滅びることを 望まない愛の神様は 救いの御計画をお持ちでした。
神は実にそのひとり子 イエス・キリストを この世に遣わされるほどに 私たちを愛されたのです。
罪なき神のひとり子 イエス・キリストは 人間のすがたをもってこの地上に 来られて
十字架で 私たちの罪を背負って身代わりに刑罰を受けて 死んで葬られ 蘇られました。
それはイエス・キリストを信じる者が 一人も滅びることなく イエス・キリストが 十字架で流された血潮に免じて 罪赦され
永遠のいのちをいただき 神様との「再結合」が もたらされるためでした。
私たちは皆、 イエス・キリストを通して 創造主なる父なる神さまとの リユニオンヘと 招かれているのですね。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。 わたしを通してでなければ、 だれも父のみもとに行くことはできません。 (新約聖書 ヨハネの福音書14章6節)
わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」 と言われました。ですから私は、 キリストの力が私をおおうために、 むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 (新約聖書 ?コリント書12章9節)
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| 2026.07.02 |
みことばと ステンドグラス 満ちる家
長年にわたり釧路交響楽団や ジュニア・オーケストラの指導に あたっておられる クリスチャン・チェリストであるAさん宅前で
Aさんには 私たちの教会でのチャペル・チャペルコンサートや 釧路刑務所でのクリスマス会でも ご奉仕をいただいてまいりました。
Aさん宅の居間で Aさんに淹れていただいた美味しいコーヒーと ケーキを 御馳走になりながら 多くの素敵な ステンドグラスを見て 感動を覚えました。
Aさんの 奥様が 30年以上にわたって ご趣味で 学ばれているという ステンドグラスの 数々の作品
温かい光が心を癒します。
「この素敵な雰囲気のお部屋で、カフェや ホームコンサートを開かれると素晴らしいでしょうね。」
そう、ご提案申し上げましたら
「この部屋では、聖書の学び会をしています。」
すてきな雰囲気の空間に 最も似合う営みは何なのか・・
カフェの飲食や クラシック音楽も さることながら
神のみことばこそが 最も 相応しいのですね。
クリスチャン芸術家のAさんの 音楽への情熱の源も 聖書の言葉から
この秋 Aさんの 教え子のお一人が ドイツへ音楽留学されるとのことで
「ルターの育った国だから 聖書をしっかりと読むように。」
と楽器演奏以上に 聖書の重要性を 知ってほしいと 願っておられるとのことです。
化粧室にも ステンドグラスと 聖書
なんと壁にも イエス・キリストの名前が ギリシア語で彫られていました。
わたしのこのことばを心とたましいに刻み、 それをしるしとして手に結び付け、 記章として額の上に置きなさい。 (旧約聖書 申命記11:18)
福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、 信じるすべての人に救いをもたらす 神の力です。 (新約聖書 ローマ人への手紙1章16節
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| 2026.07.01 |
保護司らの 笑顔そろいて 準備よし
2026.6.29 釧路保護司会 桜ヶ岡分区自主研修会 (桜ヶ岡中央会館) 7月から始まる 「社会を明るくする運動」 の準備の ための話し合い
翌日は、釧路保護観察所に行って 幟や襷をお借りし
また、釧路サポートセンターに行って パンフレットを いただき
近隣の郵便局に行って ポスター掲示の お願いに伺ったりと・・・。
ここ数日 釧路は曇り空が多いですが 7月から 社会のみならず 空も「明るく」なる、そう思ったら 本当に明るい7月の水色空が 見えて嬉しいですね。
心がどんなに曇っていても 優しいイエス様に目を向けると 心は次第に 温かくなってきます。
こうして 心が明るくなると 周囲の人にも その明るさが伝播していく
そうしていく中で 社会がまばゆいほど 明るくなりますように!
闇も暗くなく 夜は昼のように 明るいのです。 暗闇も光も同じことです。
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| 2026.06.30 |
蕎麦屋にて 笑顔あふれる 夕餉かな
90代で お一人暮らしをされている 教会のお仲間のAさんと お蕎麦屋さんへ参りました。
Aさんは 「一緒にたべると、ご飯はおいしいねえ〜」 Aさんは いつもの天丼を ご注文されていました。
お客さんが 次から次へと 入店される様子を見ながら Aさんは 「随分と、繁盛しているねえ。」
「そうなんです。 このお店は 釧路で最も繁盛しているんですよ。」と 周囲に聞こえるように 返答する私
何を基準に 最も繁盛しているなんて 言えるのか 自分でもわかりませんが そういう雰囲気が あるのです。
このお蕎麦屋さんは店内の 広さも採光も レイアウトも絶妙で
さらに素晴らしいのは 初々しい笑顔の 学生さんらしき定員さんが 複数名、接客されていて
注文されたメニューを 慣れない手つきで 一生懸命 ペンで書く姿がほほえましく
ご高齢のお客さんたちの中には そんな店員さんを 孫と重ね合わせて会うような 気持ちで 来られている方も 少なくないかも。
住宅地にあって これほど アットホームで 活気があって 釧路市民に 親しまれている お蕎麦屋さんは 珍しいのではないかと 思うほどです。
私は、梅おろしそば
かつおの おにぎりが 最高に美味しいですが
だんだん年齢を重ねるにつれて 量が多く感じられるように なってまいりました。
今度は、少なめにとお願いしよう。
Aさんが満足しきった笑顔で 「今度、ぜひうちに お茶のみに来てね。」 「ありがとうございます。」
イエス様がAさんに 生かされている喜びを 日々味あわせてくださることに 感謝します。
好ましいこととは、こうだ。 神がその人に与えたいのちの日数の間、 日の下で骨折るすべての労苦にあって、 良き物を楽しみ、 食べたり飲んだりすることだ。 これが人の受ける分なのだ。 (旧約聖書 伝道者の書5:18)
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| 2026.06.29 |
目も耳も 衰えゆけど 主を礼す
長い間、日曜礼拝に来ることが かなわなかったAさんが お久しぶりに 集うことができて 礼拝後にご一緒に喜び合い 語り合い 祈り合うことができました。
Aさんはお耳の聴こえが お難しいことに加えて 最近は 目のご病気にも かかられ ご不便さが 増し加わっていますが それでも 皆さんと一緒に礼拝にあずかることができたことを この上なく喜んでおられました。
Aさんを通して 大きな力づけをいただきました。
この日はAさんを含め 3名の90代の女性の方が 礼拝に集われ とても勇気づけられました。 老いも若きも 主を見上げて ともに喜んで礼拝する姿は とても感動的です。
神よ私を捨てないでください。 私はなおも告げ知らせます。 あなたの力を世に。 あなたの大能のみわざを後に来るすべての者に。 (旧約聖書 詩篇71:18)
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| 2026.06.28 |
見事なる 着陸感謝 乗り継げり
金曜日に高松空港から 羽田空港経由で釧路空港へ帰る時のこと
空港のテレビジョンの モニターでは 翌日には 関東地方に台風が直撃 というニュースが 映し出されていたので やや懸念しました。
上の写真のように 羽田から釧路への出発時刻が 45分間遅れたことで 困った人もいれば 助かった人もいる
今回の私たちにとっては とっても 助かりました。
羽田での 乗り継ぎ時間が 定刻通りだとすると 30分間で 果たして搭乗ゲートまで 歩いて(走って) 間に合うかどうか 案じていました。
高松空港から出発する便が 20分遅れとなることが 確定したことを知って 10分以内で移動ということで さらに不安が増し加わり
さらに 羽田空港では、 なんとバスで ターミナルまで 移動することを 聞いて、 ほぼ不可能に近い・・・ さらに不安が増し加わり
地上のJALの女性係員さんに 相談したところ
その女性係員さんは 上役と思しき女性係員さんに 相談していて
それを察知した さらに上役と思しき 男性係員さんが
釧路から羽田へ着く便が 雷雲発生の為 30分程度遅れることを 調べ上げてくださり 笑顔で 大丈夫でしょう と安心させてくださいました。
その男性係員さんが 離れた後 最初に対応された 女性係員さんが再び こちらにやってこられて
「もし遅れた場合でも、 次の便に乗り変えることも可能です。」 とさらに安心させる言葉を かけられました。
男性係員さんの言葉だけ聞いていれば 安心感で覆われていたのですが
「もし遅れた場合でも」 と言われると
女性係員さんとしては 「遅れても大丈夫ですよ」 と安心させたかったのでしょうが 受け手としては 「遅れることもありえる」 とむしろ不安が増し加わわってしまいました。
言葉と言うのは 実に難しいものですね。
念のために 待合室で ネットで調べると なんと「その日の」 「次の便」はないことがわかりました。
すなわち、その便が 釧路への「その日の 最終便」だったのです。
一気にそれまでの、安心感が 薄れてしまいました。
女性の係員さんが語った 「次の便」が意味するのは 必ずしも その日の次の便のこととは 限らなかったようですね。
不安が払しょくされないまま 高松空港から 羽田へ向かいました。
飛行機が 羽田空港手前で 到着態勢になりながらも 雲や霧が立ち込めて 視界が悪いのか 気流の影響もあってか
旋回して なかなか到着せず、
到着したかと思ったら 地上滑走の時間の長く感じること その間 無情にも 時計の針はどんどん 進んでいきます。 緊張感が増し加わりました。
もし乗り遅れた場合は 係員にお願いして 千歳便に替えていただけるかどうか 交渉しよう そして 千歳に着いたら 札幌へ行って 夜行バスに乗って 釧路まで向かおうかなどと
頭の中で 代替案をあれこれ考え ぐるぐる思考が 旋回しました。
すると、機内アナウンスで 「お客様の中で、旭川空港へ乗り継がれるご予定の方と 山形空港へ乗り継がれる方は 出口で係員の方にお声掛けください。」
「あれ、釧路空港がない、ということは 釧路空港乗り継ぎは 大丈夫ということなのだ。」 と安堵しつつ 自分達よりも もっと切羽詰まった緊張感を 抱えている方が おられたんだと 思い、祈らされました。
羽田空港に着くと なんと 釧路便の出発時刻が 30分遅れから 45分遅れの表記に変わっていて 無事釧路便に乗ることが できました。
雷雲のおかげと 言っては何ですが
神は、愛なり 愛は、かみなり
などと頭の中で くだらない言葉あそびをしてしまいました。
何はともあれ 搭乗ゲートには 5分間の余裕をもって 到着できました。
この「5分間」が 「1時間」くらいのありがたみに 感じられたのは言うまでもありません。
たかが飛行機の 乗り下りですが
不安が増し加わったり 安心したかと思ったら 疑問を抱いて 緊張し 再び不安にかられ 安心したかと思えば またまた不安になったり を繰り返し 最終的には 安息の境地に至る
まるでジェットコースターのように
私たち 人の心は 置かれた環境や 人の言葉や 環境の変化などで 変わりやすいものだと つくづく 思いました。
人生 自分で努力しても どうしようもないことが 多々あることも あらためて痛感しました。
その場合 すべてを支配されている 全能の神様に お委ねするしかありません。
その時になってから 考えるしかないことも 多々あるはず
それを先回りして 「もしも、こうなったらどうしよう」 と考えすぎると 疲れ果ててしまいますね。
人生は 予定通りいかないこと 想定通りいかないことが 山ほどあることを 肝に命じながら
自分にとっての想定外であっても 神にとっては 愛の想定内であることを 覚えました。
それにしても JALのパイロットの操縦技術は 卓越したものがあると 思いました。
かつて 海外渡航中 中近東の某国の空港に 到着する際
某航空会社の機体が 日本国内の航空機ではありえないほど 激しい振動音を立てて 着陸した時に
なんと、機内のお客さんが ブラボーなどと叫びながら 拍手喝采で 機長さんを讃えていたことを 思い出しました。
あれで拍手喝采ならば 日本国内では 到着する度に 毎回、大拍手喝采が 相応しいこととなりますね。
有難いことを ありがたいと思わずに 当たり前と 思ってしまうことが いかに多いことでしょう。
「すべてのことについて感謝しなさい」という聖句を もっと日常的にかみしめて 実践したいと思いました。
さすがに、今回 私は拍手はしませんでしたが、 周囲の人にも聞こえるように 妻に「JALの機長さんの操縦は実に素晴らしい。 海外なら、拍手ものだよ。」と やや大きな声で話しました。
空の旅を通して 人生について 教えられることは 今回、他にも山ほどありましたが 今回はここまでに。
あなたの恵みは大きく 天の上に及び あなたのまことは 雲にまで及ぶからです。 (旧約聖書 詩篇108:4)
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| 2026.06.27 |
出没も 恐れ不要の 主の御国
今週は、四国香川県高松市で 全キリスト教教誨師連絡協議会研修会に まいりました。
「イノシシ出没 注意!」 の看板を ところどころでお見かけして 驚きました。
北海道なら「熊出没 注意!」ですが・・・
翌日の聖書通読箇所に 「イノシシ」が登場!
林のイノシシはこれを 食い荒らし野に群がるものも これを食らっています。 (旧約聖書 詩篇80:13)
話しによると 地域によっては 猿も出没するそうです。
猿は人に攻撃はしないそうですが 食べ物の入った買い物袋や リュックなどが 置いてあると さっと奪い去って 行くということで
猿を見たら 手しているものを 奪われないようにしっかりと 抱え込むようにするそうです。
鹿も出没し 北海道同様車との 接触事故があるそうです。
動物も人間も 安心して平和に共存できる 聖書が約束している 将来の 新しい天と地を 待ち望みます。
神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。 自分の意志からではなく、 服従させた方によるものなので、 彼らには望みがあるのです。 神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。 今に至るまで、ともにうめき、 ともに産みの苦しみをしています。 (新約聖書 ローマ書8:19〜22)
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| 2026.06.26 |
福音を 託され結ぶ 教誨師
高松刑務所視察研修
丸亀少女の家(女子少年院) 視察研修 (施設前で記念撮影する時間が取れず 丸亀駅前で記念撮影)
少年院の次長さんからご丁寧な説明と 施設内の見学の後
質疑応答の中で
「かつてスケバンと言う言葉が 流行した時代がありましたが 今日、女子少年院にいる女の子たちは どのようなイメージですか?」
「最近は、スケバンのイメージからほど遠い むしろ弱弱しい女の子のイメージが 多いですね。受け子とか・・・」
播磨学園教誨師のA牧師 元サッカー選手(ゴールキーパー)だけあって 素晴らしく大きな体格 FBでおともだち申請してくださったAさんと この場で 初めてお会いできて幸いでした。
大阪刑務所教誨師のB神父 なんと帯広畜産大学獣医学部出身で 獣医さんの資格を持つユニークな神父さん
高知刑務所教誨師のC牧師(私の向かい) 鹿児島刑務所教誨師のD牧師(私の右)
北は北海道 南は沖縄から
48名のキリスト教教誨師が 隔年で1回行われる 研修大会に 高松に集合しました。
教誨師の働きは ボランティアで 様々な守秘義務があるため ともすると 孤独な営みになりやすいですが このように 教派教団を越えて かかえている共通の 悩みや課題を 分かち合い お互いに情報交流できる 大変有意義な研修だと 思わされます。
志を一つにする 麗しい仲間たちと一緒に居ると 教派教団教義の枠を超えて キリストにあって 一つとされた恵みを味わえます。
その召しの望みが一つであったのと同じように、 からだは一つ、御霊は一つです。 すべてのものを貫き、 すべてのもののうちにおられる、 すべてのものの父である神はただひとりです。 (新約聖書 エペソ書4:4〜6)
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| 2026.06.25 |
推した師の 講演深く 胸に沁む
全キリスト教教誨師連絡協議会 第2回研修大会の講師Aさん
拘置所という 矯正施設に長期間 入られた経験がおありな キリスト者である Aさんが適任ではないかと 昨年、役員会で、 推薦させていただいたことから 端を発して・・・
講演は実に洗練された内容で 緻密でかつ 情熱に満ちたものでした。
キリスト教教誨師たちは 皆さん 励まされたことでしょう。
講演後の質疑応答では 辺野古問題など 今日的な話題についても 深遠な切り口で 語られていました。
知識の量と 論理力と 愛情と正義感が半端ない
御健康上の 問題を抱えながらも キリストを信じ仰ぐ パッションに押し出されるように
高松まで足を運ばれて 語ってくださいました。
講演を終えて 懇親会でもA先生は ある大きなヴィジョンを 分かち合ってくださり 私たちは興奮しました。
個人的にも名刺を 交換し合い 信仰の励まし合いを
Aさんは 盟友である 某国会議員Bさんが 収監中に 驚くべきことに 毎日お手紙を書いて キリスト者としての愛のわざを 貫き通されました。
愛と知において 実に 豊かな方にお会いできて 感謝でした。
このキリストのうちに、 知恵と知識の宝が すべて隠されています。 (新約聖書 コロサイ書2:3)
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| 2026.06.24 |
塀の中 福音届け 同志かな
第2回 全キリスト教教誨師連絡協議会研修会 (会場:日本基督教団高松教会)
全キリスト教 カトリックもプロテスタントも 教派教団を越えて キリストの福音を携えて 全国の様々な矯正施設に ボランティアとして 遣わされている キリスト教の教誨師たちです。
刑務所や少年院から出て来た人から 「先生、施設ではお世話になりました。」 声をかけられることもあります。
私は、北海道矯正管区の キリスト教教誨師の活動についての 概況と、祝福の報告、祈りの課題等を 分かち合わせていただきました。
あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、 事を行わせてくださる方です。 (新約聖書 ピリピ書2:13)
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| 2026.06.23 |
教誨師 福音分かつ 同志かな
2026,6,22 私が尊敬する九州管区の先輩教誨師の A牧師と
高松市にて 全キリスト教教誨師の 研修大会が 行われています。
私は、北海道矯正管区の 地区連絡委員で 役員の一人なので 事前に役員会議から集いました。
役員会の後、研修大会前に 高松市民の皆さんに 親しまれている食堂で 腹ごしらえ
マンションの一角が食堂と言うユニークな ロケーションで 駐車場もないにもかかわらず 大混雑
観光客には 紹介されないであろう目だたない お店ですが 元高松で長年牧師をされていた先生の ご紹介で参りました。
高松は 決して うどん以外にも 美味しいものが たくさん あるようです。
研修大会の会場として お借りした 日本基督教団高松教会
正面のパイプオルガンが 荘厳な 雰囲気を監視出しています。
各矯正管区の状況や課題の報告 私は、北海道矯正管区について 分かち合わせていただきました、
たいてい地区ごとの発表をする場合 なぜか「それでは、北からお願いします。」 と言われることが多く やや緊張もしますが 一方で、最初なので 何でも言える気楽さもあります。
「北は北海道、南は沖縄まで」 という言い方はありますが 逆は聞いたことがあまりありませんね。
なぜ、北は北海道、南は沖縄なのか Geminiに尋ねてみると いくつかの理由を言っていましたが その理由の一つとして 「北から南に」という慣習があり 天気予報も北海道から始まって沖縄で終わるのが通例と 説明していたので、 天気予報は 西日本から東日本に向けての順番です、と 誤りを指摘すると 「失礼しました」 と素直に非を認めましたので、 やや拍子抜けしました。
私は、今まで 生成AIに誤りを指摘しても 非を認められることはなく
私の指摘を肯定し 「ありがとうございます。」 と表記されてくることがあったので なるほど そういう応答システムなのだなと 思っていましたが。
何はともあれ 北は北海道 南は沖縄まで、から 志をともにする キリスト教の教誨師が 教派、教団を越えて 一か所に集まり 祈り合ったり 学び合ったり 分かち合うことは 大きな励ましとなります。
今日、お会いした ある女子刑務所で教誨師を している方からのお話で 興味深かったことは
その施設では より重罪な人ほど キリスト教の宗教教誨を受ける希望者 (願薦者)が多いという傾向が 伝統的にあるということです。
言い方を変えると 「自分は救いがたい人間だ」という自覚のある人ほど 素直にキリストを求められる、 純粋に赦しを求められる のかもしれないなあということです。
こんな罪深い者を 見捨てないお方がおられるとしたら それはキリストさましかおられない と、 キリストに対する イメージがあるのかもしれませんね。
心の貧しい者は幸いです。 天の御国はその人たちのものだからです。 (新約聖書 マタイの福音書 5:3)
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。 わたしが来たのは、 正しい人を招くためではなく、 罪人を招くためです。」 (新約聖書 マルコの福音書 2:17)
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| 2026.06.22 |
懐かしき 面々迎え 胸躍る!
2026.6.21 夏至の日曜礼拝に かつて釧路で少年時代を過ごした 宣教師さんのご長男Aさんが奥様と ご長男とご一緒に お集いくださいました。 いつもサプライズ的に 来られます。
とても驚き また嬉しかったです。 懐かしい思い出が次々と蘇ります。
ご長男においては、幼少の時以来で、 こんなに大きく立派に成長されたのだなあ、 月日が経つのは 実に早いものだなあと思いました。
Aさんは第二回釧路空港マラソンに 出走されたそうです。
そのご長男は、 私と同じように、 エントリー締め切り期限1ヶ月前に申し込んだものの すでに定員に満ちていて、 残念ながら 今年は出走かなわず、
「来年一緒に走ろうね!」と 希望を告白しました。
それにしても、釧路の教会で 育った少年少女たちが、 実家を訪ねるような気持ちで 礼拝に集ってくださることは、 大きな励ましと力となります。
興奮冷めやらない1日となりました。
大きく成られた お子さんの姿を見ながら 次の世代に 神のみわざが 宣べ伝えられ 神に仕えることの 喜びが さらに広がっていくことが できるように 祈らされます。
世代を越えて語り告げられます。 (旧約聖書 詩篇22:30)
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| 2026.06.21 |
骨折の 辛き日越えて 祝い膳
2026.6.18 今年の冬 足の指の骨を 三本も折って しばらく リハビリ中だった教会のお仲間のAさんの 骨がようやくつながってきました。 我が家で ささやかながら 快気内祝いを いたしました。
寒い冬に 「足を冷やしなさい」と 言われて それでなくても 寒さを苦手とされているAさんにとって どれほどお辛い長い長い トンネルを通るような 試練だったことでしょう。
Aさんに Aさん本来の微笑みを 取り戻させてくださった イエス様に感謝します。
玄関先のビオラやキンギョソウたちも Aさんの快復途上の 笑顔をともに喜び お祝いしてくれているかのよう 花たちの 表情がいつもよりも 華やいで見えました。
親切なことばは蜂蜜。 たましいに甘く、 骨を健やかにする。 (旧約聖書 箴言16章24節)
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| 2026.06.20 |
雲間より 青空のぞき 心晴れ
2026.6.19 シラルトロ湖を左手に観ながら 標茶原野で 聖書の学びに備えている 方々のところへ
シラルトロ湖上空は 厚い層積雲(うね雲)に覆われていました。
今にも雨が降りそうな気配
ヨハネの福音書の11章の学び 1節1節丁寧に 皆さんに時折、質問しながら 学んだ後は 定番となったカツカレー 一か月に一度の贅沢な辛さに 魅了されるひととき
これは層積雲(うね雲)かな〜
帰り道に右手に見えたシラルトロ湖は 別格でした! 空の色が変わると 湖の色も雰囲気も みんなことごとく変わるのですね。
左手には塘路湖
高積雲(ひつじ雲)が 広がってきました。 雲間の青空がきれい
釧路町に入って来ると 積雲(わた雲)が きれい。
北海道の空は広く高く 心が癒されます。
主よあなたの恵みは 天にありあなたの真実は 雲にまで及びます。
(旧約聖書 詩篇36:5)
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| 2026.06.19 |
福音を 携え巡る 旅路かな
2026.6.18 ゴスペルボックスという 聖書関連の書物やカード、グッズを搭載して 移動販売する車輛が私たちの教会玄関前に おいでくださいました。
私たちの教会名が 「釧路キリスト福音館」で 語尾が「福音館」となっているので あれ?福音館書店さんか? と勘違いされかねませんが
開拓宣教時代は 暫く「釧路聖書センター」と言う名前の 教会名でした。
「聖書センターと言うくらいだから 聖書を売っているセンター」かと 勘違いされたことがあり ある時は モルモン教会の信者さんが 「聖書を買いたいんですけど・・」 と訪ねて来られたことさえありました。
全国各地を巡回中の「ゴスペルボックス」 種子島まで行かれたこともあるそうです。 (鹿児島からフェリーで)
この日は、インターネットで書籍を購入する人が 多いですが、やはり手に取って 中身を見てから買う方法は最も 購入者たちにとっては ありがたい方法です。
書店さんにとっては ガソリン代や人件費を 考えると コスパは良くないでしょうが。
運転されてきたAさん(写真中央)は 本日、東京から空路 たんちょう釧路空港に降り立ち 釧路まで運転されてきたスタッフさんと バトンタッチされて この日と翌日に 釧路の諸教会を巡り 帯広方面へ行って 千歳へ向かわれるとのことです。
かつてキリスト教の書籍移動販売と言えば ワゴン車いっぱいに書籍を詰め込んで 全道を巡られたCLCさんが 懐かしく思い出されます。
かつてそのCLCの店員さんが 「最も書籍を多く購入されるのは 皆さんのグループの方々ですね。」 と仰っていたのを思い出します。
「聖書について学ぶ意欲がはんぱなく高い」 そうおっしゃっていました。
近年、電子書籍が ブームになり 紙書籍の将来が危ぶまれましたが
最新の脳科学の研究によると 何と電子書籍は紙媒体よりも 記憶の定着率が 劣ることが 実験データで 明らかになってきたようで 紙書籍の価値は 再び見直されそうですね。
むしろ、心の中でキリストを主とし、 聖なる方としなさい。 あなたがたのうちにある希望について 説明を求める人には、だれにでも、 いつでも弁明できる用意をしていなさい。 (新約聖書 1ペテロ3:15)
釧路にはコーチャンフォーという 広い敷地面積をもつ書店がありますが キリスト教関連の書籍は 極めて少なく しかも、そこに陳列されている書籍は キリスト教界隈では それほど、注目されていないものがほとんどです。 コーチャンフォーの 書籍コーナーで キリスト教関連本を購入しようとして 来られる方々が これらを見て 「キリスト教とはこういうものなのだ」 と誤解してしまわないかなと危惧さえいたします。
キリスト教関連本がめっちゃ少ないのに比べて いわゆる新興宗教本や カルト的な宗教本が 膨大なスペースを割いているのは とても不思議です。
どういうコンセプトで 書籍コーナーの分野別書籍数の配分を 決めておられるのか 興味深く 一度、店長さんから お話うかがえたら嬉しいです。
釧路では、かつて 丸三鶴屋の6Fのブックセンターが 懐かしく思い出されます。
何時間も立ち読みしてしまった記憶が 蘇ります。
今回、 買おうかどうか迷いつつ 結局買わずに後悔してしまった 気になった一冊は 沢村五郎先生の 復古本でした。
中身が、どうしても気になるな〜
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